第5話 葛藤
工房の上にはアズネロの私室と、簡素な小部屋がいくつかある。
アズネロの機械工房がまだ活発だった頃、セリオスの他にも弟子は幾人か居た。ただ当時から住み込んでいたのは、セリオスの他にはもう一人だけであった。その一人も、既に余所の工房に移って久しい。
普段から時折掃除していたお陰で、埃っぽさがなかった事にセリオスはほっとした。少女とルーザにシーツを持たせて部屋に案内し、設備と裏の出入口を好きに使っていいと案内し終わったところで、漸く一息ついた。
少女は何か不平を漏らしていたような気がするが、全て聞こえないものとして無視した。
思えば、この工房に人がこれほどいるのはいつぶりだろうか。それほど経っていない筈だと言うのに、思いの外長いこと、静まる工房で過ごしていたような気さえする。
「やあ、お帰り」
「お待たせしました」
作業場に戻って、セリオスはご機嫌な様子のリシュリオに迎えられた。思えば、誰かと工房で作業するのも久しい。
「悪いな、待ちきれなくて勝手に道具借りてしまってたよ」
ごめんね、と。肩を竦めた彼の傍らには、
「え……良かったんですか?」
「うん。どうせもう少し軽い仕様に変えたいなって思っていたからさ。そもそも前に重心持ってきていたせいで操作もしにくかったし、丁度いいかなって」
「そうですか。……後方に動力装置系統を詰みなおします?」
「元々あるからそれは大丈夫。いや、そうだな……」
リシュリオはあたりをぐるりと伺って、それから作業場の奥に目を留めた。「ねえ、折角だからさ。君の
「え?」
「さっき見せてもらった時、動力部分が手つかずになってしまっているの見てしまったんだ。で、丁度ここに、
茶目っ気づいてウインクしたリシュリオが示したのは、紛れもなく彼の壊れてしまった
「え……。え!? いやいや、でもそれは!」
「君が嫌なら無理強いはしないけども。このまま単に戻してもつまらないし、俺は君の――――まあ、正直言ってしまうとアズネロ親方の弟子がどんな
期待の籠った眼差しを向けれれて、セリオスはたじろいだ。
「僕は……まだ、その。重力装置系統は扱った事がないので……」
「でも知識はあるんだろう? それに、反重力装置なら俺が扱い慣れてるから、おかしなところがあれば気が付けるよ」
どう? と。尋ねられて、セリオスには断る言葉が思いつかない。うーん、と頭を悩ませて、やがて困りながら思い切って尋ねた。
「…………なんで、そこまでしてくれようとするんですか」
「何故って……うーん、理由が必要だって言うなら……そうだなあ、俺の為?」
質問が不思議だと言わんばかりの表情に、セリオスはまた首を傾げた。「貴方の?」
「うん」
リシュリオはにこりと笑った。
「俺さ、空賊やって、乗ってる飛空艇の機械工やってるけどさ、誰かに師事を仰いだ事ないんだよね。ぜーんぶ独学」
「え?!
