第10話 紬
「サラサ、いるかい?」
「はい。こちらに」
とある日。サラサの元を縷紅が訪ねて来た。鵺は不在で今は家にサラサ一人だ。
「鵺様は?」
「石蕗様とお話しがあるそうで出てらっしゃいます」
「まったく石蕗は気が利かないね。自分は長い付き合いなんだから、鵺様とサラサの時間を取るんじゃないよまったく」
相変わらず縷紅は石蕗への当たりが強い。裏を返せばお互いに本音をぶつけられる存在だということでもある。
「まあまあ、鵺様は皆様の鵺様ですから。私はこれから一緒に旅をするわけですし」
「サラサは寛容だね。そういうところが大好きだよ」
サラサは決して鵺の時間を独占するつもりはない。これから二人で過ごす時間を持てるのだから今はむしろ、鵺には里の住民との時間を大切にしてほしいと考えていた。
「今は何をしていたんだい?」
「少し勉強を。砌様に妖の世界の歴史に関する書物をお借りしたので」
「勉強熱心で感心するよ。あたいは勉学はさっぱりだ。文字を見ていると直ぐに眠くなっちまう」
鵺とお互いのことを知っていく上では、妖という存在に対する知識や理解を深めていくことも大切だ。一人の時もサラサは勉強を欠かさなかった。
「ところで、本日はどのようなご用件で?」
「そうだった。ただ遊びに来たわけじゃないよ。サラサにこれを渡そうと思ってね」
縷紅が持参してきた風呂敷を広げると、中には鮮やかな蜜柑色の紬が折り畳まれていた。
「綺麗な紬」
「彼者誰ノ里に運ばれてきた時の朱色の紬は修繕が難しいぐらいにボロボロだったからね。里に来てからは来客用の浴衣で済ませていたけど、それで旅に出るというわけにもいかないだろう。新しい着物が必要だろうなと思って、里の女衆で仕立てたんだよ。人間との交易で手に入れた生地もたくさん余っていたからね」
「もしかして、歓迎会の日に女性方で集まっていたのは」
「旅に出るとはまだ知らなかったけど、サラサのために新しい着物を仕立てていたのさ。旅に出ると聞いてからは、動きやすさ何かを重視して手直ししたよ」
「ありがとうございます。後で他の皆様にもお礼に伺わないと。実は着物をどうするかずっと悩んでいたんです。旅をするのに浴衣では軽装すぎますから」
「喜んでもらえて何よりだよ。仕上がりを確認したいから着てみてもらえるかい。着つけはあたいにお任せ」
「分かりました。よろしくお願いします」
サラサが来ていた浴衣を脱ごうとすると。
「戻ったぞ、サラサ」
間の悪いことに、石蕗の元から鵺が戻って来た。サラサは浴衣を完全には脱いでいなかったが、腕で抑えた浴衣が片口の辺りまで落ちていた。鵺とサラサの視線が交錯したまましばしの沈黙が流れ、間を置いてお互いの顔がどんどん紅潮していく。
「今は男子禁制だよ! さっさと出ていきな!」
「す、すまん。着替え中とは露知らず」
鵺に強引に回れ右をさせて、縷紅は鵺を縁側から外へ押しやった。足元には道すがら一緒になった化け狸の美墨と送り犬の白眉もおり。
「まったく、何やってんだよ鵺様。おいらは人畜無害な狸だから遠慮なくお邪魔を」
「いいわけないでしょうが色欲狸!」
美墨がしれっと家に上がり込もうとしたが、即座に縷紅が背中の皮を摘まみ上げて、家の外へと放り投げた。
「まったく野郎共ときたら。白眉は上がんな。襖を閉めて覗かれないように見張ってちょうだい」
「やれやれじゃ」
白眉だけが家へと上がり、犬の手で器用に襖を閉じて目隠しをした。
「鵺様も大概助べえだよな」
「お前と一緒にするな。今のは完全に事故だ事故」
鵺は美墨と共に己を戒めるように、襖に背を向けたまま縁側に正座するのであった。
「着つけが終わったよ。野郎共の立ち入りを認める」
縷紅が襖を解禁し鵺が振り返ってみると。
「美しい……」
思わず目を奪われるとはまさにこのこと。鮮やかな蜜柑色の紬がサラサの艶やかな黒髪と色白な肌によく馴染んでおり、これまで以上に本人の魅力を引き出している。これまでは来客用の簡素で味気ない浴衣姿だったので、印象がガラリと変わった。髪も縷紅が梳かして整え、紅などの化粧も施してくれたようだ。
「あたいもなかなかやるものだろう」
本来は着物の着丈などの最終確認だけするつもりだったのだが、鵺が帰ってきたことで急遽予定を変更。完璧なよそ行きの格好にサラサを仕上げることに決めた。鵺を強引に追い出したのは着替えるからというのはもちろんだが、ガラリと印象の変わったサラサを見せて、鵺を驚かせてやろうという粋な計らいでもあった。
「い、如何ですか、鵺様?」
化粧を施し、こんなにも鮮やかな着物を纏ったのはこれが初めてだ。サラサは慣れない様子でぎこちなく着物姿を見せびらかしてみる。
「美しい。美しいぞサラサ! 君の正体は天女だったのか?」
「その褒め方は流石に度が過ぎますよ。恥ずかしいです」
「私は世辞は言わん。全ての言葉が紛れもない本音だ」
「もう、鵺様ったら」
サラサの手を取って鵺は満面の笑みでサラサを褒めちぎる。美しいと言われてもちろん悪い気はしないが、だからといって天女とまで言われると流石に恥ずかしい。不意にもらした苦笑顔さえも、化粧の相乗効果で普段よりも色気があった。
「着替え中じゃなく、着替え終えた直後に登場なら最高に格好がついたんだけどね。間が悪いのが何とも鵺様らしい」
「まったくじゃ。だが、あそこまで真っ直ぐ女子に好意の言葉を伝えられる殿方もそうはおらんて。そこもまた鵺殿らしい」
「違いないね。どこかの石蕗にも見習ってもらいたいよ」
サラサの着付けを手伝った女性陣は二人だけの世界に入った鵺とサラサを見て、微笑ましくそんな感想を漏らすのであった。別の場所にいた石蕗がクシャミをしていたのはまた別の話。
「鵺様もいい顔するようになったじゃねえか。サラサちゃんとの出会いが、あんたを変えたんだな」
遅れて家に上がって来た美墨が先達のような貫禄で微笑んだが。
「かっこつけてるところ悪いが、狸の面で言われても迫力がないのじゃ」
「そ、そんな……」
白眉の情け容赦ない言葉に一刀両断され、美墨はガックシと肩を落とすのであった。
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