第7話 友
「お三方はご友人同士なのですよね。いつからのお付き合いなのですか?」
「正確には数えていないが、少なくとも五十年来の仲にはなるだろうな」
「五十年来ですか!」
鵺がさらりと口にした途方もない年月にサラサは吃驚する。外見年齢は鵺と石蕗が二十代、一番貫禄のある砌でも三十代といったところだが、妖に外見の年齢の印象は当てはまらない。種族にもよるが妖には長命な者も多く、中には数百年、数千年の時を生きる者も存在する。
「俺たちは元々故郷を飛び出し、世界中を旅して回っていた妖だ。その旅の中で出会い、自然と行動を共にするようになった」
「よもや、我らがここまで長い付き合いになるとは思ってもみなかったが。若気の至りで衝突し、喧嘩を繰り返していた時期が懐かしい」
「喧嘩を繰り返していたのは石蕗と砌だけだろう。私は喧嘩の仲裁をした記憶しかないぞ」
「違いない。いつも俺と砌が喧嘩を始めて鵺が間に入る。いつの間にか二人で協力して鵺に挑む形になりコテンパンにされる。あれはもはや様式美だな」
「それが我らの絆を深めたとも言えるがな」
過去に思いを馳せ、苦笑交じりに肩を竦めた石蕗に、砌も隣で感慨深げに頷いている。
「異なる種族の妖三人で世界中を旅したあの日々は、俺達にとってかけがえのない経験になった。もちろん中には辛い出来事もあったが、それらも含めて世界を自分達の目で見て回ることで見識が広がった」
「この彼者誰ノ里は、我と石蕗が辿り着いた一つの答えであり、新たな夢の出発点だ。まだまだ小さな一歩ではあるがな」
鬼と鴉天狗は妖の世界における二大勢力であり、古の時代から度々衝突を繰り返して来た歴史がある。そんな経緯もあって、石蕗と砌の関係性も当初から円満だったとは言えないのだが、喧嘩を繰り返しつつ、第三者的な立場にあった鵺が間に入ることでお互いに理解を深め、五十年来の友人関係を築き上げるまでに至った。本来は不仲の種族である二人が、あらゆる種族に開かれた彼者誰ノ里を開いたということには大きな意義がある。
「鵺よ。三人目の長の席はお前のために今でも空けてあるぞ。お前だってこの里を開いた一人なのだから」
「石蕗。気持ちはありがたいが私の態度は変わらんよ。私は長に相応しい器ではない」
「鵺様はどうして長にはならないのですか?」
サラサからすれば、これまでの経緯から鵺も十分に長に相応しい器に思えた。立場だけではなく人格においてもそうだ。
「前に言っただろう。私は里に定住はしていない。旅の果てに石蕗と砌はこの地に彼者誰ノ里を開いたが、私の旅はまだ道半ば。今もまた旅の途中だ。彼者誰ノ里とは親交が深いし、旅の拠点としても利用させてもらっているが、年間を通してほとんど不在だ。そんな妖に里の長など務まらないさ。旅人としては、肩書など持たずに身軽な方が良いしな」
「お前は妙なところで固いんだよ。里の住民に反対する者はいないだろうし、肩書こそ長だが、俺や砌だって普段から特別それらしい仕事をしているわけでもない。単に気持ちの問題だと思うんだがな」
「諦めろ石蕗。何十年も一貫して断り続けている鵺が今更頷くはずもなかろう。旅をしていた我らには、肩書を持たずに身軽でありたいという鵺の気持ちもよく分かるというものだ」
その一方で身軽でありたいと願う鵺が、サラサという女性を伴侶にしたいと願っている。もちろん肩書きと関係性はまったく別問題だが、鵺にとってこれは大きな心境の変化だと、砌も石蕗も長年の友人として感慨深く思っていた。
「友人として真面目に質問させてもらうが、サラサと出会った今、お前はこれからどうするんだ?」
今後の身の振り方について、石蕗が真剣な面差しで問い掛ける。一人の女性を愛し、守り抜くと決めた以上、鵺には相応の責任が伴う。サラサだけを彼者誰ノ里に残し、これまでのように自由気ままに旅を続ける、というのではあまりにも無責任だ。だからといってサラサの方が鵺のこれまでの生活に合わせようにも、妖の旅というのは生身の人間には過酷だ。綺麗ごとを抜きに、身体能力や体の頑丈さという点で、人間と妖には大きな差が存在している。
「そのことについてサラサに提案があるのだ。里の長として二人にも聞いてもらいたい」
石蕗の懸念は、鵺自身がサラサと出会って以来ずっと自問自答してきた問題だ。サラサと共に生活をしていく上で、自分はこれからどうするべきなのか。彼者誰ノ里で共に平穏に暮らすという選択もあるが、サラサの見識を一つの里に留めてしまっていいのかという葛藤もある。長年各地を旅してきた自分だからこそ、サラサに与えられるものもあるのではないかという考えに鵺は行き着いた。
「ご提案というのは?」
「この彼者誰ノ里を拠点に、私と共に様々な土地を巡ってはみないか? もちろん人であるサラサにも無理のない行程にしていくつもりだ。君はこれまで酷く歪な世界をばかりを見てきた。だがそれは世界のほんの一面に過ぎない。この彼者誰ノ里のように様々な妖が共存する里もあれば、妖に対して理解のある人間だっている。世界中を旅してきた私だからこそ、世界には様々な一面があると知っている。それをサラサにも見せてあげたいのだ。もちろん君のことは何があっても私が守る。私の隣はこの世界で最も安全だからな」
