第8話 宴
「私達は先に行っているぞ」
踵を返した鵺はサラサと肩を寄せ、神社の石段を下っていく。
「縷紅にはしっかり、石蕗が口を滑らせたと報告しておくぞ」
「ええい、好きにしろ!」
去り際の鵺の揶揄いに、石蕗は堂々と言ってのけた。一時は肝を冷やしたが、サラサの涙を見た後では、自分のちっぽけな恐れなどどうでもよくなった。そもそも自分が口を滑らせたのが悪いのだ。縷紅からの叱責は甘んじて受けるのみだ。感情までは御しきれず、恐怖で足は竦んでいたが。
「鵺は心からサラサを好いてるのだな」
「我も正直驚いた。あの鵺が誰かを愛する時が来ようとはな」
鵺とサラサが去った境内に残った石蕗と砌が神妙な面持ちで語り合う。二人の出会いは心から祝福しているが、同時にその関係が大きな危険性を孕んでいることもまた事実だ。孤高であり続けた鵺が大切な存在を見つけた。それは鵺を強くする一方で、悪い言い方をすれば完全無欠の存在が弱点を抱えてしまったことにもなる。
「二人の未来が明るいことを願うばかりだが、万が一サラサの身に何かが起きてしまったなら、あいつは本気で世界を滅ぼしてしまうかもしれないな」
「そうなれば、我らには止めようがない」
杞憂であってほしいが、鵺の人柄をよく知っているからこそ、最悪な想像も働いてしまう。鵺はサラサを心から愛している。今の鵺にとってサラサは世界の全てと言ってもいいだろう。だがもしも、そんなサラサを運命が理不尽に鵺から奪い去ったなら、鵺は理不尽なこの世界そのものを滅ぼしてしまうかもしれない。これは決して誇張ではなく、鵺という妖は間違いなくそれだけの力を有している。
鬼と鴉天狗。強大な力を持つ石蕗と砌を以てしても、鵺を止めることは叶わない。何故なら喧嘩を仲介された際、怒りに身を任せた二人が本気で鵺に挑んでも、手加減した鵺に一度足りとも敵わなかったのだから。
「俺達も歓迎会に向かうか」
「それがいい。今日はめでたい日なのだから」
悪い想像などしていても仕方がない。気持ちを切り替え、石蕗と砌も歓迎会の会場へと向かった。
※※※
「今宵はサラサの歓迎会だ。彼者誰ノ里に堅苦しい口上は必要あるまい。新たな仲間に乾杯!」
長である石蕗の音頭で、サラサの歓迎会の幕が開いた。歓迎会についてうっかり口を滑らせてしまった件で縷紅にお仕置きを受けたようで、笑顔がやや引き攣っていた。
夕刻から里の集会場前広場で執り行われたサラサの歓迎会は、笑いの絶えない賑やかなものであった。河童の親子である飛湍と早瀬が調達してくれた立派な川魚や里で栽培している新鮮な野菜を使用した豪華な食事が食卓に並び、妖たちは様々な余興でその場を盛り上げてくれた。
怪力自慢の大入道の郎郎が大きな樽を絶妙な均衡感覚で高々と積み上げると、会場から歓声が沸いた。次は火を操ることが出来る送り犬の白眉が宵闇の空を芸術的な火の舞で彩り、その幻想的な光景に誰もが目を奪われ、割れんばかりの拍手が巻き起こる。その次は化け狸の美墨の催しなのだが。
「今のは笑うべきところだったのか?」
「すみません鵺様。私にもよく分かりませんでした」
美墨が披露したしゃべくり漫談はいまいち笑いに繋がらず、場がしーんと静まり返っていたのはご愛敬。
「素晴らしい音色。砌様は音楽の才もおありなのですね」
「共に旅をしている頃から、あいつは誰よりも器用だったからな」
美墨の後に鴉天狗の砌が披露した三味線の音色は見事の一言に尽き、場には再び歓声が舞い戻った。その様子を見て背中を丸める美墨の背中には哀愁が漂い、いたたまれなくなったのか白眉がその肩にポンポンと触れていた。
楽しい時間はあっという間だ。夜も更け、歓迎の宴は縁もたけなわとなる。
「皆さん、今宵は私のために歓迎会を開いて下さり、本当にありがとうございました! 誰かから歓迎されたのなんて初めてで、本当に嬉しくて……このことは一生忘れません……」
予定に組み込まれていたわけではないが、切り出すなら今しかないと、サラサが自発的に発言した。
最初は笑顔でハキハキとしていたが、徐々に感極まり言い終える頃には大粒の涙が流れていた。鵺の言うようにせっかくの宴なのだから終始笑顔でいようと思ったが駄目だった。迫害を受けてきたサラサにとって、歓迎会はその言葉以上に特別かつ感慨深い出来事だった。感謝を伝えずにはいられない。居場所が出来たことが嬉しくて仕方がない。この里にやってきて本当に良かったと、心からそう思えた。
「サラサは泣き虫だね。あたいまで胸が熱くなっちまったよ」
縷紅までもがもらい泣きをし、隣の石蕗の作務衣の袖で涙を拭っている。サラサの思いの丈を聞いたことで、周りの妖たちも嬉しそうにお互いの顔を見合わせていた。
「鵺様、あの日森で私を救ってくださり、本当にありがとうございました。そうでなければ私はきっと、このような温かな気持ちを知らぬまま生を終えていたと思います」
「喜ぶのはまだ早い。君の人生にはこれから何度だって幸せが訪れるさ。君の笑顔のために、私はこれからも君に尽くしていく」
サラサを優しく抱擁する鵺の声色は、穏やかで慈愛に満ちていた。
「せっかくの宴じゃ。最後は盛り上がっていこうぞ!」
「ならば我も一曲添えさせてもらう」
歓迎会の終演に花を添えようと、白眉が炎を操り場を幻想的に照らし出す。そこに砌が三味線の音色を奏でてさらに場を盛り上げる。それを合図に妖たちが近くの仲間と手を取り合い、気の向くままに軽快に踊り始めた。
「踊りの腕は落ちてないだろうね」
「ふん。俺も甘く見られたものだな」
縷紅が石蕗の手を引き、息のあった動作で美しい舞を披露する。鬼の一族は舞が得意な者が多く、その美しさは妖の世界でも随一だという。二人の舞に置いていかれないよう、砌も巧みな三味線捌きで盛り上げていく。
「サラサよ。せっかくだから私達も踊るか」
「踊りなんて初めてで。上手く出来るかどうか」
「こういうのは技術ではなく気持ちだ。私に身を委ねろ」
鵺がサラサの手を引き、見事な仕切りで初心者のサラサを導いていく。鵺の言う通り、こういうのは気持ちが大切なのだ。鵺と共に踊る今を楽しむことで、初心者のサラサの動きもそれなりに様になってきた。
「初めてですが、とても楽しいです」
「私もだ。誰かと手を取り踊ったのなんてこれが初めてだよ」
先程の涙で目が赤みを帯びているが、鵺と踊るサラサは満面の笑みを浮かべていた。思わず見惚れてしまい、鵺の動きがほんの一瞬だけぎこちなくなる。間近に見るサラサの晴れやかな笑みは、雷の妖を痺れさせる程に強烈だった。
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