〈波集い〉ケーフェイ/1

 東に海を望む港町ケーフェイの、よく整備された広い港に、まつりのはしゃいだ声が響いた。


「でっっっか!」


 船乗りや荷運びの人夫たちの視線がまつりに集まる。まつりの方は気にした様子もないが、その傍らでオリヴィアが裾を引く。


「海、広っっっろ! 船、でっかーい!」

「まつり。あまり大きい声を出しては」

「でもめっちゃすごいんだもん、あんなでっかい船初めて見た!」


 ケーフェイの港は埠頭を三つ備え、今はそのひとつに巨大な帆船が停泊している。ひっきりなしに人が出入りし、荷物がどんどん運び出されていく。船の向こうにはきらきらと輝く海が広がり、また別の船が沖合に浮かんでいるのが見えた。

 まつりは懐から素早くスマホを取り出して、……動きが止まった。スマホの画面は触れても黒いまま。ため息をひとつついて、懐にしまい直す。


「テンションだだ下がる〜……電池切れとかダサすぎ……」

「ですから、早く行きましょうと言っているのです。貴女が余計なことをする分だけ、帰還の可能性は下がるのですよ」

「へいへーい。でもさ、本当にどうにかできるの?」


 二人がケーフェイを訪れたのは、まつりのスマホの電池切れが理由だった。

 〈幟〉のカナシュを霧から解放して、十日ほど。カナシュの広場での自撮りを最後に、まつりのスマホは沈黙していた。スマホがなければ自撮りは出来ず、霧も払えない。

 オリヴィアによれば、芸術家が集まるこの港町に解決の手立てがあるという。


「その……なんだっけ」

画術師ペイントマギ。世界を写す技術に長けた、絵筆を杖とする魔術師たちです。絵は忘却の霧に対抗する記録手段として有用なので、研究が進んでいるんです」

「魔法なんだ。オリヴィアは使えないの?」

「私は物語を触媒とするので、そちらの方面は少々苦手で……」

「苦手ならしゃーなし。魔法少女も何でもはできないもんねー」


 自撮りを諦めて、しばし海の輝きと船の威容を眺める。オリヴィアに促されて埠頭を離れ、坂道の多いケーフェイの街を歩いていく。


「まつりが言う『電気』を扱う魔術師がいれば良かったのですが。編纂局の天測士に確認してみましたが、『雷をとどめておくのは難しい』と……」

「あーね。バッテリーとかどうやって動いてるか全然わからんし。もっとちゃんと理科の授業聞いときゃ良かった」

「すごいですね。まつりの世界では、そんな高度なことを学ぶのですか?」

「……ごめん盛った。授業聞いてもバッテリーは作れねーわ」


 けらけらと笑うまつりに、首を傾げるオリヴィア。港から少し坂を登ると、街を横断するように作られた大通りに出た。

 大勢の人でごった返していて、舶来の品を扱う露天商や、船乗りを相手にする酒場、さまざまな店が客引きの声を上げている。『こちらの世界』に来てから人混みというものを見たのは初めてで、まつりのテンションがいやおうなく上がっていく。


「ともあれ、画術師に協力していただいて、そのスマホに代わるジドリの杖を手に入れ」

「待ってオリヴィアめっちゃいい匂いする!」

「まつり、話を」

「貝のスープだって! やばいやばい絶対美味しいやつ!」

「話を! 聞きなさい!」


 まつりが駆け寄った露店では、大きな鍋で貝や魚を煮込んだスープを売っていた。じりじりと燃える薪が小さく爆ぜ、穏やかに揺れる透明なスープから海を思わせる香りを振りまいている。どんな看板よりも有効なその宣伝にまつりの腹がぐぅと鳴って応えた。


「お嬢ちゃん、お目が高い。今日は渦潮貝のデカいのが入ったから、特に美味いぜ。ケーフェイでも一番だ」

「オリヴィアぁ」

「…………わかりました。店主。一杯頂戴します」

「二杯!」

「あいよ二杯ね!」

「まつり!」

「だって二人で食べたいじゃん!」


 深々としたため息と銅貨が、二杯のスープと交換された。



 アトリエは、長い坂を登り切った上にあった。

 振り返ると、水平線が見えた。陽光に輝く海、ミニチュアのような船、小さな建物が連なった港町の光景をしばし見下ろす。


「疲れましたか?」

「へーき……喉は渇いた……」

「スープをあんなに一気に飲むからですよ。……どうぞ、お水です」

「だって美味しかったから……さーんきゅ」


 オリヴィアが差し出した柔らかい袋を持ち、袋の口を咥えて水を含む。動物の皮を魔術で補強した水袋だ。


「ぷはっ。最初はちょっと、マジ? って思ったけど、なんか可愛く思えてきた」

「それは何よりです」

「しかしオリヴィア、体力あるよね……」

「そう……でしょうか? 私たちの仕事は割と歩くので、歩くことについては慣れてるかもしれませんね」

「かっこいい」

「そもそも、貴女は気を散らしすぎです。やれいい匂いが、やれ綺麗な色がとあちこちふらふらして。真っ直ぐ前を見て歩きなさい。聞いているのですか。仮にも聖女かもしれない立場なのですから自覚を持って」

「聖女なんかじゃねーし!」


 水袋の口を閉じて軽く投げ、オリヴィアの小言を遮る。全く、とまだ言い足りない様子でオリヴィアも一口水を含んだ。

 まつりの息が整うのを待ち、坂の上に建ったいくつかの建物のうちのひとつを訪ねる。石造りの小さな二階建てで、海に面した側に大きな窓があるが、今はカーテンで隠されていた。


 潮風に錆びたドアベルを鳴らす。

 沈黙。

 もう一度ドアベルを鳴らして、声をあげた。


「ラオダさん。ベル・ラオダさん! いらっしゃいませんか?」


 ややあって、部屋の中で誰かが動く音。鍵が開く音がして、軋む扉が開かれた。

 現れたのは、長身の女だ。姿勢悪く背を少し丸めていても、まつりたちを見下ろすくらいの身長。長い深緑の髪はぼさぼさで、不審と不機嫌を隠しもしない表情。来客を睨む瞳は爬虫類の金色。元は生成りだったらしい服は絵の具が何色も重なって彩られていた。

 靭蜥族の証たる太い尻尾がくねって地面を叩く。


「誰だ、アンタら。アメヌ画廊のお使いなら、絵も金も出来てないと伝えろ」

「我々は〈地史〉編纂局の者です。ラオダさんにお願いがあって――」

「目、きれい……酒くっさ!?」


 まつりが思わず叫び、あっやべと呟いて手で口を塞ぐ。オリヴィアの表情が強張り、さらに深く頭を下げる。


「彼女は諸事情でこちらの文化に疎くて……その辺のご説明含めて、お話を聞いてくださいませんか?」

「くっ……くく。本当にぼくのことを知らない奴ららしいな。そっちのは中々面白い格好をしてるし……いいよ、上がれ」


 画術師ベル・ラオダは喉を鳴らして笑うと、二人をアトリエに招き入れた。

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