第6話 門出

 

 記憶にある限り、セリオスにとってこの街は馴染み深い。知らない道を選んで歩いていたとしても、おおよその場所を把握出来る程度には知っているつもりだ。

 どれほど前からこの街に居たのだろうかと考えて、少なくとも自分が生まれてからの月日を半分に割ったよりも余裕で多いくらいではなかろうかと当たりをつける。そう考えると、随分と長い事アズネロの工房に所属してるのだと思い知る。

 加えて、アズネロはセリオスにとって親代わりでもあった。出て行く事に抵抗があったのは、親離れが出来ていなかったのだろうか。


「あぁ……そう、そっかあ……」


 そう思うと、恥ずかしさにいたたまれなかった。蹲りたい気持ちを堪えて、せめて同僚にはその事が筒抜けになっていない事を願うばかりだ。



 近道でもある細い路地を抜けて行くと、人気の薄い裏通りに出る。

 人気が薄いと言っても、決して静かであるわけではない。一帯には多くの同業者の工房が軒を連ねており、絶えず徒弟の往来や、誰かの指示する声で賑やかしいのが常だ。

「……あれ?」

 だがしかし、今日に限っては様子が違った。入り口から入ると、工房の賑わいを感じられない。それどころか、慌ただしく道具を抱えて奥へと走る下働きが見られるばかりだ。

「あの」

「ひっ!」

 訝しみつつセリオスが手近な少年に声をかけると、下働きの少年は目に見えて飛び上がった。

「ええと、驚かせてしまってごめんね。ノルトに会いたいんだけど、居るかな?」

「あ、えっと……」

 尋ねると、まだ不慣れな様子の少年は、不審者でも見たかのように、しどろもどろになりながらこちらを見た。そんな様子に、セリオスも何だか申し訳ない気持ちになる。

「僕はアズネロ親方のところのセリオス。ノルトが前居た工房の関係者なんだけど」

「あ……そうでしたか。すみません、てっきり……」

 セリオスが名乗ると、目に見えて少年はホッとしていた。その挙動があまりにも大袈裟で、リシュリオの言っていた店仕舞いしなくてはいけない状況の影響だろうかと当たりをつける。

 セリオスが一人で賄っているアズネロの工房とは違い、ここのように火を落とせない工房もあるだろうから、なんともはた迷惑な話だと思う。同期がその対策に追われていない事を願うばかりだ。

「その、依頼か何かですか?」

「ううん、個人的な話。僕とノルトは同期だったんだけど、工房の事で伝えたい事があるんだ。忙しそうなら、言付け頼まれてくれるだけでもいいんだけど」

 恐る恐るこちらを伺ってくる彼をこれ以上驚かさないように、なるべく優しく告げると、彼は難しい表情で押し黙った。

「ええと、どちらがいいか、上の人に聞いてきてもいいですか」

「うん、頼むよ」

 しまったなと思いつつ、セリオスは頷いた。あまり勝手な事をしていると彼が怒られてしまうだろう。


 建物の奥へ向かう少年の背中を見送りながら、セリオスは工房内の慌ただしさを垣間見た気がした。中では、それこそてんやわんやの様だ。

 少女の四翼飛行機フロートを直すなと言った者たちの影響は、それほどまでに大きいのかと不安に感じずにはいられない。自分のところにその圧力が来なかったのは、一重に親方不在で工房を正式に開けていなかったからだろうと容易に想像ついた。

 ただ、だからこそ。四翼飛行機フロートに手を出そうとしていなくとも、関係ない気がした。噂の彼女そのものが今正に、工房にて匿っている状態なのだと思うと気が気でない。


 不安と言えば不安しかないのだが、気にしても仕方がない。振り払うように緩く頭を振っていると、向こうから急ぎ足で来る姿に気がついた。

「セリオス! よかった、丁度行こうかと思ってたところだったんだ。すれ違わなくてよかった」

「急にごめん、ノルト」

 向こうからやって来た姿は、尋ね人であるノルトに相違ない。中肉中背の何処にでも居そうなその青年は、頭に巻いたタオルをほどきながらやってきた。刈り上げた赤髪は、汗で髄分くたびれている。

 同期とはいえ、ノルトの方が少し年は上だ。そのせいもあってか、仕事以外の場所で兄のように世話を焼かれる事が多かった。

 ノルトの言葉にセリオスは首を傾げた。「来るつもりだった? すごい忙しそうだけど大丈夫?」

 あまり良いタイミングだとは思えなくて訊ねると、ノルトは緩く首を振った。ここで話し込むのはなんだからと手招きされるままに工房の脇に誘われて、場所を少し移す。

「実は人手的には問題ないんだ。ただ今日はさっきからちょっと、入れ違いに来客があってな。お前のところは大丈夫か心配だったんだ」

「……もしかして、工房を一時的に閉めろって?」

 やはりリシュリオ達の言っていた事は事実のようだ。普段であれば屈託なく笑うノルトの表情も、今回ばかりは曇っていた。

「まさかお前のとこにも来たのか? 怪我してないか?」

「いや、特には。それこそ、僕の所には二輪車レベラルの修理依頼くらいしか来てないよ」

「ああなら、別件か。いや、行ってないなら良いんだ。ほんと、急に乗り込んてきて何かと思えば偉そうな……おっとと。兎に角、賑やかな奴らだからさ。セリオス一人のところに押しかけて行っていたら、お前が何されたもんか解ったもんじゃなくて気が気じゃなかったんだ」