誰よりも自由な鵺の側にいることで、サラサももっと自由になれる。そうして世界を客観視することが、サラサにとって救いになるのではないか。それが鵺なりに辿り着いた結論だった。
「何があっても、鵺様が守ってくださるのですね?」
「ああ、君をあらゆる脅威から守り抜くと私の命に誓う」
ただその一点だけを確認したサラサの決断は早かった。鵺を真っ直ぐと見据え微笑みを浮かべる。
「鵺様と共にどこまでも参ります。私はこの世界のことをまだ何も知らない。もっともっとたくさんのことを知っていきたいです。そうすればきっと、私に過酷な運命を強いていた世界はちっぽけでくだらないものだったのと、一笑に帰す日もやってくるはずですから」
「サラサは優しく、そして強いな」
自分のいた世界を笑い飛ばすために世界をもっと知る。その心の強さに鵺を感服した。そんな彼女と共にこれから旅をし、隣を歩けることが光栄だ。
「サラサはどこか行ってみたい場所はないか? どこか思い出深い場所や、興味のある場所があるなら、そこを基準の行程を組む」
「それでしたら、一ヶ所だけ」
「ああ、どこでも申してみろ」
サラサの返答は早かった。それだけ思いの強い場所があるということだろう。
「母のお墓参りに行きたいのです。コウゲツという村の近くにあるお寺なのですが」
「そこに、先祖代々のお墓が?」
「……いいえ。母との旅の中で偶然立ち寄った土地です。そこで母が亡くなり、親切なお寺の和尚様が母を共同墓地に、無縁仏として弔ってくださいました。私は瞳を隠して和尚様に接していたのですが、この眼のことが発覚すれば親切な和尚様にも迷惑をかけてしまうと思い、以降は一度も訪れることが出来ずにいました」
「私と一緒ならば何も心配はいらない。そのお寺を目的地としよう。私も一度、サラサの母君にご挨拶をしたいしな」
「ありがとうございます。鵺様」
「礼など不要だ。亡くなったご家族のお墓参りをしたいというのは当然の感情だ」
そう言うと、鵺は空気が重くなり過ぎないように優しくサラサに微笑んだ。
「誰かと旅をするのなんて、それこそ石蕗と砌と旅をして以来だからな。心が躍っているよ。相手がサラサとなれば尚更だ」
「母とも旅をしていましたが、あれは迫害からの逃避行でした。自由を知るための旅をというのは初めてなので、私も今から楽しみです」
手を取り合って二人は目を輝かせ合っている。そんな様子を見て、石蕗と砌は一瞬目を丸くし、直ぐに笑壺へと入った。世界を自分の目で見て回ることがサラサのためになると信じて、彼女を守りながらサラサの歩幅に合わせて旅を続ける。愛する女性を思う気持ちと自分らしさを両立させた、実に鵺らしい決断だった。
「そういうことだから、当面は彼者誰ノ里を拠点に比較的近い地域から回っていこうと考えている。これまで以上に世話になるぞ、石蕗、砌」
「まったく。愛する女性と出会い、ようやく身を固める決心をしたのかと思ったが、鵺はどこまで行っても鵺だな。鵺とサラサが決めたことなら、俺達は反対しないよ。言わずもがな、里の理念は『来る者を拒まず、出る者を追わず』だ。旅へと出て、また戻って来る。反対する理由などどこにもない」
「拠点とする以上、ここで過ごす時間も増える。サラサ殿や鵺とこれからも交流が続くことを、里の皆も喜んでくれるであろう。旅から戻るたびに、里の者に歴遊の話でも聞かせてやってくれ」
「理解を示してくれて嬉しいぞ。石蕗、砌」
定住ではないが、鵺とサラサがここを第二の故郷のように思ってくれるだけで二人は嬉しかった。現実問題、石蕗や砌の理想とする未来を作るためには、積極的に外の世界と関わっていく存在も必要だ。鵺とサラサの旅は、決して石蕗と砌とも無関係ではない。
「何も早急に旅立つわけではないだろう。今日は朝から里の者達がサラサの歓迎会の準備で張り切っている。そろそろ集会場の方へと行ってやれ」
「私の歓迎会を里の皆さんが?」
思えば、今日鵺に紹介してもらった妖たちは普段の仕事と平行しながら何やら準備を行っている様子だった。それはサラサの歓迎のための準備だったのだ。
「石蕗、サラサ殿を驚かせたいから秘密だと、発起人の縷紅にきつく言われていただろう」
「あっ……」
砌が冷静に指摘すると、途端に石蕗の表情が凍り付いた。里の住民みんなで口裏を合わせていたのに、よりにもよって長が口走ってしまった。同じ鬼の一族とあって、縷紅は里の長である石蕗に対して良くも悪くも遠慮がなく、バレると後が怖い。
「サラサ、俺がばらしたというのはどう縷紅には――」
言いかけて石蕗は言葉を飲み込んだ。歓迎会が企画されていると聞かされたことでサラサは感極まり、瞳には大粒の涙を浮かべていた。
「……すみません。私、歓迎会なんて初めてで……嬉しくて……」
「嬉し泣きもいいが、本番ではぜひ笑顔を届けてやってくれ。その方が縷紅たちも喜ぶ」
「はい。鵺様」
サラサを優しく抱き寄せて、鵺が自分の着物の袖でサラサの涙を拭った。
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