禍堕

第22話 軍人

「お前は生まれてきてはならぬ忌み子だった。そんなお前にはこの名がふさわしい」


 物心がついた頃。まだ自分の名前の意味さえも知らない少年に、実の父親は冷淡にそう言い放った。


「貴様のような出来損ないが我が弟などと、完璧な私の唯一の汚点だよ」


 歳の離れた長兄はいつだって末弟の少年を見下し、強い言葉を浴びせかけた。長子としての重圧のはけ口に末弟を利用していたのだ。目に余る行為だったが、冷淡な父親の態度を真似て、周囲もそれを黙認していた。


「誰もお前に期待なんてしていない。だから僕の失敗は全てお前が被れ。そうすればお前にも存在意義が生まれるだろう。どうだ? ただお前に苛立ちをぶつけるだけの兄上よりもよっぽど人格者だろう?」


 一番年齢の近い兄弟である次兄は問題行動が多く、性質の悪いことに失敗を末弟に擦り付けて、叱責を免れる悪知恵を持っていた。時にはわざと問題を起こし、代わりに末弟が罰を受ける様を嬉々として楽しむことさえあった。本人は長兄よりも人格者だと語ったが、少年からしたらどちらも大差ない。愚かな行いを黙認する周囲共々ろくでなしだ。


「あなたは私の玩具。あなたに何をしたって誰も咎めはしない。大丈夫、加減はしてあげるから」


 兄たちの仕打ちが尊厳を傷つける言葉の暴力であるのに対し、次姉は美しい顔に狂気の笑みを浮かべて、嬉々として弟の体に暴力を振るった。直情的で感情が高ぶると暴力に走る次姉に周囲も手を焼いていたが、暴力の対象が弟に移ったことで周囲は安堵の溜息を漏らした。幼い頃に次姉につけられた傷跡は成長した今でも体に残されている。


「……ごめんね。私があなたを守れるぐらい強かったら」


 兄弟の中で唯一優しく接してくれたのは歳の離れた長姉だけだった。しかし、溺愛する長姉が、自分が最も忌み嫌う末弟に愛情を向けることを面白く思わなかったのか、父は長姉を海外へと留学させるという形で末弟から距離を置かせた。父の命には逆らえず、長姉は謝罪の言葉を残して弟の前からいなくなった。他の兄弟たちからの扱いが悪化していったのは、唯一それを止められたであろう長姉の不在の影響が大きかった。


 五人目の子の命を切望し、命を賭して生んでくれた最愛の母親。

 彼女が存命だったなら、何もかもが違っていたかもしれない。あるいは健全な親子、兄弟の関係が築けたのかもしれない。過ぎた出来事にもしもを考えることに意味などないが。

 末弟は王国軍に入隊出来る年齢になると家族の元を離れた。兄二人はせいせいした様子で嘲笑を浮かべ、次姉は玩具が手元を離れることに不満そうだった。父に関してはまったく無関心であった。

 死と隣り合わせである軍属となろうとも、誰一人として末弟を案じる言葉をかけるものはいなかった。仮に本当に戦場で命を落としても、彼らは決して悲しみはしない。

「……こんな時に何を思い出しているんだ俺は」


 ふと我に返って頭を振る。走馬灯を見るにはまだ早いし、走馬灯があれでは死んでも死にきれない。

 黎明ノ国の王国軍に所属する青年シンクロウは、滝へと続く激流の前まで追いつめられていた。鬼熊と呼ばれる巨大な熊の怪物を討伐するため、遠路はるばる王都から東部の森まで出兵したが、鬼熊の圧倒的な戦闘能力の前にシンクロウの部隊は窮地へと陥った。周りの制止を振り切り、シンクロウが囮となって鬼熊を引き付けたことで、部隊は全滅を免れたものの、執念深い鬼熊は執拗にシンクロウを追い続け、文字通り背水へと追い込んだ。じきに鬼熊はシンクロウへと追いつくことだろう。戦力を総動員しても倒せなかった鬼熊をシンクロウ一人でどうにか出来るはずもない。しかし、かなりの高さを流れ落ちる滝壺へと落下したとしても、無事な姿を想像することは難しい。

