第11話 編笠
「砌様。お借りしていた本を返しに参りました」
サラサは里の長の砌から借りていた書物を返すために、森の社の近くにある彼の家を訪れていた。読書や音楽など様々な趣味を持つ砌の家は物が多いが、整理整頓がしっかりなされているので雑多な印象はない。玩具箱というよりも展示会だ。
「サラサ殿か。ご足労頂かなくとも、後で我が取りに伺ったものを」
「それこそご足労頂くわけには。借りた物は借りた者が返しにいくのが道理です」
「サラサ殿は真面目だな。確かに受け取ったよ」
砌はサラサから返された本を直ぐに本棚へと戻した。全ての本の場所をしっかりと把握しており動きに無駄がない。
「態々訪ねてきてくれたのだ。茶でも淹れよう」
「お構いなく。お仕事の邪魔をしては申し訳ありませんし」
「それこそ遠慮は不要だ。肩書こそ長だが普段は趣味に没頭するだけの隠居の身でな」
「ご謙遜を。それではお言葉に甘えて」
お招きに預かり、サラサは砌からお茶をご馳走になることにした。
「歓迎会での三味線演奏は見事でした。どこで覚えられたのですか?」
お茶と茶菓子の最中を頂きながら、サラサの方から切り出した。砌の見事な演奏に彩られたあの日の出来事は一生の思い出となった。
「鵺や石蕗と旅をしている頃に、とある町で盲目の法師と出会ってな。その方からご教授を受けた。法師は目が見えずとも気配で私が妖であると気づいていたようだが、分け隔てなく我にも接してくれたよ。音を奏でるのは魂であり、種や外見の違いなど関係ないと常々言っていた。教わったのは基礎だけだったが、今日に至るまで我流で音楽を続けている。再び妖と人間が共存できる世が訪れたなら、人間と音楽で共演することが今の我の細やかな夢だ」
「とても素敵な夢だと思います。その時は私も招待してくださいね」
「嬉しいことを言ってくれる。その時は特等席を用意させてもらうよ」
口を布で覆っているので表情が分かりづらいが、砌の声色は優しかった。
「そういえば、旅の前にサラサ殿に渡そうと思っていた物があるのだ。渡しに行く手間が省けたよ」
そう言って席を立った砌が取って来たのは、頭に被る円形の網笠であった。
「旅のお供にこの網笠を持っていくといい。我が
「ありがとうございます。仕草などで誤魔化すにも限度がありますし、旅先でどうやってやり過ごそうか悩んでいました。おかげ様で旅が快適になりそうです」
「喜んでもらえて何よりだ」
「似合いますか?」
サラサは早速、砌から贈られた網笠を被ってみた。
「似合っているぞ……」
確かに似合っている。だが、それを被らないと安心して人前を歩けないというサラサの現状を思うと砌はやるせなかった。自分たち妖のためだけではない。サラサのような真紅眼を持つ者のためにも妖と人間が共存できる世界を目指さなくてはならない。彼者誰ノ里の長として、砌は改めてそう実感するのであった。
「砌様は手先が器用なのですね」
「我、というよりも鴉天狗という種族全般に言えることだ。古くから物作りに秀でた者が多くてな。その技術を幼い頃から伝授されていく中で、腕が磨かれていくというわけだ。他の者からはよく褒められるが、鴉天狗の社会で言えば我の技術は並程度だ」
「技の鴉天狗。武の鬼とはよく言ったものだよな」
突然縁側の方から発せられた第三者の声。里の長の一人である鬼の石蕗であった。
「おはようございます。石蕗様」
「おはようサラサ。話の途中に済まぬな」
「砌様にご用でしたら、私は席を外しますね」
里の長同士のやり取りに自分はお邪魔だろうと、サラサは席を立とうとしたが。
「そのままで構わない。大した用事ではないから」
そう言ってサラサを制すると、石蕗は縁側へと腰掛けた。
「して、用件とは?」
「蔵の鍵を紛失してしまってな。お前に開錠を頼みたいんだ」
「何回目だと思っている。武の鬼ならば力技でこじ開ければ良かろう」
「里の長として力任せに解決するというのは品がない。ここは平和的にいかねばな」
「長の肩書を出すならそもそも、鍵を紛失するような粗相のないよう努めたらどうだまったく。まあいい、蔵の鍵だな。後でどうにかしておく」
呆れ顔ながらも、砌も石蕗の頼みを無碍には扱わなかった。
「お二人は本当に仲が良いのですね」
「やめてくれサラサ殿。こやつとはとんだ腐れ縁だ」