「そそ。昔はスクラップ場に勝手に忍び込んで、勝手に解体して中身見て、ってやってたんだ。あとは勘と慣れ。どこをいじったら、いつもよりこっちが良かったとか、これをしたら調子がおかしかったとか、そんなん。だからさ、自分に無い知識を、お兄さんから知りたいんだ」
結局この
「どう? やってみない?」
「……解りました。こちらこそ、お願いします」
リシュリオの提案は、セリオスにとっても願ってもないものだ。学びたいと言われたものの、セリオスの方こそ、与えられた機会を逃す手はない。
「そしたら悪いんだけど、解体からやっていくよ」
「はい」
セリオスは道具を持ってくると、早速隣にしゃがんだ。
手を動かしながら、リシュリオはこちらに顔を向けた。
「そうだお兄さん、名前聞いてなかったな」
「あ、セリオスです」
「よろしく。出来れば気安く喋ってくれると嬉しいな。呼び捨てで構わないし。堅苦しいのは苦手でさ、むずがゆいんだ」
苦笑しながら言われて、セリオスも瞬きした。
「ええと……リシュリオがそう言うなら」
「助かるよ。なあ、セリオスはどれくらいここで学んでいる?」
「うーん、よく覚えていないけど、結構長い……かな。十年……いや、もうちょっとかな。十三年くらい? その前は親方に拾われる前にの話になるから、あんまり覚えてなくて」
「そうなのか」
「うん。ただ……」 セリオスは目を閉じて眉間を揉んだ。「地平線まで見える緑の草原と、その中にポツンと崩れてた瓦礫と、穏やかな空を見上げていた事は覚えてる。人はそこに誰も居なかった気がするけど……多分、あそこが僕の故郷なんだろうな」
「ふうん。草原、か。この辺りではなさそうだな」
リシュリオが知る限り、一帯に地平線が見られる程の草原は近くにない。
今の街から見えるのは、南北に聳える連山と、そこから東に流れる緩やかな河川があるくらいだ。河川には橋が架けられており、街道も整備されているお蔭で、街の交通の便は地上も上空も悪くない。
北と南に穏やかに並ぶ山々は、特に空の行き来を後押しするかのような、強すぎない風が特徴だ。
「その草原や故郷に行きたいって思ったことはないのか?」
「どうだろう……記憶にそれしかないから、思入れも特にはないかな。それに僕には他でもなく、親方の工房があるから」
「なるほど、俺と正反対だな。俺は昔から当たり前に飛行艇に乗ったり、機械いじったりってしていたからなあ。どこかに留まるって、あまり考えた事ないな」
リシュリオは小首を傾げて、手元の工具をくるりと回した。
「ってなると、誘いに悩んでいるのはそこか。やっぱり外に出るのは不安の方が大きいか?」
「不安……と言えばそうなのかも。何がって言われると、自分でも解らないけど」
「そうか」
気が付くと、セリオスは自分の中の迷いを探そうとして、手元をぼんやりと眺めていた。その姿に、じゃあさとリシュリオは問いかけた。
「空そのものは怖い?」
「いや……そんなには。多分」
セリオスは迷った後、ゆるく首を振った。止まってしまっていた手をまた動かす。
「むしろ僕は、憧れていると思う。自由に見える空に。そうじゃなかったら、自分が乗るための
「良かった。じゃあ、君が気にしているのは彼女の事の方かな。信じられないんじゃないか?」
「……そうかも」
「はは! まあ、あんなじゃじゃ馬娘にいきなり絡まれたら、堪ったもんじゃないかもな」
俺の
そんなセリオスの様子を伺いながら、リシュリオは手を休めるように工具をくるりと回した。何を見るわけでもなく、何となく目先の棚に目をやる。
「彼女自身は別人だって否定したから、これはただの無駄話に過ぎないけれど。セリオスは帝国の話は知ってるか?」
「帝国って、ここから北西の方にある巨大な機械都市の事? 確か、都市全体が工場って話の」
「そそ。あそこの空気も空も、廃棄された煙で汚いって話でさ。くっさいらしいし、飛空艇乗り泣かせなんだわ」
「そこのお姫様が、
「ははは! そう言ってやんなって。単に帝国が囲っているってだけで、実際あの街をお嬢さんが動かしている訳じゃねえよ」
