第25話

 おいおい、何を不穏な事を言うんだ。それじゃあその言い方じゃ、裏で上手くいってない部分があるっていう風に聞こえるぞ? そのお言葉、ご最も。まあでも実際、一つだけ周囲に気が付かれずヒッソリと上手くいってない事があるんだよね。周囲には気が付かれ辛い、当事者だけが分かる結婚生活における問題。それは何か? ……そう、性生活だ。

 俺とカーティスは結婚してから一度もそういう事をしていない。それどころか、したのなんてカーティスの初体験だったあの1回こっきり。あれが最初で最後だ。え? 初夜はどうしたんだって? 俺が適当に『悪いけどまだ結婚したって実感が湧かないから、そういう事をするのはお前の事を伴侶として意識してからにしてもいいか?』って頼んだら、疑う事を知らない優しいカーティスは快くOKしてくれたんだ。嘘をついた罪悪感で心が痛むが、仕方ない。悪いとは思うが俺はもう二度と、カーティスと体を重ねる気はなかった。

 結婚までしておいて、何往生際の悪いまねしてるんだって? だからこそだよ。もし仮に体を重ねたら、否が応でもお互いに相手の事を強く意識する事になる。結婚してまた関係したせいで、それで情が深まったら、別れる時お互い辛いじゃん。それで別れ辛くなってズルズル時間とか色んなリソースを無駄に浪費したら、目も当てられないし。ここで体を重ねないのは、俺なりの配慮なのだ。

 それに、最悪白い結婚を理由にカーティスがズルズルこの関係を続けようとしても離婚する事ができる。その時は俺側が初夜の拒否やらなんやらをしているので、カーティスの落ち度にはならず瑕疵は俺にだけ着く。カーティスも一応若い男だし、いつまでも体を明け渡さない伴侶なんて、その行為がどんなものか知っている事もあってその内嫌になってくるだろう。そうなったらしめたもの。カーティスも望んだ上で堂々と離婚できる。

 俺だってカーティスの事は嫌いではないが、それはあくまでも弟分としての話。伴侶としては好き嫌い云々以前に今までそういう対象として意識した事がない。なのでこれからもこれまで通り2人仲良く暮らしていれば、関係は発展しないままでもカーティスは満足するし俺は感情が恋心に変化する事もないしで、現状維持という名の関係の停滞と穏やかな破滅を狙っていけると思っていた。そう、思っていたのだが。しかし……。

「オリバーさん、この間南東諸国の島ごとにある微妙な方言の違いに苦戦してるって言ってましたよね? 丁度いい教本があったので、取り寄せておきました。使ってください。……え? お礼? いいですよ、そんなの。僕の為に頑張ってる伴侶を助けるのは当然の事です、あなたの伴侶としての特権ですからね。でも、どうしてもお礼がしたいのなら、その……。今度から、もっと砕けた話し方をしてもいいですか? 折角結婚できたんですから、距離を縮めたくて……。いいんですか!? やったぁ! それじゃあ、よろしくね、オリバーさん!」

「うわぁ、とても綺麗な絵だね……。この絵の中で夜空が光ってるのは、オーロラっていう現象が現れてるんだって。凄く寒い国でだけ見れるのか……。いつか機会があったら、直接この目で見てみたいね。勿論、2人一緒に!」

「オリバーさん、ちょっとお願い事してもいい? 実は今日、外交文章の草稿を初めて全部一人で書くように任せてもらえたんだ! 王弟殿下が、そろそろ慣れてきた頃だろうし肩慣らしにやってみなさい、って。それで、一生懸命書いたら、いいできだって褒められたんだ。僕、頑張ったでしょう? だからご褒美に、頭撫でて欲しいなぁ、なんて……。わぁ、有難う! フフフ、幸せだなぁ。……え? ご褒美の上乗せで、今日はギュッとしながら寝ていいの? 本当に? 凄い……! 僕、幸せ過ぎて困っちゃう……!」

