第4話 魂の色
「サラサ、また後で顔を出すからね」
食事を終えたサラサの茶碗を下げ、縷紅は自分の仕事へと戻っていった。サラサを気に入り、まだまだ話し足りないといった様子だが、サラサを独占しては鵺に申し訳ない。サラサの命を救い彼女を彼者誰ノ里へ連れて来た鵺自身が、まだサラサとゆっくりと話せる時間を持てていない。
「後はお若い二人でゆっくりと」
「年寄りをからうな」
お見合いの席を設けた親族のような縷紅の台詞に、鵺は苦笑した。
「鵺様は、この彼者誰ノ里で暮らしているのですか?」
「里の者との親交は深いが定住はしていない。元来私は、各地を旅する根無し草でな」
「では、その旅の途中で私のことを?」
「あの時、私が骸の森の近くを通りがかったのは偶然のはずだが、あるいはそれすらも定められた運命の一部なのかもしれないな」
「運命、ですか?」
「古より伝わりし言葉にこういうものがある。『真紅の持ち主は世界に愛されている。故に世界は決してその者を見捨てはしないだろう』とな。君に過酷な運命を強いて来たこの世界に思うところはあるだろう。だが、世界はやはり君を見放してはいない。あの時、私が君と出会ったのはそういうことなのだと思う」
鵺の言うようにサラサは内心複雑ではあったが、鵺との出会いは確かに、運命を感じるには十分すぎるほどに劇的なものであった。
「そもそも私の持つ真紅眼とは何なのでしょうか? 母はこの眼のことを、妖と人とを繋ぐ架け橋となれる存在だと言っていましたが」
「架け橋か。実に的を射た表現だ。真紅眼の持ち主は、異なる種族である妖と人間の関係性を仲立ちする大役を任されてきた歴史がある。真紅眼はあらゆる存在を最も平等に捉えるからな」
「申し訳ありませんが、私には意味がよく分かりません」
「無理もない。伝統が途絶え、今となっては人の世には、真紅眼についての見識を持つ人間も少ないのだろう。ましてや君が自発的にそれに気づくことも難しい」
サラサの母キヌエも、真紅眼が忌み嫌われるような存在ではなく、歴史上重要な役割を担ってきた存在であることは知っていても、その眼が持つ特殊な力のことまでは知らなかったのだろう。ましてや自分の見ている光景が、他の人々が見ている光景と異なることを、当事者であるサラサが自覚できるはずもない。
「サラサ。君には人や妖の周囲に、光のようなものが見えてはいないか?」
「見えています。初めてお会いした時から感じていましたが、鵺様の纏う黄金色は本当に綺麗で。私はこのような美しい輝きをこれまで見たことがありません。誰もが眼を奪われずにはいられないことでしょう」
初めて出会った時だけではない。今この瞬間も、サラサの真紅眼には鵺を覆う黄金色の輝が映し出されている。先程までいた縷紅は、凛とした赤い光を纏っていた。
「それこそが真紅眼特有の能力だ。その眼を持たぬ者には体を覆う光など見えぬ。無論、妖である私の眼にもな」
「この光が見えているのは私だけ? てっきり誰の眼にも明らかなものだとばかり思っていました……」
真紅眼を持つサラサにとっては体を覆う光も立派な視覚情報の一つであり、それはいわば彼女にとっての常識だった。衝撃の事実を直ぐには飲み込めず、目に見えて動揺している。
「落ち着け。それは何も悪いことではないのだから」
鵺がサラサの震える手を優しく握った。
「君が目にするその光は魂の色だ。真紅眼の持ち主は魂の色を見極めることが出来ると古来より伝えられている」
「光の正体が、魂の色?」
「魂の色とは知らずとも、目に映る光の違いや変化で、何か感じるものはあったのではないか?」