リシュリオはどこから話したものか迷って、うなじをかいた。
「帝国が囲っている白と黒のお姫様方は、それぞれその能力を買われて囲われていてね。白姫エスタは身体能力にとても優れていて、例えば
「え……」
じゃあこれは、と。思わずリシュリオの
「まあ、例外もあるさ。俺の
「わあ……」 それを聞いて、セリオスの口許は引き吊った。「何て危ないものを……」
「悪かったって。エンジンかけるときの方が暴れるから、出来れば楽をしたかったんだ。結果、君と知り合えたんだから、俺としては文句ねえさ」
「……期待が重いなあ」
嫌そうに眉を寄せたセリオスに、リシュリオは苦笑していた。
「気負わせたい訳じゃねえんだ。あまりそう警戒しないでくれよ」
「これだけ言いたい事好きに言っておいて、警戒するなって方が酷くない?」
「悪かったって」
申し訳無さそうに眉を落としていたリシュリオは、改まった様子で手元に目をくれた。
「――――話を戻すと、黒姫アジェイは優れた頭脳を持ってるって話でね。彼女の発想は五年先の未来のものだと言われている程なんだ」
「五年先……」
セリオスは無意識に生唾を飲み込んでいた。それが事実だとしたら、とてつもなく恐ろしい気がしてならない。
「その五年先の記憶を、
「……まあ、そうなるね」
「そんなの、ついて行ったら泥船に乗るようなもんじゃない……あ」
ぽろりと呟いてから、セリオスは慌てた。隣を恐る恐る伺うと、リシュリオは苦笑していた。
「うーん、まあそう言われる気しかしていなかったけどなあ」
リシュリオはわざとらしく真面目な表情を作った。
「セリオス、お前俺の飛空艇が泥船だって言いたいのか?」
「え、あ……いや、そう言う訳じゃ」
「ははっ、解ってるって。お前の言いたい事は解る。危険は承知」
期待通りの反応だと、リシュリオはくすくす笑っていた。そして、またおどけた様子で肩を竦める。
「けどさ。見て見ぬふりの方が、もっと危険だと思ったんだ。エスタもアジェイも、今までは大人しく属国の発展に協力していた。だと言うのに、エスタが肉親の記憶を奪ってまで逃げ出しているんだ。多分、放っておくとかなり危険な事態なんじゃないかって、俺は思った」
「…………リシュリオは」 言いかけて、セリオスは躊躇った。
「何?」
「その、こんな言い方失礼だとは思うけども……一介の空賊でしょう? なんでそこまで危険を冒してまで、彼女を助けようとするの?」
別にリシュリオがやらなくてもいい話だろう? そう気まずそうに続けたセリオスに、彼は笑った。
「危険、な。こればっかりは個人的好みというか、好奇心というか。少なくとも正義感はないぜ?」
どう言ったものか迷った様子のリシュリオは、これだけは言えると、困った表情を柔らかくした。
「俺は彼女を匿う事が危険だとは、それほど思っていないんだ。危険って一括りに言っちゃあ元々、空賊稼業に危険は付き物だしな。それよりも、俺自身に何か出来た筈なのに、何もしない内に大切なものを取り零す方が、俺には恐ろしい。――――だって、嫌だろ。この空はどこにでも続き、どこまでも広がっていて誰のものでもないのに。それが、重要な局面を知らないフリした結果、脅かされるかもしれないなんて」
「リシュリオは、本当に空が好きなんだね」
エンジンを繋げる部品を取り外しながら、セリオスは肩を竦めた。「……だとしたら尚更、僕みたいなのが行く意味はあるのかなぁ」
ぽつと呟いた言葉は、頼りなかった。ぎゅっと、手にした工具を強く握る。
「親方の事は、僕も確かに気になってるんだ。でも、リシュリオみたいな心意気がある訳でもない。空には憧れるけども……飛び出して行けるほどの、度胸がないかな」
「そうかな」
「そうだよ」
きっぱりと言いきったセリオスに、リシュリオは何度となく苦笑した。
「なあ、セリオス。気がついてるか?」
「え? 何に?」
「今の、自分の顔。俺にはさ、出来ないやれないって否定的な事を言ってる時の方が、随分と苦しそうな表情に見えるんだけどな」