 椅子に座った俺の膝に頭を乗せて、ウットリと髪を撫でられているカーティスの表情が幸せそうに蕩ける。最初はリリアナ王女に復讐する為に行っていたカーティスの身だしなみの手入れは、王女から解放された事によってリソースが割けるようになったのもあり今ではすっかり習慣化された。もっと言うとカーティスは手間だろうからと遠慮するが、俺が手ずからやってやると明らかに大喜びしているので、今でもカーティスの身だしなみの手入れは自分の方がやり慣れてるとか何とか言い包めて俺が担当する領分になっている。無邪気に懐いてくるカーティスを見ていると自然と手入れをする手にも熱が入り、結婚後の彼は以前にも増してキラキラと輝いて見えた。

 カーティスは俺が視界に入るだけで幸せオーラをダダ漏れにするので、俺との結婚を後悔するどころか毎日ずっと結ばれた運命を天に感謝しているのが丸分かりだ。こんな俺には本当に勿体ない伴侶である。ただでさえそう思っているのに、カーティスときたらそれとなく俺に贈り物をしたり優しさを見せたり、2人一緒の遠い先の未来の話をして楽しみだとはしゃいでみせたり、普段は確りしている癖して2人切りの時には俺にしか見せない幼い顔で飛び切り甘えん坊になったり……。カーティスのそういう堪らなく可愛いところを見つける度、どうしても俺は彼を構い倒すのを我慢できなくて、否応なしに2人の距離は縮まっていく。

 そう、カーティスとの離婚を目指している俺にとっての、最大の問題。それは、カーティスがあまりにも可愛過ぎて、ついつい甘やかしたり構ってやったりしてしまう事だった。実家であるターナー伯爵家に居た時の家族には、物心着いた頃にはもう既に放置されていたので今まで気が付かなかったが、カーティスと家族になって分かった事がある。それは、俺の事を溺愛しているのが丸分かりの夢見心地な表情をした人間が、隣に座って好き好き大好きって熱視線を送ってくる上に常に擦り寄ってきて甘えられるのは、かなり照れるが同時に幸せで満たされた気分になるって事だ。

 カーティスは俺の事を自分の世界の中心に置いていて、俺の顔が浮かんだからとお土産をドッチャリ持って帰ってきたり毎日惚気ばっかり聞かされてると共通の知り合いに苦笑いされたり、一事が万事なんでもその調子である。俺は家族からも爪弾きにされるようなつまらなくてくだらない存在だった筈なのに、今やカーティスにとっては俺が太陽で宝物で唯一無二なのだ。あなたがいなくては生きていけないという言葉がある。カーティスは初心なのでそんな気取った事は言わないが、彼の態度はその言葉通りに俺が居なくてはカーティスはとてもじゃないが生きていけないだろう、と確信させるだけの何かがあった。

 そんなカーティスの様子を毎日毎日見るにつけ、俺の方で心境に変化が訪れない訳がない。考えても見みろ。元々可愛がってた相手が、全身全霊であなただけ! ってもっともっと懐いてきて、実際態度からして俺だけしか見てないんだぞ? おまけにカーティスに見栄えする立ち振る舞いや人に好かれる方法を教え、仕込んみ、見た目を整えたのも全部俺。つまりカーティスは見た目も中身も完璧俺好みの貴公子なんだ。そんな相手が全力で懐いてくる。絆されない訳がない。

 気がついた時には、俺は毎日カーティス相手にデレデレして、心行くまで彼を猫っ可愛がりしている状態だった。いや、さっき言った状況下で、相手に冷たい態度取れる訳ないじゃん。それは最早人の心がないレベルだと思う。なんてったってカーティスの愛らしさは天井知らずで、どこまででも際限なく可愛く思えてしまって仕方がないんだ。以前にも増して俺がカーティスを大切に思うようになっていったのは、自然な流れだろう。

 ただ、この気持ちが恋愛感情かどうかは分からない。確かに愛情にも近しい感情は抱いていると思うが、それが親愛なのか恋愛なのかは、あえて深く考えないようにしていた。もし考えた末に自分がカーティスの事を心から愛していると認めてしまったが最後、俺はきっと後戻りできない決定的な一線を超えてしまう事になる。なんとなくだが、本能的にその事を察していたのだ。だから俺はカーティスを馬鹿みたいに可愛がる一方で、自分の心の中にある様々な物事を整理せずに逃げて、必死になって自分の感情を見極める事から目を逸らしていた。

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