第10話
最初の数人を殺したまでは順調だった。
一歩二歩と前へと進み、キャンプ地の奥に見える車両が目に届くところまでは作戦通りだった。
そこからは数の暴力、その現実に直面する。
一人、また一人と仲間が死ぬ。
もう残すは俺とヨハンだけだ。
激しい抵抗を繰り返したが、次から次へと増える敵が立ちはだかり、そして間もなくして、ヨハンは無情にも敵の一人に胸を銃弾で貫かれ、その場で命を落とした。
俺は怒りと悲しみに打ちひしがれたが、その隙を突いて必死で辿り着いた
視界が悪かったのが幸いしたおかげで何とか1F層へと駆け込むと、そのまま備蓄のある食料袋の所まで行き、それを手に死に物狂いで塔を駆け上った。
追っ手から逃れるため、俺は生気の抜けた下層の奴隷を横目に塔を駆け上がり、迫る獣を退け20階層にたどり着く。
20階層までは何とか1人でも到着することが出来た。だが、それでも広いし、辛かった。脱走した日が以前と感じる程に数日が経過していた。食料は当然尽き、飲み水も残り僅かだ。
以前にヤツ等の指示でこの塔の中の水を飲み、植物や獣を食べさせられた。自給自足で働く奴隷が魅力だったのだろう。
そして、その結果――。
数名が死に、残った奴隷達も発熱し腹痛やら下痢などで死地を彷徨う羽目になった。
この塔は不思議だらけだ。
殺した獣は数時間で跡形も無く消える。それは塔の中の生物だけが例外では無い。外から入った人の排出物や死体までも消えてしまう。それなら檻にこびりついた匂いまで消してくれと何度思った事か。
そして、俺は危機に直面していた。
どう考えても、食料や飲み水が無い。このままでは遅かれ早かれ、俺は死ぬ。下層に行って食料を取りに行くなんて論外だ。ヤツ等に見つかった時点で殺されるだろう。
なら、どうするか。
この塔にある物を食べて飲むしかないのだ。
どうせ死ぬなら腹いっぱい食べて飲んで死んだ方がマシだ。
俺は覚悟を決め、19階層で得た見た目だけは美味しそうな果実にかぶりついた。
食べた直後、忘れていた甘味が口の中に広がり、涙が出そうになった。それから持っていた果実を一心不乱に口へと運んだ。
やはりそんなに都合がよくはない。数分もしない内に腹痛が俺を襲う。
20階層まではヤツ等は来た事が無いので、そう簡単には来れないだろう。それに塔の階層の出入り口付近では何故か生物に襲われる事は無かった。
だが、それは偶々なのかも知れない。だからこんな所で寝転がっていても良いはずもない。ヤツ等が来るかもしれないし、生物がいつ襲ってくるかわからないのだ。
そんな気持ちとは裏腹に激痛へと変わって行く。腹痛に加え、頭痛に眩暈の中、嘔吐を繰り返し、――俺は意識を手放した。
それから、どれ程に経過したのかは不明だ。
だが、俺は生きている。
追っても来てない。何より生物に襲われてもいない。やはりこの出入口付近は安全地帯なのだと確信した。
徐に俺は立ち上がる。何故か体が軽い。空腹感どころか、疲労感も抜けやけにさっぱりした感じだ。
手をグーパーグーパーしてみたり、飛び跳ねてみたりしたがやはり絶好調な感じがする。前に強制されて低階層の物を食した時は痛覚以外は何の変化も見られなかったが、19階層の果実だったから大丈夫だったのかは、わからない。
だがもう一度採りに行くのは危険だと俺は思った。
だから、上る事にした。
21階層へと行く決意をしたのだ。
俺の中で決めた安全地帯から遠ざかる。
暫く進むと、灰色の牛みたいな動物の群れが遠目に見えた。ここで俺は異変に気付く。
――何故、遠くの牛が鮮明に見えるのだ?
直感も研ぎ澄まされた感覚だ。安全地帯を出てすぐにサソリが砂の中から飛び掛かって来たのを感知した様に避けたのだ。以前の俺なら気付く暇も無くあの世へと行っていただろう。
しかも、そのサソリの攻撃を避けた後に無造作に掴んで引き千切り、放り投げた事に今更に気付く。
……なんだ、これ?