「私の認識では、光の見え方は大きく三つに分かれています。一つ澄んだ美しい光。一つは鈍くくすんだ光。そして最後の一つはもはや光ではなく、まるで影のような黒一色。澄んだ光を持つ鵺様や縷紅さんのことは、一目見て信頼に足る方だと感覚的に信じられましたし、亡くなった母も綺麗な山吹色の光を持っていました。反対にくすんだ光を持つ方の前では、失礼ながら身構えてしまいます。酷い言葉を浴びせられた時などは、特に相手にそれが顕著でしたから。影のようなものが見えるのは、骸の森で遭遇した陰摩羅鬼のような、異形の怪物がそうです。正直に言うと、くすんだ光よりも光が見えないことの方がより恐ろしく感じられます」
「その眼と共に生きてきた以上、感覚的に本質を理解しているようだな。前提として妖であろうとも人間であろうとも、本来は誰もが美しい魂の光を持っているとされる。だが、悪意や邪な感情、時には御しがたい恐怖心など、負の感情が高まってくると魂の色がくすむと考えられている。無論これらは一過性の場合も多いがな。君を迫害してきた者たちは差別意識と攻撃性に支配され、その結果魂の色がくすんでいたということだ。対して私や縷紅は君に敵意は無いし、私に至っては自由気ままに生きているからな。そういった解放感も魂の色にも反映されたのだろう」
「得心がいきました。では、陰摩羅鬼のような怪物の周りに影のようなものが見えるのはどうしてなのでしょう? 母はあのような怪物を禍津獣と呼んでいましたが」
「母君の言うように、あのような異形の怪物は古来より禍津獣と呼ばれている。影のようなものが見えるのは、魂と呼ばれる部分が全て負で出来ているからだ。あれは異形の怪物や時には人間に似た姿を象ることもあるが、その本質はあらゆる負の感情が堆積した実体を持つ災厄。生き物というよりも、災害のような概念に近いだろう。奴らは人間を殺すことしか考えていない。恐怖心を増幅させ、負の感情を世界に蔓延させていくためにだ。そうして奴らは個体数を増やしていく。これも列記とした世界の仕組みの一つであり、これまでに幾度となく繰り返されてきた歴史だ」
「実体を持った災厄。禍津獣とはそんなにも恐ろしい存在だったのですね」
「まあ、私の敵ではないがな。ハッハッハ」
鵺の豪快な笑いに、サラサの憂いも薄れてしまう。悪戯に彼女を思い悩ませないようにとの鵺なりの気配りだった。不安を煽りたくないので言葉には出さなかったが、近年禍津獣の数は増加傾向にある。真紅眼でいうところの、くすんだ魂の色を持った者が増加している証だ。長年妖と人間の間に不和が生じていることも合わせ、この世界の雲行きは不穏と言わざる負えない。
「繰り返すが、妖だろうと人間だろうと、魂の色は本来美しい。魂に種族の別はないのだ。美しい魂を持った人間だってたくさんいるし、逆に魂の色が淀み、闇へ落ちた凶悪な妖だっている。大切なのは君自身の眼で相手の魂を見極めることだ。これだけは覚えておいてくれ」
「胸に刻んでおきます。鵺様のお話しを聞いて改めて実感しましたが、私は幸運だったのですね。こんなにも美しい魂の色を持った鵺様に命を救われたのですから」
「……なんだか面映ゆいな。流石の私も魂の色を褒められるのには慣れていない」
照れ臭そうに頬をかく鵺の仕草は少年のようで、長身との対比でとても可愛らしく思えた。自然とサラサの表情も綻ぶ。
「真紅眼は種族ではなく、魂の色であらゆる存在を平等に捉える。だからこそ異なる種族である妖と人とを結ぶ存在となり得たのだ。禍津獣と妖との区別が曖昧となり、差別感情が真紅眼の持ち主にまで波及してしまった現状が嘆かわしい」
真紅眼は本来迫害されてよい存在ではない。この現状が罷り通ってしまっている現在は、最も危険なのかもしれない。
「だがもう心配はいらない。君を脅かすあらゆる危険から、私が守り抜くと誓おう」
「どうして鵺様は、出会って間もない私のためにそこまでしてくださるのですか?」
「……言わねばならぬか?」
「もちろん無理にとは申しません。お気を悪くされたのなら謝ります」
