第13話



長い月日を過ごした20階層のゲートに乗り、初めて目にする21階層へ到着した。


目の前に広がったのは、俺の予想を遥かに超えた光景――。


一面の銀世界。


透き通るほど白い雪が辺り一面に降り積もり、空には幾筋もの冷たい風が音を立てながら流れている。空気は凍てつき、呼吸をする度に白い息が口から漏れた。


ここが、21階層。


今までの階層とはまるで別世界だ。体が一瞬、冷たさにすくむが、先ほど得た力が全身に行き渡り、この寒ささえどこか心地よく感じる。砂漠で鍛えた体は一層強靭になり、冷気に耐えるのもそう難しくはなかった。


雪の中に足を踏み入れると、ふかふかとした感触が靴越しに伝わってくる。辺りには木々や岩場がぽつぽつと存在しており、雪と氷で覆われているその姿は静謐で神秘的だ。かつての乾いた砂漠とは対照的なこの静寂の中、俺は自分が未知の領域へと踏み入れたことを実感した。


しばらく歩くと、木々の影にぼんやりと光るものが見えた。近づいてみると、それは小さな氷の結晶が群生したものだった。太陽の光がその結晶に当たり、まるで銀色の宝石のように煌めいている。触れると冷たいが、どこか心が引き込まれるような神秘的な輝きだ。


しかし、この銀世界の美しさに見惚れている暇はない。この階層に踏み入れたからには、新たな脅威が待ち受けているに違いない。俺は氷の結晶の周囲を見渡し、慎重に耳を澄ませながら進むことにした。


この階層を突破するためには、ここでもまた新たな力が必要かもしれない。


ゲート付近をとりあえずの拠点とし、様子見で外へと歩きだした。


安全地帯が終わったのか、すぐに銀世界の冷たい風とともに、狼の群れが姿を現した。


寒冷地に適応した白い毛皮を持つ狼、俺は氷狼と名付けた。


この氷狼はこの地に住んでいるかのように、雪の中から静かに現れ、俺の周囲を囲んでいった。雪原の白と黒のコントラストが美しい中、目は鋭く、獲物を狙う獣のように光っている。


俺は冷静に構え、息を深く吸った。


何か特別な武器が無くても、この体力と力を得てからなら、何度でも戦える自信がある。これまでの経験が、冷静に判断する力となり、戦闘への恐れを完全に消し去った。


氷狼たちは一斉に駆け出し、雪を舞い上げて俺に向かってきた。そのスピードは恐ろしいほど速かったが、俺の視界は以前とは違う。感覚が研ぎ澄まされ、空気の流れすら感じ取れるようになった。


最初に突進してきた狼を、俺は体をわずかに傾けてかわし、素早く膝をついて反撃の構えを取る。その瞬間、狼の牙が目の前をかすめ、ぎりぎりで避けることができた。


次の瞬間、俺は再び力を込めて立ち上がり、反撃を開始した。


強化された筋力で、相手の動きが以前よりも遅く感じる。それだけでも有利だ。狼の一匹が目の前に迫ったとき、俺は一気に前進し、両手でその背をつかみ、地面に叩きつけた。狼は一瞬驚いた表情を見せるも、すぐに体勢を立て直そうとする。


だが、その動きも遅い。


力強くその頭を押さえつけ、続けざまに次の狼を捕まえて地面に押さえ込む。回転しながらもさらに加速してきた狼の群れの中で、俺は冷静に動き、適切なタイミングで一匹、また一匹と倒していく。


戦いの途中、幾度も牙が俺の皮膚をかすめる瞬間があった。しかし、以前のようにそれが深刻な傷になったり、痛みで動けなくなることはない。強化された体力と精神力が、それを抑えていた。


最後の氷狼を倒すと、群れはようやく退却を始め、雪の中へと消えていった。息が白く立ち昇る中、倒れた狼たちを見下ろすと、疲れを感じる暇もなく、すぐに次の動きを考えた。


氷狼を倒し終わると、いつものようにその遺体を解体することにした。その途中、ふと目を引いたのは、一番に大きな狼の体内から出てきた青い結晶石だった。


青く輝くその結晶石は、まるで氷のように冷たく、ひんやりとした触感を持っている。これまで手に入れた結晶石とは少し違って、色が鮮やかで、まるで冷気そのものを凝縮したかのような美しい青色をしている。その光景に一瞬、言葉を失ったが、すぐに気を取り直して、これもまた俺の力を強化する可能性があると思い、手に取って粉々に砕いた。


粉末状にしたその青い結晶石を口に入れると、すぐに強烈な痛みが全身を駆け巡った。体中が鋭い痛みで引き裂かれるような感覚に包まれるが、以前のように命を奪われるような激しいものではない。それでも、身体の中に何かが変化するのを感じた。


