〈西風の街〉リプタ/1
〈西風の街〉リプタは、平原のただなかにある交易都市だ。
広い平原は聖国を支える穀倉地帯であり、リプタに集められた麦や羊毛はここから様々な土地へと送られる。そのうちの一部はケーフェイから船に乗せられて世界中へ向かうのだ。
ゆえに、リプタからは多くの道が伸びてもいる。
ケーフェイから馬車に揺られて二週間ほど。その間に何箇所かの霧を払った二人は、ついに〈忘都〉アテニアに近づいてきていた。〈西風の街〉リプタはアテニアがある山脈地帯に最も近い都市だった。
月の三女神を祀る神殿、二人きりの部屋で、まつりとオリヴィアは広げた地図を覗き込む。
「〈忘都〉アテニアに向かうにあたって、ルートは大きく二つあります」
アテニアはリプタの街から山を越えた先にある。最短経路である山道は、無理して越えようとする行商人が度々遭難するような険しい道だ。
旅人は普通、山々を迂回する道を通る。最終的にアテニアへ続く山道は登らないといけないが、聖女の神殿へ巡礼するために作られた道は多少易しい。
選択肢である二つのルートを示されたまつりは、一秒も迷わず言った。
「短い方で」
「話、聞いていましたか?」
「聞いてたって。ガチよ。だって、こっち来てもう一ヶ月以上経ってるし。早く帰んないとロンペンのライブに間に合わないの!」
まつりの言葉は真剣だ。適当に言ったわけではないと理解したオリヴィアが頷き、眼鏡のブリッジに触れて位置を直す。
「焦りは理解します。ですが、今回はその上で迂回のルートを取ります」
「なんで」
「万が一にも、貴女を喪うわけにはいかないからです。貴女は旅自体に慣れていないし、私も山は不案内です。天候の崩れひとつで遭難しかねない」
「でもっ……」
「山越えに必要なものをひとつでも言えますか? 死んでもいいなどとは言わないでしょうね」
「〜〜〜っ、オリヴィアのばか……!」
「喚かないでください」
立ち上がって身を乗り出すまつりと、眼鏡越しに睨むように見上げるオリヴィア。
数秒のにらみ合いの後、まつりがはっきりと言った。
「ごはん食べに行こ」
▼
神殿を出たところで、間延びした女性の声がまつりたちに向けられた。
「あら? あら〜〜〜」
先に反応したのはオリヴィアだった。眼鏡がずれるほどの勢いで声の源に視線を向ける。
「この、声、母さん!?」
「うそ。マジ? オリヴィア母?」
小走りで歩み寄ってきたのは、オリヴィアと同じ慧牛族の女性だ。白い角に、長い黒髪。横に伸びた牛の耳に、少し垂れた目元。優しげな雰囲気をした妙齢の女性は、確かにオリヴィアとどことなく似ているようにまつりには思えた。
「母さん、なんでここに?」
「羊毛を売りに来たの。あなたこそ、編纂局の仕事で遠くにいるんじゃなかったの? こちらの方は? お友達?」
「友達のまつりでーすっ♡」
「友達ではありません、仕事上の――」
「まあまあ、オリヴィアがお世話になってます。母のレニアと申します」
通りの端に移動して、頭を下げ合う二人をオリヴィアが少し気恥ずかしい様子で見守る。話が進む前にまつりを呼んで、一度母に背を向けた。
「まつり、ちょっと」
「お、なになに。内緒話?」
「静かに。……いいですか。改めて確認しておきますが、貴女が、あれかもしれない、ということは絶対に秘密にしてください。目的地もです」
「アレ? ……あ、聖女的な?」
「声が大きい!」
「無礼だぞー。なんで秘密にしないといけないわけ? お母さんでしょ?」
「母は一般人です。貴女の存在を知るのは編纂局だけとしたい。トラブルを避け、貴女を守るためです」
「ふーん……よくわかんないけどわかった」
「お願いします」
オリヴィアはレニアに向き直り、眼鏡の位置を直して厳しい口調で言う。
「これも編纂局の仕事です。母さんも口外しないように」
「はいはぁい。でもせっかくだからお茶くらいはしましょう? まつりちゃんのことも知りたいし」
「申し訳ありませんが部外者とは……」
「えっいいんですか! ちょうどご飯食べに行くところで〜」
「まつり」
「いいじゃんご飯くらい! ねーレニアさんっ♡」
「ねぇ」
オリヴィアの消極的な同意の返事は、深々としたため息だった。
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