「いや、こちらこそ気をもませて済まぬな。決して言えない理由があるというわけではない。ただ、いざ言葉に出そうとすると心の準備がな」
「それほど深刻なお話しということですね」
神妙な面持ちの鵺を見て、サラサもゴクリと生唾を飲み込む。しかし事の深刻さは、サラサの想像とは少し異なる位置にいた。
「……立ち止まるなど、雷の速さを誇る私らしくもないな」
覚悟を決めた鵺が大きく深呼吸をした。
「……れだ」
「はい?」
らしくもなく鵺はボソボソと呟く。実際にはまだ覚悟は決まっていなかったようだ。主語を聞き取れず、サラサも思わず聞き返す。真っ直ぐな視線を向けられ、鵺は今度こそ覚悟を決めた。
「君に一目惚れをした。好意を抱く女子の助けになりたいと思うのは自然なことだろう」
「私に惚れ……ええええええええええ」
しっかりとサラサの眼を見据えて言い切った直後、鵺の頬が目に見えて紅潮していく。男気と恥じらいが共存した味わい深い表情だったが、それを堪能する余裕はサラサにも無かった。一瞬言葉の意味が理解出来ず、一呼吸置いてそれを理解すると同時に赤面。らしくもない悲鳴にも似た声を上げた。気恥ずかしさからお互いにお互いの顔を見ていられず、気まずい沈黙がその場を支配する。
「……取り乱してしまい、申し訳ありません。殿方から好意を告げられた経験など、これまでは無かったもので」
「私もこんな経験は初めてだ。戦場へと赴くよりも、よっぽど覚悟を試される」
沈黙は長くは続かなかった。思いを告げられた側のサラサはまだ困惑が勝っているが、鵺の方は言葉に出したことで肝が据わった。
「骸ノ森で君と出会った時、私は一目で君に心を奪われた。その命の灯を失わせてはいけないと、魂でそう感じたのだ。これは決して一時の感情ではない。今この瞬間も胸の高鳴りを感じている。こうして会話をして理解を深めていくごとに、外見だけではなく、サラサの人柄に、その魂に、私はどんどん惹かれていく。こんなことは今まで初めてだ。私は君を生涯の伴侶としたいと感じている」
熱量を伴った、それ故に裏表のない素直な感情。それまでは困惑していたサラサも、鵺の感情を真っ直ぐ受け止めなければいけないと、真正面から鵺の眼を真っ直ぐと見据えた。
「……あまりにも突然ことでしたから、何とお言葉を返していいものか。女としての人生など、私には無縁だと思っておりましたから」
出会って間もない間柄だが、サラサも鵺には好感を抱いている。だが、あまりにも突然の出来事に感情が許容量を超えてしまい、今は考えがまとまりそうになかった。
「案ずるな。私の気持ちは伝えたが、直ぐに返事をもらおうとは思っていない。我々には種族や生きてきた世界の違いもあるし、何よりまだ出会って間もない間柄だ。少しずつでも私のことを知っていてもらえたら嬉しく思う。返事はその上で聞かせてくれ。無論どのような返事であったとしても私はそれを受け入れる所存だ。これは私が始めた恋なのだからな」
必死に平静を装いながらも、本音では一杯一杯なのだろう。思いが実らない可能性に触れた瞬間、言葉が微かに震えていた。失敗など考えたくはない。それでもサラサを縛り付けるような真似はしたくなかった。恩を着せるようなことは絶対にしない。自分から始めた恋に鵺は真っすぐで誠実だ。
「はい。私も鵺様のことをもっとたくさん知っていきたいです。不束者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。サラサ」
鵺の手にサラサは優しく自分の手を重ねた。焦る必要なんてない。今はゆっくりとお互いのことを知っていくことが大切だ。ここにはサラサを虐げる者はいない。時間はたっぷりとある。かくして、真紅眼の少女サラサと妖の鵺の関係は始まったのである。
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