空腹も無くなり、それに加え直感が冴えわたり、遠目が効く事で俺は前へ前へと進む。片手にナイフ一本を持って。
やはり時間の感覚がおかしい。以前ならドローンの指示やヨハンに教えて貰って時間の目安が解っていたが今はそれが無い。
ヨハン……、思い出すとやはり悲しいし、寂しくなる。
ヨハンは俺にとって友であり、兄であり、ここで生きてきた中で唯一の家族そのものだったからだ。
そんな感傷に浸る暇もなく、この階層の猛威に直面する。
ここは、砂嵐や猛暑が支配する過酷な環境で、寒暖差と乾燥が体力を奪っていく。安全地帯を出た頃の好調が徐々に崩れてくる。喉も乾き少なくなった水を舐める回数が増えた。
早くこの階層を抜けなければとの焦りも出始めてきた。今までの経験だが、上への階層へ繋がるゲートの場所は完全にランダムだ。近い場所では数分で辿り着くし、遠ければ下手をすれば数日かかる。
俺の体力が続く間に出現してほしいと願いを込めて進むしかない。
だがそこまで甘くは無かった。相変わらず遠目は健在だが、見渡す限り砂しかない。
それからどれ程に歩いたのだろうか、迫ってくる生物を退けながらに、足を進めた。
数時間は歩いた感じはするが、舐める程度の水分補給はするものの、死ぬほどではない。疲れてはいるが体力もまだ大丈夫だ。ハイブリッドな体になったものだと、冗談っぽく気を紛らわせながらに進む。
それから間も無くして巨大な影が動くのを目撃する。幻覚かもしれないと思ったが、それは実際に俺を狙う捕食者だった。巨大なトカゲのような生物で、鋭い爪と牙を持ち、砂漠を徘徊している。
この捕食者は俺を完全にターゲットとして迫って来た。
それからは俺は命がけの戦いを余儀なくされる。
銃なんてこの階層に来る前に弾が無くなり只の棒と化したので捨てた。今の俺の武器は、使い慣れたこのボロボロのナイフ一本のみ。
俺は生存本能を呼び覚まし、何とかこれを退けることで生き残りへの決意を強める。
乾いた砂漠の風が吹き抜け、目の前には体長1メートル近くあるオオトカゲがこちらを睨んでいる。茶色い鱗に覆われたその体は、砂地と見事に同化し、たった今まで気づかなかったほどだ。目の鋭さ、尻尾の長さ、そして地を這う姿勢は、まさに捕食者そのものだ。
手に握るのは小さなナイフ一本。心臓が早鐘のように打ち、周りの音は徐々に遠のいていく。戦うしかない、と決意する。
オオトカゲが先に動いた。意外なほど速い!
尻尾を大きく振り上げ、一瞬で砂を巻き上げながら突進してきた。砂埃が視界を遮る中、その尻尾が横から振り抜かれるのが見えた。体を低くしてすんでのところで回避する。尻尾が当たった砂地に、深い溝が刻まれているのが見え、鳥肌が立った。もし一撃でも当たればひとたまりもない。
ナイフを握り直し、カウンターのタイミングを狙う。オオトカゲが一瞬、次の動きをためらったその瞬間に、こちらから接近し、ナイフを突き出す。しかし、鱗は想像以上に硬く、刃先が表面で滑ってしまった。
オオトカゲが牙をむいて、顔に近づいてくる。鼻先からは熱い息が感じられ、恐怖が全身に走る。反射的に一歩後退し、再度ナイフを構えるが、これでは勝てないと悟る。
次の瞬間、オオトカゲがまた飛びかかってきた。今度は跳ねるようにして、こちらの喉元を狙っている。ギリギリのタイミングで横に身を転がし、すれ違いざまにナイフを振るう。わずかだが、鱗の間に刃が刺さった感触があった。オオトカゲが怒りにうなりながら、一瞬動きを止める。
これが最後のチャンスかもしれない。全身の力を振り絞り、ナイフを渾身の力で突き刺す。オオトカゲの側面、鱗の隙間を狙ってナイフが食い込む感触がした。オオトカゲが体をのたうたせて抵抗するが、しばらくして動きが弱まり、やがて砂の上で動かなくなった。
荒い息をつき、ナイフを引き抜く。砂漠の静けさが戻り、風だけが吹き抜けていく。
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