〈幟〉のカナシュ/4
少年はグレイ、少女はリズ。まつりへの説明を一通り終えたオリヴィアは、二人の子供に事情を聞いていた。
二人はカナシュの街の孤児院で生活しているという。二週間ほど前、カナシュの街が霧に包まれた時に、孤児院を運営する大地の神の神官に連れられて避難した。
街の住人は街から少し離れた平地に野営しながら、徐々に他の街へと移動しているところだった。
「霧の危険性を知らないわけではないでしょう。なぜ霧に入ったのですか」
オリヴィアの声と視線は冷たい。そばで聞いていたまつりが肩をすくめるほどだ。気弱そうなリズがびくりと身を竦ませる。
グレイは一度ぐっと言葉に詰まった後、普段の生意気さを思わせる声で言う。
「……忘れちゃいそうだったんだ」
「【忘却】の霧とはそういうものです。致し方ありません」
「いやだ!」
諭す声を振り払うように、グレイは叫ぶ。
「俺は布職人になるんだ。染めを学んで、いつか
リズがグレイの拳を握る。おどおどと不安げな様子の少女だが、兄と呼ぶ少年の手を握る力は強かった。
オリヴィアはグレイの言葉が途切れるのを待ち……眼鏡の位置を少しだけ整えて……突き放すような声音で告げる。
「貴方自身が身につけた技術を忘れることはありません。何を恐れていたかはわかりませんが――」
「ちょいちょいちょい!」
「……何ですか、まつり」
「や、まだ何か言いたそうじゃん。グレイにまずは言わせてあげなって」
割って入ったまつりがしゃがみ込み、毛布に座るグレイと視線を合わせる。に、っと笑いかけると、グレイとリズはきょとんとした表情を浮かべた。潤んだ瞳を覗き込む。
「布職人、すげーじゃん。のぼりってなに?」
「……幟、知らないのかよ」
「きれいな、ぬの」
「でっけえ布を染めて飾るんだ。工房ごとに紋様があってさ」
「そんな綺麗なん? でっかいってこのくらい?」
「もっとでっっっかいから! 広場に何本も幟を立てて、うちの工房が一番だって自慢するんだ」
「すっごくきれい。ばさばさーって」
「迫力えぐそう。グレイ、そんなん作れるの? すごいじゃん!」
「……まだ作れない、けど。いつか絶対作るんだ。俺だけの紋様も開発する。今から練習してて、……織ったり、染めたりの道具が、孤児院にあるんだ、けど」
「えらみが深い。けど?」
「……一個ずつしかないんだ。古くなったのを工房から寄付してもらったやつで。皆で順番に使ってた。コノート兄ぃはそれで工房に入った。他の街で揃えようと思っても無理だ。忘れて、なくなっちゃう前に、取りに行かなきゃって……思って……」
「……そっか。がんばったね」
「う……」
グレイが俯く。その頬に流れる雫は見ないふりをして、まつりはグレイの髪を撫でてやる。ぽんぽんと叩くように触れると、リズがそれを真似して手を伸ばした。
「やめろよぉ……」
「つってもさ、グレイはお兄ちゃんでしょ? リズのことしっかり守んなきゃ。それにオリヴィアは助けてくれたわけだから、ほら」
「…………ありがとう、ございます。ごめんなさい」
「ごめんなさい……」
グレイとリズが頭を下げる。まつりから視線を向けられて、オリヴィアは深々とため息をついた。
「謝罪が欲しいわけではありません。ですが、謝ったからには二度と同じ過ちを犯さないよう反省してください。……私に助けを求めた神官の方、ディメリさんと言いましたか。彼女もとても心配していましたよ」
「うん……」
二人の、啜り泣く声。それ以上はオリヴィアも何も言わず、少しだけ、沈黙が降りる。
まつりは窓の外に顔を向けた。わずかな時間だけ晴れていた霧は再び戻り、通りを挟んだ向こう側の建物すらぼやけている。白一色に塗りつぶされた景色には、色鮮やかな幟は見えない。
「オリヴィアは見たことある? 広場の幟」
「ありません。……ですが、噂は聞いたことがあります」
「お。どんなどんな?」
「曰く――染色と織物の街。並び立つ旗幟は工房の誇り。はためく布を見上げ、人は呼ぶ、〈幟〉のカナシュと」
どことなく歌うような節がついた言葉を、まつりは瞳を輝かせて、グレイとリズはこくこくと頷きながら聞く。オリヴィアはひとつ咳払いを入れて、魔術書を手に立ち上がる。
「さあ、行きましょう」
「そだね。グレイ、リズ、だいじょぶ?」
楽勝だよ、と強がるグレイと、グレイの手をしっかり握り返すリズ。立ち上がった二人の顔を見てまつりが頷く。
「一刻も早く街を出ましょう。私が先行して、できるだけ霧を散らします。皆さんはついてきて……」
「とりま広場見にいくトコからだよね!」
「は?」
「え?」
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