呪いの大木
第13話 宿場町ウグイス
「サラサ、疲れてはいないか?」
「大丈夫です。元々徒歩で旅をすることには慣れていますから。鵺様こそ私の歩幅に合わせていただきありがとうございます。鵺様だけでしたら、もっと早く移動することも出来ますでしょうに」
「それを言うのは野暮というものだ。私はこうしてサラサと同じ歩幅で、語り合いながら旅をするのが楽しくて仕方がないのだから」
「失礼しました。今のは確かに私が野暮でしたね」
彼者誰ノ里を旅立ってから三日。サラサと鵺は黎明ノ国東部の惜春街道を徒歩で移動していた。本来なら鵺は空を飛び、どこまでも自由に旅が出来る。自分の歩幅に合わせてくれていることがサラサは申し訳なかったのだが、鵺にとってそれはむしろ真逆だ。確かに行程はゆっくりではあるが、サラサと語らい共に歩むこの旅路は、これまでの味気ない旅よりもよっぽど実りある。
肩を並べて歩く中で色々な話しをした。過酷な人生を生きてきたサラサであったが、それでも優しい母と過ごした思い出話には事欠かなかったし、鵺の方は何十年にも及ぶ歴遊の話をたくさん聞かせてくれた。まだ広い世界を知らないサラサにとってそれは夢中になれるおとぎ話のようでさえあったが、鵺と一緒ならばそれは決しておとぎ話ではない。いつか一緒にもっと遠くへも旅をしようと、二人は誓い合った。
「こんにちは」
「どうも、こんにちは」
サラサが街道ですれ違った旅人と挨拶を交わす。旅人は驚いた様子で鵺を二度見していたが、直ぐに笑顔となり和やかに挨拶を返してくれた。サラサは深く編笠を被っていったため、真紅眼については悟られなかった。
「砌様の網笠、本当に凄いですね」
「音楽の才といい。あいつは本当に器用でな。共に旅をしている時も、色々と便利な道具をこしらえてくれたものだ」
真紅眼は目立つため、サラサは人通りの多い場所では網笠を深く被ることでやり過ごしていた。これは旅に出る前に鴉天狗の砌が送った特別な品だ。一見すると単なる編笠のようだが、砌の妖力によってちょっとした呪いがかけてあり、網笠を被っている者に意識が向きにくくなる効果を持っている。このおかげでサラサを凝視しようとする者はおらず、網笠で顔を隠していれば、まず真紅眼が露呈することまずない。加えて、隣には長身かつ美男子の鵺が常にいるため、誰だって意識はそちらに引き寄せられる。おかげで旅に出て以来、真紅眼に関連したいざこざは起きてはいない。
「ところで、通行人はすれ違う旅に私を見るが、私はそんなに目立つか?」
「鵺様は端正なお顔立ちと上背をお持ちですから、その姿に目を奪われる気持ちは分かります。私もそうでしたから」
「そう褒めるな。照れるではないか」
満更でもなさそうに鵺が頬をかいた。素直に照れている時の鵺は、純粋無垢な少年のような愛嬌がある。
「ようやく見えて来たぞ。あそこが宿場町ウグイスだ」
「とても大きな町ですね」
延々と続いてた街道が開け、目的地の一つである宿場町ウグイスの輪郭が見えて来た。宿場町ウグイスは様々な街道が交差する位置する旅の要所であり、多くの宿場はもちろん、商人や旅人の行き来も多く、商業の町としても有名だ。一帯では最も大きな町である。
「多くの人間が行き交うウグイスは、言わば人生の交差点だ。色々と興味深いものが見れると思うぞ」
「……人の多い場所にはまだ慣れませんが、鵺様と一緒なら大丈夫です」
「ああ、いつでも私が側にいる。何が起ころうとも君のことを守る。だから安心して町を見て回ろう」
「はい。鵺様」
サラサは鵺の手をしっかりと握り、二人は宿場町ウグイスへと向かった。
※※※
宿場町ウグイスに到着した二人は早速滞在中の宿を取ることにした。宿選びは旅慣れている鵺に任せ、宿泊先は町外れにある
「遠路はるばるようこそお出で下さいました」
蕨野荘の女将は満面の笑みで二人を出迎えてくれた。部屋の空きを確認すると、朝に一組が宿を引き払い、現在は全室が空いていた。他の宿泊者と顔を合わせることがないのは好都合だ。
「ご夫婦でご旅行ですか?」
「正式には婚前旅行だ。彼女に色々な場所を見せてあげたくてな」
「それでは婚約者様同士でしたか。素敵な殿方で羨ましいですわ、お嬢さん」
「はい。私には勿体ない程のお方です」