息をつき、痛みが少しずつ和らいでいくのを感じながら、目を閉じて力を込める。だが、思ったほどの劇的な変化は見られない。筋力や敏捷性が一気に向上するようなことはない。ただ、体に変化がないわけではない。寒さを感じることが少なくなったようだ。


氷狼との戦闘後も寒さで体が震えることが多かったが、今はその寒さがかなり和らいでいる。ボロボロになった服が肌に冷たく感じていたが、その感覚も少し減ったようだ。まるで体の中から温かさが少しずつ広がっていくかのようだ。


寒冷地で長時間過ごすのは身体に相当な負担をかけるが、これで少しは耐えられるかもしれない。


痛みは少し残っているものの、体力に大きなダメージを受けたわけではなく、再び歩き出すには十分だ。寒さが和らいだのは確かにありがたい。これからの旅路が少し楽になるかもしれないと、ぼんやりと思いながら、先を目指して歩みを進めた。


だが、この先の道のりはまだ長い。貴重なナイフは解体なので使う為に戦闘では安易には使えない。従って武器は無いに等しく体ひとつで進むしかない。これまでの戦闘で得た力と感覚を信じ、次はどうなる、か。と俺は一息つき、静かな銀世界を見渡しながら歩き出した。


氷狼たちを撃退し、寒さに耐えられる力も手に入れた今、俺は黙々と歩き続けた。既に安全地帯に戻る方角すらわからない。後戻りは不可能、これからは怪我すら致命傷になるかもしれないと覚悟を決め進む。


数日経過したある日、視界の先には雪に覆われた丘が見え、その頂上に何かが立っているように見える。しかし、白い霧がかかっていてはっきりとは見えない。丘のふもとにたどり着いた頃、再び音もなく影が動いた。足元の雪が盛り上がり、何かがそこから現れたのだ。


現れたのは、巨大なホッキョクグマだった。白銀の毛皮は雪の中で見事に保護色となり、俺が近づくまでその存在に気づかなかった。体長は3メートルを優に超え、まるで巨岩のように堂々と構えている。目は鋭く、冷たい氷原で長年生き抜いた狩人のような風格を漂わせている。


ホッキョクグマはその巨体をゆっくりと動かし、俺の存在を鋭く見据えていた。体が緊張で強ばるのを感じつつも、冷静に構える。これまで戦ってきた氷狼とは異なり、相手は一撃で致命傷を与えられるほどの強靭な体と鋭い爪を持つ。


ホッキョクグマが低く唸り声を上げ、その巨体を揺らしながら一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。雪を踏みしめる度に地面がわずかに震え、俺はそのプレッシャーを全身で感じた。だが、この状況でも冷静を保たなければならない。


ホッキョクグマが突進してきたその瞬間、俺は地面を蹴って横に飛び、なんとかかわすことができた。巨大な足が雪に食い込み、そこから雪が飛び散る。再び距離を取った俺は、少しの隙を見逃さず、ホッキョクグマに立ち向かう決意を固めた。


相手の動きを見極めながら、ホッキョクグマの側面に回り込む。大きな動きで向かってくる熊の攻撃をかわしつつ、チャンスが来た瞬間に体全体の力を込めて、拳をその側面に叩き込んだ。巨体が少しよろめいたのを見て、さらに攻撃を続け、何とか地面に倒れ込ませることができた。


ホッキョクグマが静かに息を引き取ると、周囲の静寂が戻った。


ホッキョクグマが息を引き取った後、俺は雪の中に座り込んで荒い息をついた。雪の白さが視界を埋め尽くし、あたりは静寂に包まれている。ふと、自分の手を見下ろし、驚きとともに笑いがこみ上げてきた。


熊を素手で倒す、か……化け物じみた俺自身に呆れ、自分の腕や足を見てみる。ここまでに鍛え抜いた筋肉が雪の冷たさにもかかわらず震えていない。今までなら一瞬でも触れると震え上がっていた冷たい雪の中でも、こうして動き続けられるのは、この力のおかげなのだろう。あれほどの巨体のホッキョクグマを倒せるようになっている自分が、信じられなくて、ただ笑いが止まらない。


以前の俺なら、この冷気の中で座り込むなんて到底できなかった。だが今は、寒さどころか痛みもほとんど感じず、むしろ心地よささえ覚えている。自分の変化が信じられず、呆れ笑いがまたこぼれる。


自身の体の異常さに口元に浮かぶ微笑みを抑えきれないまま、俺は深く息を吐き、雪の上で立ち上がった。


疲労を感じつつも、俺は息を整えて解体はせずに素早く結晶石だけを取り出し、次の一歩を踏み出した。丘の上に立つ不思議なもの。


――あれがこの22階層へのゲートだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る