第5話 美墨と白眉

「ようやく自分の足で里を見て回ることが出来て嬉しいです」

「そう言ってもらえると、連れ出した甲斐があるというものだ」


 サラサが彼者誰ノ里へとやって来てから一週間。自由に動き回れるまでに回復したサラサをこの日、鵺は初めて療養先から連れ出し、彼者誰ノ里を案内していた。山間部に位置する彼者誰ノ里は豊かな自然に囲まれた深緑の地で、気候も安定していて住みやすい。ここでは多種多様な妖が暮らしており、農業や近くの川での漁業、山での狩猟、中には身分を隠して人里で交易を行う者まで、それぞれが自らの特技を生かし、協力して日々の生活を営んでいる。


「よう、鵺様」

「相変わらずの偉丈夫じゃの。鵺殿」


 鵺とサラサが肩を並べて歩いていると、人語を話す黒い狸と白い犬がの元へと駆け寄って来た。


「久しいな。美墨みすみ白眉はくび


 気さくな黒い狸は美墨、落ち着いた老人のような喋り方をする白い犬は白眉という。二人とも鵺が人間のサラサを連れて里へやってきたことは知っていたが、鵺はずっと療養するサラサの側にいたので、二匹もこうして顔を合わせるのは久しぶりだった。


「そちらの美人が噂の嫁さんだな。まったく鵺様も隅に置けない」

「里中で噂じゃぞ。生涯独り身を貫くとばかり思われていた鵺殿が嫁を連れて来たとな」

「まだ嫁ではない。余計なお世話だと言いたいところだが、サラサと出会わなければ、確かに私は一生誰かを愛することなどなかったかもしれないな。運命的な出会いに感謝している」

「おっ、白昼堂々お惚気とはやるねー色男」


 美人と言われたり、嫁と言われたり、鵺がサラリと熱い言葉を述べたり。傍目に聞いているサラサの顔がどんどん紅潮していく。


「彼者誰ノ里の住人の方ですね。私はサラサと申します」


 深呼吸をして落ち着きを取り戻したサラサが、膝を折って二匹に自己紹介をした。


「おいらは化け狸の美墨。特技は相手を化かすことだ。人の姿に化けてよく山も下りてるぜ。よろしくな、サラサちゃん」

「儂は送り犬の白眉じゃ。よろしくじゃ、サラサ殿」

「よろしくお願いします。美墨様、白眉様」


 人間の形式に則り二匹が前足を出したので、サラサは左右の手で握手を交わした。


「出会ったばかりで大変失礼だとは存じますが、一つお願いがあるのですが」

「里の者は皆、サラサ殿を歓迎しておる。儂らに出来ることなら何でもするぞ」

「おうよ、何でも言ってくれ」


 二匹の温かい言葉に、サラサは神妙な面持ちで切り出した。


「お二人の毛並みを撫でてもよろしいでしょうか!」


 思わぬお願いに白眉と美墨はお互いの顔を見合わせ、途端に破顔一笑した。


「どんな深刻な頼みかと思えばそんなことか。我は別に構わぬぞ。愛でられる感覚は嫌いではない」

「おいらのことも愛でまわしてくれて構わんぜ! サラサちゃんのような美人の抱擁はいつだって大歓迎――」

「白眉は良いが、お前は駄目だ美墨」

「お、おい、邪魔をするな鵺様」


 むしろ積極的にサラサの胸に飛び込もうとしてた美墨を、鵺が抱え上げてサラサから遠ざけた。納得がいかないと、美墨が眉間に皺を寄せ(まったく迫力はない)、鵺に猛抗議する。


「私の大切なサラサに、お前のような色欲狸を近づかせるはずがないだろう。私だってまだあまり触れていないのに」

「鵺様ともあろうものが奥手だね。おいらが見本を見せてやるからその手を離せやい」

「やかましい。今度余計なことを言えば雷撃を降らせるぞ」


 長身の鵺が見た目は普通の狸に過ぎない美墨と口喧嘩をしている様は、傍目に見ればなかなか滑稽である。


「美墨様は撫でては駄目で、白眉様はよろしいのですか?」


 いまいち状況を飲み込めていないサラサが白眉に尋ねた。


「鵺殿の男の意地じゃ。美墨は女好きの助べえじゃから。その点、雌である儂は信頼を得ておる」

「白眉様は女性だったのですね。喋り方でてっきり男性かと思っていました」

「昔人語を覚えた際に、変な癖がついてしまっての。それはさておき、女同士仲良くしようぞ」

「わあー。柔らかな毛並み」


 奥で野郎共が不毛な言い争いをしているのを後目に、サラサは白眉の毛並みを心行くまで堪能したのであった。


 ※※※


 美墨と白眉と別れた後も、鵺は里の様々な場所を案内し住人を紹介してくれた。

 漁師として川魚を調達してくれる河童の親子、父親の飛湍と息子の早瀬。鵺の三倍はあろうかという巨体の持ち強面だが、誰よりも心優しく積極的に力仕事を担ってくれる大入道の朗朗。里の集会場で仲間達と一緒に着物を繕っていた縷紅の元へも顔を出し、多くの里の女性達とも知り合いになれた。仕事や用事で不在だった妖は追々、一人ずつ紹介してくれるそうだ。


「本当に優しい方々ばかりで、心が温まるのを感じました」


 鵺の言うように、彼者誰ノ里の住人たちは個性的だが気持ちの優しい者たちばかりで、誰もがサラサを笑顔で里に迎え入れてくれた。彼らと一緒にいると、サラサも自然と笑顔になれた。人間の世界にいた頃には絶対にあり得なかった感覚だ。


「彼者誰ノ里は本当に平和で良い里だ。妖の里というのは他にもたくさん存在するが、これだけ多種多様な妖が共同生活を送っている土地というのも珍しい」


 妖の里というのは一つの種族で構成された地域の方が多く、彼者誰ノ里のような多種多様な妖が共同生活を送る里はまだ少数派だが、近年その数は少しずつ増えてきており、妖同士の交流も活性化してきている。将来的にはもっと大きな、町単位の妖が暮らす土地も誕生するかもしれない。

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