編笠を深く被ったサラサが気恥ずかしそうに頷いた。
「お荷物になるでしょうから、網笠をお預かりしますよ」
「す、すみません。これは……」
荷物である網笠を宿の人間が預かろうとするのは自然だったが、これを脱げば目のことがばれる。サラサはとっさに何と言えばいいのか迷ってしまった。
「失礼。出来ればそのままにしてあげてくれ。彼女は額に火傷の痕があってな。人前で笠を取ることに抵抗を持っているのだ」
「そういうことでございましたか。知らずとはいえ、こちらこそ大変失礼いたしました」
さり気なくサラサを背に庇いながら、鵺が堂々と言い切ると、女将も納得したようでそれ以上は追及しなかった。こういうこともあるだろうと、言い訳はすでに考えていた。疑念を抱かせないためには堂々としているのが一番だ。
「さあさあ、お部屋へご案内いたしますね」
宿帳への記入や代金の前払いを済ませると、女将が主に夫婦連れに提供しているという、東の角の客室へと二人を通した。部屋は円卓や箪笥などが置かれただけの簡素なものだが、大きな窓から爽やかな風が吹き込んできて気持ちが良い。窓が通りに面していないことも、あまり素顔を晒したくない身としてはありがたい。
「お布団は一組でよろしいですね」
「お、女将、それは」
女将としては気を利かせたつもりなのだろうが、思わぬ展開に、これまでの堂々としていた様子が嘘のように、鵺の方が狼狽えてしまう。別に布団はサラサに譲って自分は床で寝れば済む話しなのだが、即答してしまうとサラサにあらぬ誤解を与えてしまいそうで言葉に詰まる。
「はい。大丈夫です!」
狼狽する鵺に代わってサラサが即答した。サラサの堂々たる横顔を鵺は吃驚し目をパチクリとさせている。
「畏まりました」
そう言って女将は満面の笑みで引き上げていった。意外にも旦那よりも嫁の方が積極的じゃないかと、感心したような眼差しだ。
「……助かったぞ、サラサ。君が機転を利かせてくれなければ、女将に不審がられたかもしれない」
女将の気配が完全に遠ざかったのを確認してから、鵺が窓の縁に腰を下ろした。
「布団は君が使え。私はいつものように起きているから」
これまでの旅路では安全な場所での野宿や、旅人用に開放されている無人の小屋で夜を明かして来た。過酷な境遇ゆえにサラサはどんな環境でも眠れる体質だったし、サラサが眠っている間は、あまり睡眠を必要としない鵺が危険が及ばぬよう、常に周囲を警戒していた。そのため比較的安全な町の宿場で、布団が一組しか用意されていない状況というのは、二人にとっては初めてだった。
「せっかくお布団があるのですから、今日は二人で使いましょう。今日の宿は安全な町の中です。あまり眠らないとは聞いていますが、こういう時ぐらいは鵺様もゆっくり体を休めてください」
編笠を取ったサラサが、窓の縁に座る鵺の着流しの袖を握った。
「し、しかし、そう簡単に男女が一つの布団を共にするものでは」
「相手が鵺様でなければ、こんなことは言いませんよ」
サラサが真紅眼で鵺を瞳を真っ直ぐと見据える。悠久の時を生き、とてつもない力を持った雷の妖も、今この瞬間だけは初心な一人の男だった。
「……ああ、駄目だ駄目だ! 寝返りを打った拍子に寝ぼけてサラサを感電させてしまうかもしれない。サラサを守る者としてはそれはよくない!」
煩悩を振り払うかのように鵺が髪をかきむしった。いっそのこと、流れに身を任せてしまおうかという考えが一瞬頭を過ったのは事実だ。そんな自分が情けない。
「頭を冷やしてくる。少し待っていてくれ」
「鵺様、急にどうされたんですか?」
サラサの呼び止めも聞かずに鵺は部屋を飛び出してしまった。
「消えろ煩悩!」
直後に裏手の井戸から派手な水音が聞こえて来た。どうやら本当に頭を水を被って頭を冷やそうとしたようだ。
「私、何か変なことを言ったでしょうか? たまには鵺様にも、柔らかいお布団でぐっすりとお休みになって頂きたかっただけなのですが」
サラサの言葉には、鵺が想像していたような色っぽい気配は存在していない。微妙に噛み合っていない二人なのだった。
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