第15話 危険な大木
「お帰りなさいませ。お早いお戻りでしたね」
「露店通りで大物スリ師が捕まったようで騒ぎになっていてな。ゆっくりと買い物も出来ないから、早めに切り上げて来た」
「そうでございましたか。最近は暗い話題が多かったですから、盗人が捕まったというのは一つ朗報ですね」
宿の女将の暗い話題という言葉に鵺の眉尻が上がる。葬列の近くで女性たちが噂していたように、やはりウグイスの町では何か異常が起きているようだ。
「立ち行ったことを聞くようだが、暗い話題というのは? 先程葬列と出会ったのだが、その時に住民が何やら不穏な噂をしていたのが気になってな」
「そうでしたか、葬列を。ですがこれは町の問題ですし、旅のお方にお聞かせするようなお話しではありません」
女将が困り顔を浮かべる。宿を営む者として、町の不穏な話題を宿泊者に提供するというのは気が引けた。
「案ずるな。何も吹聴しようというわけではない。自衛のために知っておきたいのだ」
「噂を耳にしてしまったのなら、気にするなというのも無茶な話しですね」
最終的には女将の方が折れた。旅行者に聞かせるような話題ではないと思う一方で、町に漂っている陰鬱とした空気感に辟易としていたのも事実だ。外部の人間に事情を打ち明けたいという心境もあった。
「……事の始まりは四カ月前。町の南にある大木で、コマリという女性が縄で首を括っているのが発見されました。美人で気立てもよく、誰からも愛される温かい女性です。新婚で旦那さんとも仲睦まじい様子だったのに、突然あんなことになってしまって。コマリを喪ったことに耐え切れず、旦那さんまでもが入水自殺してしまった。本当にいたましい出来事でしたよ。薄情なようですが、それだけなら偶然起きた悲劇の連鎖で終わっていたことでしょう。ですがそれから二週間も経たぬ内に、今度はコマリと同じ大木で、トビオという青年が首を括っているのが発見されました。彼は周囲から尊敬を集める秀才で、立派な学者になるという夢を持ち、最新の学問を学ぶために王都の学院への入学も決まっていました。夢への第一歩を踏み出そうとする矢先の悲劇に、誰もが心を痛めると共に、一連の出来事に疑問を抱かずにはいられなかった。もちろん他人が心境を推し量ることなんて出来ませんが、コマリもトビオも希望に満ち溢れている印象でしたから」
女将が沈痛な面持ちで目を伏せる。長くこの町で暮らしている人間として、亡くなった彼らのことは子供の頃からよく知っていたが。まさかこのような形で命を落とすことになるとは夢にも思っていなかった。
「その後も南の大木で首を括って亡くなる者が後を絶ちませんでした。お二人が出会ったという葬列は、うなぎ屋の娘のミドリさんでしょう。先日亡くなった彼女を含め、この四カ月間で実に十二人もの住民が南の大木で首を括っています。誰もが自ら死を選ぶような理由が見当たらないどころか、幸せの絶頂にいたような方々ばかり。ミドリさんも結婚を控えていて、本当に幸せそうでした」
「その南の大木というのは今も?」
「健在です。二カ月前には、いっそ大木を切り倒してしまおうと、庭木職人のゴンゾウが名乗りを上げたのですが、作業を開始する日の朝に、彼までもが大木で首を括って死んでしまった。木を切ってやると息巻いていたゴンゾウが、まさか自死を選ぶはずがありません。彼の死によっていよいよ、この町で人知を超えた何かが起きていると認めざるを得ませんでした。ゴンゾウの二の舞は御免と、今となっては大木に近づこうとする者はいません。そうしてまた悪戯に犠牲者の数が増えていく。次はひょっとしたら自分が首を括ってしまうのではないか。町の住民はそんな恐怖に怯えているのです」
現在ウグイスの町が置かれている想像を超える異常事態に、サラサは唖然とするばかりであった。思えば町の中で活気づいていたのは、他所からやってきた行商人が開く露店通りや、珍しい商品を求める、町に滞在中の旅行者ばかり。通りを外れた居住区ではどことなく陰鬱とした雰囲気が広がっていた。確かに町がこのような状況では、恐怖に支配されてしまってもおかしくはない。
「妖の仕業ではという噂を聞いたが」
自らその話題を口にした鵺の隣でサラサの方が動揺してしまう。女将は何も事情を知らないが、もし彼女までも妖の仕業だと言ったなら、心境的にとても気まずい。
「確かにそういう噂をする方もいますが、それは早とちりですね。あんな惨たらしい行いをする存在がいるとすれば、それは禍津獣でしょう」
嘆くような女将の言葉に、サラサの心に晴れ間が差す。女将はあれが妖の仕業だと決めつけていない。邪悪な存在は禍津獣なのだと彼女は知っている。
「女将さんは禍津獣をご存じなのですか?」
「もちろんです。私の親の世代までは、妖との友好関係が続いていましたから。妖は大切な隣人であり、邪悪な存在は禍津獣だという話しをよく聞かされていました。悪いことをすると禍津獣に連れていかれるぞと、
「母が曾祖母から聞かされていた妖様のお話しを、私にもよくしてくれていたので」
「そうでしたか。妖様のお話しがお家に代々伝わっているというのは良いことですね」
宿の女将の年齢は七十歳。その親の世代というと、丁度サラサの曾祖母ぐらいの年代となる。妖と人間が手を取り合って暮らしていた時代を知る親から、直接その話しを聞かされて育ってきた女将たちの世代は、妖に対する偏見が少ない。そう思ったからこそ、鵺もあえてあのような言い回しをしたのだろう。鵺の表情もどことなく嬉しそうだ。
「ウグイスの町が抱える問題について、私から語れるのはこれぐらいです。お客様を怖がらせるようなことは言いたくはありませんが、一連の出来事が本当に禍津獣の仕業だとしたら、恐らく獲物に区別はないでしょう。お客様もご滞在中はどうかお気をつけて」
「肝に命じておこう」
元より何を差し置いてもサラサの安全を守り抜くと魂に誓っている。鵺の返答は短くも力強かった。
「お夕飯まではまだ時間がございます。先にお風呂の方は如何ですか?」
この二人なら大丈夫だろうと安堵したのか、女将の表情が和らぎ、本来の宿屋としての顔へと戻った。
「サラサ。しばらくは水浴びばかりで湯あみが出来ていなかっただろう。ゆっくりと湯船に浸かってくるといい」
「そうですね。お言葉に甘えて、先にお風呂を使わせて頂きます」
普段は遠慮がちなサラサも今回は素直に頷いた。旅の移動で汗もかいたし、黒い影を見たせいで気持ちも落ち着かない。風呂で汗を流し、頭を空っぽにして休みたい気分だ。
「本当は混浴が出来ればいいのですが、うちの宿はこの規模だから浴室も小さくて。ごめんなさいね」
二人には元々その気はなかったのだが、女将としては若い二人が混浴出来ないことを申し訳なく思っているようだった。鵺の体が大きいので、流石に男女での混浴は難しい。
思わぬ言葉に一緒に風呂に入る光景を想像してしまったのか、二人は顔を赤らめながら、気まずそうに顔を背けた。
「お、お風呂に入る準備をしてきます!」
逃げるように、サラサは客室の方へと駈けていった。
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