第9話 内輪もめ /  冷酷皇帝は賢帝

※途中の☆彡 ★彡で、視点が変わります。



 赤く熱せられた烙印が肌に触れる……と、思った瞬間に皇帝陛下の氷のような声が、刑史長に命令する。

 「場所が違うぞ。腕ではない。こいつはローマムア帝国の皇女を誘拐し、みずから命を捨てたいと思わせるほど追い詰めた。邪悪な者であることを一目でわかるようにせよ!」

 「御意。では、両頬に……」


 か、顔に? 嘘でしょう? やめてよ……誰か助けて……


 ジュッっという音とともに、焦げた肉の匂いが立ち上がる。想像を絶する痛みが私を襲う。まさに気が狂いそうな痛みだった。かつて、二人の子を産んだ時、その痛みこそがこの世で味わう最も強烈な苦痛だと思っていた。しかし、それはただの序章に過ぎなかった。この激痛こそ、私がこれまでに経験した中で最も苛烈なものだったのだ。


 片頬だけでも気絶しそうなのに、もう一方の頬にも烙印が押しつけられる。人間は極限に近い痛みを感じたときには声もでない。凄まじい絶叫がでるのはまだ余裕がある証拠で、死にそうなぐらいの痛みの時には顔を歪めることしかできない。


 私は膝から力が抜け、体が重力に引きずられるように前へ崩れ落ちた。両手で支えようとするが、その手も無力に床に触れるだけで、次の瞬間には体全体が床に倒れこむ。息つく間もなく、額が冷たい床にぶつかり視界が揺れる。あまりの激痛で吐き気がするし、顔ばかりでなく頭も痛くなり、気が遠くなっていく。その瞬間、バシャッと冷水が全身にかけられた。

 

 気絶することも許されない。夫も同じように床に倒れ込み、悶絶していたところに冷水をかけられていた。彼も両頬に烙印を押しつけられたのだ。


 わずかな時間差で、アリスやアルバートにも鉄の烙印が頬に迫る。アリスが恐怖で青ざめて突然アグネスの名前を叫び始めた。


「アグネスお姉様! お願い、助けて! 私はお母様に騙されていたのよ。だって、こいつが私に、お姉様は捨て子だと教え込んで、虐めても構わないって思わせたのよ。 オリバー様のことだって、本当はそれほど好きじゃなかった。ただ将来、騎士団長や英雄になれるかもって、こいつが言ったから……。全部こいつのせいなのよ!」


 アリスはジタバタと手足をばたつかせ、思いっきり声を張り上げてアグネスに呼びかける。こいつと言いながら、指差した先にいたのは私だった。けれど、アグネスは今ここにはおらず、皇女宮にいるはずだ。いくら声を張り上げたところで、アグネスの耳に届くとは思えなかった。


「お前とビクトリアアグネスは姉妹ではない。気安く皇女をお姉様と呼ばないで! 不敬にもほどがあります」

 皇太后殿下は美しい眉をひそめた。


「ちょっと、あんた! そんなところにうずくまっていないで、私を助けてよ! クソババァ、あんたのことだよ。皇女様を誘拐して、捨て子だなんて言ったのはあんただろう? 私がアグネスお姉様をバカにしていたときも、とがめるどころか、一緒になってあざ笑っていたくせに!」


 皇帝陛下は怒りに顔を歪めたが、皇太后陛下は冷ややかに『内輪もめは見苦しい』と吐き捨てた。ますます、あの方たちの不興を買ったことは間違いない。


 「反省の色を見せビクトリアアグネスに心から謝る気持ちがあれば、もっと小さな烙印を服で隠れる場所にすることも、選択肢にはあったのに……どこまでも醜く愚かな……」

 皇太后陛下は呆れたようにため息をつきながら、話を続けた。

 「その娘の顔にも烙印を押しなさい。片頬でよい。そこの少年はなにか申すことはありますか?」


 アルバートは首を橫に振っただけだ。私のことを見ることもなく、ただ震えながら俯いていた。

 「ビクトリアアグネスに対して弁解することがありますか?」

 「弁解なんてできません。アグネス姉様に意地悪ばかり言っていたのは覚えていますから」

 キュッと唇を固く引き結び、アルバートは烙印が押されるのを黙って待っていた。


 「待て、その少年には烙印を押すな。ひとりぐらいは助けてやろう。お前は奴隷の身分ではなく、庭師として皇女宮の花の手入れでもするんだな。罪のなすりつけあいも弁解もしないところが気に入った」


 「え? そんなのずるっ……」

 文句を言おうとしたところで頬に烙印を押しつけられたアリスは、あっさりと気絶した。けれど、アリスも冷水を思いっきりかけられ、ゆっくりと起き上がると、私に向かって呪うように言葉を紡ぐ。


 「あんたはもうお母様じゃないわ。この嘘つきのクソババァ。お前のせいで、私は……一生恨んでやる。呪ってやる! お前が私を頬に烙印がついた奴隷にさせたんだぁ――!」


 アリスの目には私への憎悪が渦巻いていた。私は、言葉を失ったままその視線を受け止めるしかなかった。


 そして、私が皇宮内で任された仕事は……


 


☆彡 ★彡




 僕はローマムア帝国で皇女様を襲おうと目論む、スペイニ国の過激派を追っていた。もちろん、彼らの暴挙を止めるためだ。

 ローマムア大帝国は、整備された都市基盤施設や公共施設・建築物が建ち並び、安定した政治に豊かな国民の生活が約束された地に見える。大通りにはゴミひとつ落ちていないし、汚水を流す下水道も作られていた。しかも汚水はそのまま川に垂れ流すわけではない。汚水処理場なるものが一定間隔で配置され、そこでは沈殿や活性汚泥法と呼ばれる画期的な試みがなされていた。


「アレクサンダー皇帝陛下は、冷血皇帝と言われているけど賢帝なんだよ。あの方が皇帝になる前にも下水道らしきものはあったけど、病気が蔓延してなぁ。下痢、嘔吐、腹痛、痙攣を起こしてたくさんの人間が死んだのさ」


「そうそう。これは不衛生な住宅や汚水の垂れ流しのせいだとアレクサンダー皇帝陛下がおっしゃってねぇ。多くの研究者達に予算をとって解決策を模索させたのよぉ。コレラン病は不衛生な生活習慣が原因ってわかったのよぉ」


「アレクサンダー皇帝陛下が汚水処理場と道路の清掃に、老朽化した集合住宅の建て替えをしてくださって、病気になる者が激減したんだべ。だから、おいら達は安心して生活できるんさ」


 庶民の声を拾っていくうちに、アレクサンダー皇帝が賢明な統治者であり、善政を行っているという確信を得た。


(こんな指導者が、自国の騎士に他国で暴挙を働かせるはずがない)


 僕は移動中に見かける騎士たちの制服を注意深く観察した。下級騎士の制服は、細部でスペイニ国で暴れていた者たちとは異なっている。ローマムア帝国の騎士団員の制服の袖口には金糸のラインが2本入っており、マントは内側が赤、外側が紺だ。だが、スペイニ国で見かけた騎士たちの服には金糸のラインは1本しかなく、マントは両面が紺だったのだ。

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