「砌め。腐れ縁とは言ってくれる。まあ確かに、昔の険悪な関係を思えば、よくぞ二人で里の長などやるようになったなとは思うがな」
悪態をつきながらも息はピッタリで、伊達に五十年来の友人ではないという印象だ。
「険悪ですか? 今からは想像もつきませんが」
「そもそも鬼と鴉天狗は、お互いに妖としては最大級の数を誇る妖界の二大巨頭だ。屈強な肉体と身体能力を持ち、武器の製造に長ける武の鬼。空をも駈ける俊敏さと妖術を兼ね備え、道具の製造にも精通した技の鴉天狗。何かと比べられることの多い両者は昔から反目し合う間柄。大きな争いに発展することこそなかったが、昔から小競り合いは絶えなかった」
「かくいう旅の最中に遭遇した我と石蕗もその例に漏れなくてな。お互いに完全な初対面だったはずなのに、相手が反目する種族であるというだけの理由で喧嘩ごとに発展した。若気の至りとはいえ、あの頃はお互いに血の気が多かったものだ」
今の二人は性格こそ違えど、どちらも温厚な印象に変わりない。初めて出会った時には喧嘩については触れていたが、やはり今の二人からは当時の様子はまるで想像がつかない。
「俺達を止めたのは、これまた偶然居合わせた鵺だった。あまりにも強すぎる鵺がいつの間にか共通の敵のような認識になっていてな。それまで喧嘩していた二人が、いつの間にか共闘として鵺へ向かっていった。結果は返り討ちだったがな」
「自分達がどれだけちっぽけな存在なのかを、これでもかという程に思い知らされた。だが、喧嘩を終えた後に三人で食べた飯は、それまでで一番美味かったことをよく覚えているよ」
馴れ初めを語る二人はむず痒い表情を浮かべながらも声色は晴れやかだった。若気の至りを語るのは恥ずかしいが、あれが自分達の成長に繋がったと実感しているからこそ、こうして話題にすることが出来ている。
「旅は良い。鵺との旅はサラサにとってもきっと実りあるものになる」
「はい。鵺様と共に様々な土地に触れてこようと思います」
旅の先達である二人からの言葉は短くも核心を突くものであった。
「サラサ、鵺のことをよろしく頼むぞ」
石蕗が神妙な面持ちでそう言った。その言葉が、サラサには少しだけ不思議だった。
「もちろん、私に出来ることなら何でもする心づもりですが、人間である私の方が鵺様に迷惑をかけてしまうと思います」
「そうでもないさ。君は君自身が思っている以上に、鵺にとって大切な存在だ。どうか鵺を守ってあげてほしい」
「我からもお願いする。鵺を頼んだぞ、サラサ殿」
鵺と長年の友人だからこそ、二人は鵺の弱さも知っている。戦いにおいては強大でも、彼自身は感情を持った一つの個性だ。心が荒み、時には激情に支配されてしまうことだってある。だが、大切な存在であるサラサと共にあれば、きっと最後の一線を踏み越えず、彼は鵺のままでいられる。サラサが思っている以上に、サラサは鵺にとっての支えだ。
「分かりました。鵺様の身に何かが起きた時は、私が鵺様を守ります」
言葉の真意までは読み解けなくとも、友人のために真摯である二人の姿にはサラサも思うところがあった。その言葉を真摯に受け止め力強く頷いた。
※※※
「優しいだけではない。サラサは芯の強い娘だな」
「真紅は運命に愛されていると言い伝わっているが、サラサ殿にとってだけではなく、鵺にとってもサラサ殿は運命なのだろうな」
サラサが砌の家を発ち、残った二人は感慨深げに縁側で茶を啜っていた。
「俺達に出来ることは少ないが、あの二人の未来が平穏であるように手助けしていきたいと思っている」
「同感だ。二人には幸せになってもらいたい」
「なればこそ、俺達が理想に掲げる妖と人間が再び共存できる世界の実現を、いっそう目指していかなくてはいけないな。妖と人間の持つ時間は決して平等ではない」
「ああ、サラサ殿には我と人間の共演を特等席でご覧いただくと約束もしたことだしな」
親友である鵺と彼が見初めたサラサ。二人が共に歩んでいく未来のためにも、妖と人間が共存できる世界であってほしい。理想を理想のままでは終わらせない。絶対に自分たちの代でそれを成し遂げるのだと、覚悟を新たにするのであった。
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