第18話


あくまで決定権はこちらにある――彼女たちはそう言った。


だが、先程の話を聞いた限りでは、本当に信じていいのか怪しい。俺は鋭い目つきで彼女たちを睨みつけた。


高城美咲は椅子の背もたれに軽く手を置き、ため息をついた。その表情は冷静そのものだったが、俺の視線に気づいたのか、一瞬だけ表情が強張った。周囲にいる男性たちも同じだ。だが、彼らは無言のまま高城の指示を待つだけだった。


俺は彼らの様子をじっと見つめながらも、胸の奥に渦巻く感情を抑えきれずにいた。


また誰かの「所有物」にされるなんて真っ平御免だ。俺は帰りたいんだ――日本に、家族のもとに。


この異国で俺は助けられた。それは確かに事実だし、その恩義を無視するつもりはない。協力を求められるなら、応えるべきだということも理解している。だが、それでもどうしても、頭の中には家族の笑顔が浮かび、胸が締め付けられる。あの地獄から逃げ出せたことで少し余裕が生まれたからだろうか。俺は、どこか自分勝手になっているのかもしれない。


「星波さん、急ぎませんので、どうかよくお考えください」と、高城が穏やかな声で語りかけてきた。


その言葉に、俺は堪えきれず口を開いた。


「俺は……すぐにでも帰りたいんだ!」


自分でもわがままだと分かっている。だが、それでも俺は帰りたい――ただ、それだけを強く願っていた。


高城は俺の言葉を受けて少し目を細め、考え込むような表情を見せた。その一瞬、部屋の空気が張り詰める。


「気持ちは理解します。しかし、すぐにとはいきません。現状では、まだ帰国の準備が整っていないのです」


30代と思われる男性が冷たい声で割り込んできた。大野と名乗るその男は日本から派遣されているらしいが、その無機質な態度と言葉には、どこか距離感を感じた。


「大野さん」と高城が彼を制し、俺に向き直る。


「星波さん。あなたの選択は尊重します。しかし、現状を考えると、しばらくアメリカに留まっていただく必要があります。私たちも早期帰国のため全力を尽くしますが、まずは安全を確保することを優先させてください」


彼女の言葉は筋が通っていた。得体の知れない俺を簡単に帰国させることなど、リスクが大きいのは分かる。それでも、俺の中にはどうしようもない葛藤があった。


拳を握りしめ、下唇を噛む。胸の奥に渦巻く思いを無理やり飲み込み、俺は言葉を絞り出した。


「分かった……でも、頼む。できるだけ早くしてくれ。俺は――ただ家族に会いたいだけなんだ」


俺の懇願に、高城は一瞬寂しげな表情を浮かべ、大野の方を見やった。彼が軽く頷くのを確認すると、再び俺に向き直る。


「星波さん……実は、もう一つお伝えしなければならないことがあります」


彼女の真剣な目が俺を捉えた。


「まだ何かあるのか?」と問う俺。だが、どう考えてもいい話ではなさそうだった。


「星波さん……」彼女は少し間を置き、静かに告げた。


「ご両親は、あなたが拉致された後、必死に探されました。いくつもの国を渡り歩き、最終的には紛争地帯に足を踏み入れました。しかし……お二人はその地で敵対勢力の衝突に巻き込まれ、お亡くなりになられました」


予想以上に残酷な現実だった。


胸の奥で何かが砕ける音がした。俺は呆然と立ち尽くし、震える声でつぶやいた。


「……嘘だろ?」


高城は静かに目を伏せ、何も言わなかった。その態度が、この話が真実であることを否応なしに突きつけてきた。周囲の空気が一層重くなり、誰もが俺の反応をただ待っているようだった。


頭の中に両親の姿が浮かぶ。父は無邪気で行動的な人だった。俺の無謀な夢にさえも笑顔で「面白そうじゃないか」と応援してくれる、そんな人だった。母はその父を支え、慎重に考えながらも、最終的には俺たちの自由を尊重してくれる温かな人だった。


そんな二人が、俺のために危険な地に足を踏み入れ、命を落とした――。


「俺の……せいだ……」


気づけば、自分の拳を強く握りしめていた。爪が掌に食い込む痛みすら感じない。無力だった俺、助けを求めることすらできなかった俺。その俺のために命を落とした両親。胸の中に渦巻く怒りと無力感が、俺を押しつぶそうとしていた。


「星波さん、それはあなたの責任ではありません」


高城が柔らかい口調で言ったが、その言葉は俺の心には届かなかった。


思い出すのは家族と過ごした何でもない日常だった。夕食時の笑い声や、父のくだらない冗談に母が呆れる光景――そんな何気ない時間が、もう二度と戻らないという事実が、胸に深く突き刺さった。


「……まだ……俺には妹がいる……」


俺はかすかにその言葉を呟いた。


高城は静かに頷き、真剣な目で俺を見つめた。


「ええ、妹さんは無事です。ただ、ご両親が亡くなられた後、長い間お一人で貴方の帰りを待っていらっしゃいました」


妹――リナの姿が脳裏に浮かぶ。幼い頃、泣きながら俺の後を追いかけてきたあの子が、どれだけ寂しい思いをしたのだろう。


「リナは……今、どこで何をしている?」


俺は震える声で問いかけた。


「彼女は現在、日本で元気に暮らされております。そして……貴方の消息を追うため、配信活動をしておられました」


「配信……?」


突然の言葉に驚きが胸をよぎる。


高城は続けた。


「彼女は動画配信を通じて、貴方の存在を世の中に訴え続けていました。誰かが貴方を見つけてくれるかもしれないと信じて。少なくとも、貴方がどこかで生きていることを伝えるために」


リナが俺のためにそんな行動を――。


「……あいつ、頑張ってくれてたんだな」


涙がこぼれそうになるのを堪えながら、俺は小さく呟いた。


「俺は必ず日本に帰る。妹に直接謝りたい。両親の分まで、俺があいつを守るんだ。それが俺に残された使命だ」


その決意が胸に灯るとともに、心に渦巻いていた迷いや無力感が、少しずつ消えていくのを感じた。


「高城さん……」俺は震える声で、彼女に頭を下げた。「どうかリナに伝えてください。俺が必ず帰るって。謝りたいんだ、ずっと一人にさせてしまったことを」


高城は優しく微笑み、小さく頷いた。


「もちろんです。彼女もその言葉をきっと待ち望んでいます」


両親が命を懸けてくれた。そして、妹は孤独の中で俺を信じ続けてくれた。その全てを無駄にはできない。


「俺は帰る。その為ならどんなことでもする。だから約束してくれ、絶対に妹のもとへ帰れると。――頼む、それが俺に残された唯一の希望なんだ」


俺の言葉に、高城は深く頷き、「必ずその気持ちに応えられるよう努力します」と静かに言った。


胸に抱えた悲しみはまだ消えない。それでも、帰る場所がある。その事実が、俺を支え続けていた。



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