「え……?」
「彼女に言われっぱなしだった時も、今も、何か本心を我慢してない?」
「本心…………そんな筈は」
ないと言おうとして、その先を続ける事は出来なかった。外に向かっていく事に躊躇いはあるのに、留まりたい、外に行きたくないと否定がどうしても出来ない。
「彼女の事で不安があるだろうし、アズネロ親方の事で心配もあると思う。でもさ、それで二の足踏むのは勿体ないよ。一先ず全部忘れて一緒に空を飛んでみようぜ。一人で空に踏み切るよりも、ずっと気が楽と思うよ。何せ空を知ってるって俺やルーザがついてるんだぜ? 空に憧れがあるって言うなら、きっと気に入るよ」
それに、機械いじりが好きな仲間が増えるのは大歓迎だ。そう屈託なく笑ったリシュリオに、セリオスは瞬きした。
余りにも、自信満々に言う。
余りにも、当たり前に言う。
「ついでにアズネロ親方に会ってみたいな」
そんないたずらっぽく言ってのけた姿に、セリオスはついにぷっと吹き出した。
「ふ……はは! あははは!」
頬の強張りに、随分と久しく声を上げて笑っていなかったのだと気が付かされる。
「はは……あ、うそ、顎痛い……ふ、はははっ」
思わず出た涙を拭っていたら、そんなに笑わなくてもいいじゃないかとリシュリオはわざとらしく肩を竦めた。
「ごめん、なんかこう、僕が馬鹿みたいで……ふふっ」
「それでそんなに笑う?」
「うん。……だって、情けなくて」
言葉にするのも恥ずかしくて、思わず手元を見据えた。
「親方が居なくなった時も、同期にすごい心配された。皆の事はさっさと割り振れたのに、僕だけ残る必要はないって。でも……変に意固地になってた」
セリオスは緩く首を振った。
「今だってそう。親方が戻るまで、僕がここを守らなきゃって肩肘張ってたけど……ほんとは、親方にそんな事すら頼まれてない」
一瞬続きを躊躇ったセリオスは、深く息を吐いた。
「ただ親方の不在のせいにして、何もしないで、不貞腐れてた臆病者だ。全部適当に過ごして、適当な気持ちで工房にしがみついてた。……そう思ったら、可笑しくて、情けなくて」
もう一度、強く息を吸って顔を上げた。
「リシュリオ。僕、飛空挺でも
真っ直ぐ伝えられたセリオスの言葉に、今度はリシュリオが意外そうに目を見開いた。
やがて、わずかに苦笑する。
「…………その選択は、後悔しないかい? 君がなろうとしてるのは空賊だよ。機械いじりだけじゃ済まない事もある。例えば暴力沙汰だって」
「うん。慣れないことが多いし、僕は他の人と比べてわりと力が弱いから、足を引っ張ることの方が多いかもしれないけど、そうならないように努力する」
だからお願い。再三告げたセリオスに、リシュリオは目を伏せた。
「……そう、解った」
やがてリシュリオは神妙に頷くと、嬉しそうに笑っていた。手にしていた工具を置いて、右手を差し出した。
「シュテルのリーダーとして、君を歓迎するよ、セリオス」
その右手を、セリオスは強く握り返した。
「こちらこそ、よろしく」
「ああ、よろしく。そうと決まれば、出立の段取り決めないとな。荷物まとめて貰わないといけないし、買い出しも必要か」
「そんなに持ち物はないから大丈夫。買い物しなくても、すぐ済むし」
「いや、買うのは薬だよ。セリオスはずっとここの平地暮らしだろ? 間違いなく体調崩すよ」
俺もルーザも耐性ついてるから、特に高所由来の病気に関するものを常備してないんだ。そう苦く笑ったリシュリオに、セリオスはますます住む世界の違いを感じた。
「じゃ、これの整備は後回しにしてもらおうかな。セリオス、もし挨拶しておきたい所があるなら、今のうちに済ませておきな。それから身支度。シュテルの一員として、最初の仕事だ」
「あ、うん。解った」
言われて即座に浮かんだ同期の顔に、セリオスは素直に従って道具を置いた。
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