〈幟〉のカナシュ/3


 オリヴィアから【忘却】について説明を受けたまつりは深々と頷いて言った。


「よくわからんけどめっちゃ怖い」

「……何が解り辛かったですか」

「いやオリヴィアの説明は多分めっちゃわかりやすいんだけどさ、あたしの……世界? 東海地方じゃそういうのなかったし」


 まつりは、ほぇー、と感心したような気が抜けたような声を漏らす。


「んで、あたしはその霧をどうにかできる、せーじょなの?」

「きっと違いますが、そうかもしれません」

「いやどっちだよ」


 なぜか悔しそうに顔をしかめるオリヴィアと、なぜかけらけらと笑ってツッコミを入れるまつり。

 オリヴィアはため息をひとつついて感情を深い場所へ押し込み、続ける。


「聖女は確固たる現実意識を以て【忘却】の霧を払う、偉大な存在です。三百年ぶりに訪れた、この国だけではなく、大陸全てのヒトの希望……それが、こんな、こんな、軽い感じなはずがありません……! 脚はほとんど出てるし、髪は茶色とピンクだし……」

「お、あたしの毛先カラーピーチウーロンに文句あんのか? んー?」

「……し、失礼しました。ともかく……聖女であるかどうかはさておき。貴女が別世界からの来訪者だというのは、おそらく正しいのでしょう」


 オリヴィアの視線はまつりの服装や、手元のスマホを鋭く見つめる。


「うん、あたしもそんな気がする」


 視線を感じてにやりと笑ったまつりが、素早く立ち上がった。その手が、オリヴィアの頭上へと伸びる。


「!?」

「うわ、すべすべ。ちょっとしっとり。不思議な感触〜」

「なっ、な、なにを、っ!?」

「髪ディスってくれたお返し♡」


 指先が、オリヴィアの頭部に生えた角を撫でていた。光沢のない白の角をそっと丁寧にくすぐる。

 オリヴィアの顔が真っ赤に染まるが、お構いなしだ。指先は黒髪を撫で、横向きに伸びた牛の耳にも触れる。


「こっちはふわふわ~。角も耳も本物だもんね。こっちの世界じゃ、みんな生えてるの? あ、あっちの子たちには生えてないか」


 とめどなく流れるようなまつりの声を遮ったのは、首を振って指を振り払う動きと、消え入りそうな声だった。


「…………さぃ」

「うんうん?」

「やめてください……その……」

「あ、なんか触っちゃダメな系のやつだった?」

「いえ、そういうわけではないのですが……私が個人的に、触れられるのが苦手なので」

「それはマジごめん」


 頬を赤くして俯きがちに囁くオリヴィアは先ほどまでの固い雰囲気がすっかり消えていた。まつりは若干きゅんとしながらも、無礼は無礼、しっかり頭を下げて謝る。先端だけピンク色に染めた茶髪が揺れた。


「こほん。……ともかく。貴女が異世界から訪れた者であったとしても、それだけで聖女と認めるわけにはいきません」

「別に認めてもらわなくてもいいけど」

「……とはいえ、編纂局の一員として、確かめないわけにもいきません。しばらく私と一緒に行動してもらいます。良いですね?」

「おけまる〜。ゆーてあたし一人じゃ何もわかんねーし、むしろよろしく!」


 気を取り直し、ずれた眼鏡の位置を直して告げるオリヴィア。まつりも頷いて、手を差し出す。

 握手に似た習慣はこの世界にもあるのか、若干の迷いと共に、オリヴィアは差し出された手を取った。

 まつりがその手をぐいと引く。


「!?」

「なかよの記念、撮るよ〜♡」


 肩が触れ合う距離。斜めに掲げたスマホのレンズが二人を画面に収め、軽やかなシャッター音が響く。まつりの片目を閉じた悪戯な笑顔と、目を見開いて驚いているオリヴィアの表情が好対照だった。

 窓の外、霧が揺らいで少し薄くなる。


「なんでっ、これで、霧が払えるんですかっ!?」

「あはは、知らんし!」

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