「ははは、ありがと」

 ここでもまた心配かけてしまっていたのかと、セリオスは苦笑した。

「そんな忙しいところに本当にごめん。僕、暫く本格的に工房を空ける事になるから、それを伝えに来たかったんだ」

 告げると案の定、驚いた顔をされた。

「お前が工房を空ける? ついに所属移すことにしたのか?!」

「移すと言えば、そうだね」

「どこにっ……いや、ウチって訳じゃないんだろ? まあ、お前の技術ならどこでもやっていけるとは思うけど……」

 心配だと解りやすく顔に書いて、悩ましそうにノルトは腕を組んだ。その姿にまた苦笑する。

「あー、その、移るのは工房じゃないんだ」

「は……? え?」

二輪車レベラルの修理の依頼主が空賊でね。そのリーダーさんに誘われて、親方を探すついでに世界を見てこようかなって」

「はあ?! お前はまたっ、なんでそんな極端な……!」

 空賊って、と。頭が痛いと言わんばかりに、ノルトはこめかみを押さえていた。

「……いや、うん。お前が決めたこと譲らない頑固者だって解ってるし、止めようとは思わない。思わないけども……まさかそう来るとはなぁ……」

 親方バカは理解していたが、追いかけるだなんて重症だな。そうぼやかれて、セリオスには返す言葉もなくはははと乾いた笑みを溢した。

「それで忙しいのは承知なんだけども……時々工房の戸締まりとか見て欲しいんだ」

「ああ……解った。出ていくときに鍵はいつもの所に置いておいてくれ。後日取りに行くよ」

「ありがとう、助かる」

 もっと反対されるかと思っていたセリオスは、ほっと胸をなで下ろした。

「お前に説得は無駄だってわかってるからなあ……」

「ええ? 何それ酷いなあ」

 その時だった。

「っ、やべっ」

「わっ」

 奥からやって来る姿に気が付いたノルトが、セリオスの腕を強く引いた。早急に道を開けるように見せかけて、セリオスを自分の背中に隠していた。


 それと同時に、三人ばかりがやってくる。

 一人は屈強そうな大男。決して低くない工房の天井に、もう少しで届いてしまうのではなかろうか。年齢は伺えない。

 目元はサングラスによって知ることは出来ないが、顔付きがただ者ではないと知るのに容易い。グローブのような大きな手に、セリオスは思わず目を丸くした。

 もう一人は女。大男の隣にいる為に、随分と小さく見える。

 しかし見えるだけであって、決して小柄とは言い難い。少なくともセリオスよりは目線が高かった。壁際に飛び退いて道を開けた二人に、不快そうな青い目を向けていた。どこか冷たい印象が強い。


「それじゃあ親方さん、よろしく頼むねー? ボスはいい返事がある事を期待してるから」


 そして後ろに立つ工房の親方に、くすくすと楽しそうに告げたのは、二人の後ろから付いてきていた青年の姿だ。

 年は恐らく若い。リシュリオたちと同じくらいだろうか。しかし、醸し出す空気感が独特に思えた。前を歩く二人の重々しい雰囲気とは相対して、目を細めて笑う軽薄な様子のせいかもしれない。

 特別何か特徴がある訳でもないのに、どこか見たことあるかのような顔つきに、セリオスは自然と目が引かれていた。その事実に、自分でも訝しく思う。

 銀髪に編み込んでいた五色の組紐が、歩行に合わせて誘うようにゆらりと揺れていたせいかもしれない。ちらと糸目と目が合った気がするのは、セリオスが見すぎたせいだろう。


 連れ立ってくる工房の主である親方が返答をしなくとも、青年は意にも留めていないようだった。

 嵐は颯爽と去っていく。


 その集団が完全に見えなくなるまで見送った中で、親方は深く溜め息をついていた。

「親方……その、大丈夫ですか?」

 恐る恐る、隣に並んだ姿をノルトが訪ねた。うんざりした様子で、大丈夫に見えるかと唸られる。

「彼らは一体……?」

「空の治安隊を気取ってる傍迷惑な奴らさ。何処ぞの四翼飛行機フロートの持ち主が訪ねてきたら、自分らに付き出せってだけだ。それだけの用件で、わざわざ用心棒並べて圧力かけに来たんだよ」

「最初に来た悪漢共とは別口ですか?」

「別口だろうがそうでなかろうが、関係ねぇよ。よっぽどその四翼飛行機フロートの主が訳有りなんだろってだけの話さ」

 どいつもこいつも迷惑かけることだけは一人前だ、と。腹立たしそうに奥へと戻る姿に、セリオスとノルトは見合わせた。


「ノルト、落ち着くまで見に来なくていいや」

 変に立ち寄られても面倒だと思ったセリオスは、苦笑して断った。一人で何かがあったときに、多分対処しきれないとの判断だった。

「悪いな。丁度俺も思ったところだよ」

 その言葉に、ノルトも同意する。仕方がないなとお互い肩を竦めると、緊張がほぐれたせいかくすくす笑った。工房を閉める自分には他人事だという気持ちがあったからかもしれない。


「それじゃあノルト、僕は行くね。戻ってきた時は顔を出すから、また会おう」

「ああ、気をつけてな。いい旅を。それから、アズネロ親方に会えることを願ってるよ」

「ありがとう」


 セリオスは心から笑ってお礼を告げると、これ以上の長居は不要だとした。

 工房の入り口をくぐると、幸先を祝うような青空が広がっていた。


 見送ったノルトが、久方ぶり程に見たセリオスの晴れやかな笑顔に「本当に親方が好きなんだな」 と、苦笑していたことには気が付かなかった。

 

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2024年12月13日 08:00
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モノクロとレース編みの歯車 紫餡 @sian_ooo

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