「ここで命を落とすなら、俺はそこまでの男だったということか」

 森の木々をなぎ倒しながら鬼熊の巨影が姿を現した。もう迷っている時間はない。

「あんたらにとっては朗報かもな」

 不敵な笑みを浮かべたシンクロウは勢いよく滝へと飛び込んだ。寸前までシンクロウがいた位置を鬼熊の鋭利な爪が虚空を切る。大瀑布へと落下していくシンクロウの姿が小さくなっていき、やがて完全に見えなくなった。標的を見失った鬼熊から、激昂を思わせる咆哮が轟いた。


 ※※※


「王国軍の兵士でいっぱいですね」

「何事かは知らぬが、あまり王国軍とは関わり合いになりたくないものだ」


 サラサと鵺が旅の途中で立ち寄ったトキイロという町では、多くの王国軍の兵士が行き交い、物々しい雰囲気に包まれていた。トキイロは兵士が常駐するような大きな町ではないので、兵士たちは王都から派遣されてきたと思われる。中には負傷兵らしき姿もあり、穏やかな雰囲気ではない。


 黎明ノ国では近年、内外を問わず大きな戦には見舞われておらず、現在の活動は主要都市の治安維持と妖の討伐が中心となっている。黎明ノ国を治める四季王の名の下に、軍は妖を発見次第討伐すべしとの命を受けており、王国軍は禍津獣との区別なく妖に危害を加えてくる。長きに渡る黎明ノ国王家のこの体質が現在の妖や真紅眼の持ち主に対する差別や偏見に繋がっているのは言うまでもない。よって、王国軍の軍人が滞在している現状は、サラサと鵺にとっては望ましくない。無論人間の兵士如きに遅れを取る鵺ではないが、人間と事を構えるのは出来れば避けたい。


「ここで宿を取るつもりだったが、頑張ってもう一つ先の町まで行こうか」

「それが良さそうですね」


 幸いにも次の町にも夕方までには到着出来る見込みだ。兵士がうようよしているトキイロに滞在するよりは良いだろうと考え、二人はさっさと町を素通りしようとするが。


「そこ二人、少々待たれよ」


 町の出口で、詰襟の軍服を着た兵士に呼び止められた。声色に険しさはないが、サラサはもしや自分が真紅眼の持ち主だとバレたのではと気が気じゃない。対する鵺は流石の余裕で、顔色一つ変えずに兵士に返答した。


「何でしょうか?」

「この先の森を進むのなら、十分に注意するように。森では巨大な熊の怪物の目撃情報が相次いでいる。討伐のために森に入った部隊も大きな被害を受けた程だ」

「巨大な熊の怪物ですか。なるほど、それで兵士の方々がこんなに」


 幸いにも兵士に敵意はなく、純粋に善意で旅人に警告してくれたようだ。サラサもホッと胸を撫でおろし、鵺も一旅人しての外面でそつなく応対していく。


「ご忠告を感謝します。少し遠回りですが、森を避けて目的地まで向かおうと思います」

「それがいい。女性連れのようだしどうか気をつけて」

「ありがとうございます」


 終始疑われることなく、見送られながら兵士の横を通り抜けることが出来た。旅人思いで好感の持てる兵士ではあったが、それはサラサと鵺を一般人だと認識していたからに過ぎない。仮に正体が露見していたなら、荒事に発展していたことは容易に想像出来る。


「森は危険だと忠告されましたが、どうしますか?」


 トキイロの町を抜け、兵士たちの姿も見えなくなった頃合いでサラサが切り出した。森を抜けるのが最短であり、遠回りをすれば次の町への到着は大幅に遅れる。


「あれは建前でこのまま森を進むさ。私と一緒にいれば危険はない」


 仮に王国軍が手を焼いているという熊の怪物と出くわしたとしても、鵺の戦闘力があればそれは危険足り得ない。本当は空を飛んで森を超えるのが手っ取り早いのだが、周辺地域に王国軍の兵士が滞在している状況では目立つ行動は控えるべきだろう。予定通り二人は森の中を抜けることにした。

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