第16話

「プッ、……ククッ」

 先ず最初に王弟殿下の隠しきれない忍び笑いが、静まり返った空気を打ち破った。この場で1番身分が高くリリアナ王女の身内でもある王弟殿下が吹き出した事によって、凍りついたように固まっていた人々は再び動きだしチラチラと互いに顔を見合せ、やがて我慢し切れなくなった小さな笑いが周囲に広がっていった。あちらこちらでクスクスと、誰も彼もが自信満々に己惚れて醜態を晒し、滑稽で仕方がないリリアナ王女を笑っている。

 つい先程まで自分は最高の貴公子に恋い慕われていて、婚約を許可してやったら喜んで飛びついてくるとばかり思って有頂天になっていたリリアナ王女は、その貴公子から拒絶された上に勘違いを笑われてその表情は脂下がった満更でもなさそうな笑顔から訳が分かっていない呆然としたものに変わっている。さっきまであんなに必死になってリリアナ王女に取り入り婚約を維持しようとしていた筈のダスティンですら、笑うのを堪え切れていない。若しかするとこうして恥をかいて、いい気味だと思っているのかもしれないな。さっきリリアナ王女は、そう思われて然るべき態度を取っていた。

 余程カーティスにすげなくフられたのがショックだったのか、それとも信じられなかったのか。一頻り呆然として笑われていたリリアナ王女だったが、それでもある程度時間をかけてハッと自分を取り戻す。王女であり自尊心が高くプライドも馬鹿みたいに高いリリアナ王女は、自分が恥ずかしい失態を公衆の面前でおかし、居合わせた人々全員に馬鹿にされ嘲笑われている現状に、一瞬でカッと顔を真っ赤にさせて怒り狂った。

「な……なんなのよ、カーティス! この私に恥をかかせて!」

「恥をかかせてって、あなたが勝手に恥ずかしい勘違いをして、それを止める間もなく自信満々で周囲にお披露目したんですよ? フフッ……。普通一方的な破棄という険悪な形で1度ご破算になった婚約を、また結ぼうとか思います?」

「だってそれは、私が嫌だと言ってなくなった話なんだから、私さえよければ元に戻せるのも当然で」

「あのですねぇ、僕にも一応相手を選ぶ権利があるんですよ。そこの所、分かってらっしゃいます?」

 カーティスが軽く小馬鹿にした様子で言外に『お前が婚約相手とか、ないわー』とリリアナ王女に告げる。それはこれまでリリアナ王女一味からカーティスが受けてきた虐待行為を思えば、当たり前の感想だ。今後またコーエン侯爵家と王家の間でなにか遣り取りがあるにしても、それはせめてリリアナ王女側からカーティスを始めとした侯爵家への真摯な謝罪があった上でだろうに、最低限のそれすらもなく私の夫にしてあげるから喜びなさいだもんな。王女だからってどこまで思い上がってんだって話だし、いくら何でも自己評価が高過ぎる。

「〜〜っ! このっ! あんたなんか私に対する侮辱罪で逮捕してやる! 後悔して後で謝ってきても、絶対に許さないわ! 家族や関係者も、全員道連れよ! 重罰を覚悟するのね!」

「いや、それには及ばないよ、リリアナ」

 今にもカーティスに向かって平手で打ちかかりそうな程激昂しているリリアナ王女だったが、そんな彼女の前にスッと王弟殿下が進み出る。リリアナ王女に手を出されないよう、背後にカーティスを庇う形だ。侮辱された側であり王弟殿下の身内でもある自分を労るどころか、敵である筈のカーティスを擁護する叔父に、リリアナ王女はは驚いた様子を見せそして直ぐに怒りを爆発させた。

「何を仰るんです!? 私をここまで侮辱したそいつを裁かないなんて、何故ですか叔父様!?」

『何故って? だって君はもう直ぐ王室の人間じゃなくなるんだよ? ただの貴族同士では侮辱罪なんて問えないし、平民を貴族が馬鹿にした場合なんてこれと言った罪にすらならない』

 王弟殿下が悠然とした態度と共に、何故かリリアナ王女の問いかけに我が国の母語ではなく共通語で答える。共通語はこの国がある大陸全土の国々で意思疎通の為に使われている言語で、貴族以上の人間ならどこの国でも当たり前の教養として物心着く前から勉強させられる。なので当然上流階級の人間は母語だけでなくある程度共通語の読み書きができるし、できない場合は一族の恥だと言う名目で家を出されたり閉じ込められたり、最悪されるなんてのも当たり前の事実の話としてあった。それ程までに、共通語は大事な教養なのだ。……しかし。

「ちょっと叔父様! どこのかも分からない外国語を使って話を誤魔化さないで下さい! 私は怒っているんですよ! 次期君主の私にそんな態度を取るなんて、叔父様とは言え許されません!」

 リリアナ王女の言葉に何人かがハッと息を飲み、目を見開く。何度も繰り返すようだが、共通語は上流階級の人間としてぜったいに必要な最低限の素養だ。分からないなんて恥だし有り得ない、というのが共通の認識になる程度には、誰もがこの言葉を使いこなせている。そもそもどの国の人々でも簡単に使いこなせるように開発された人工言語なので、なるだけ習得しやすいように簡単に作られているのだ。

 しかし、さっきの言動を見るにリリアナ王女は共通語が分からなかった。少なくとも、外国語としての認識はできても何5日までは特定できない程度には理解をしていない。後数年で成人となる一国の王女が、その有様なのである。ただでさえリリアナ王女は賢いと有名な筈なのに、これはどういう事なのか? 人々の間に疑念が走る。

『許されない? リリアナ、許されないというのなら今の君の発言こそが許されないものだ。まだ立太子もしていなければ青年王族でもない君は、何年も公務をこなし様々な形で国を支えてきた実績のある私に何かを命じられる立場ではないのだから』

 今度は隣国で使われている公用語だ。国交の盛んな隣国でメインとして使われている言語なので、第二外国語として学び意思疎通ができる程度の教養を身につけている者はこの国にも多い。その言語で王弟殿下が言っている内容も真っ当で、リリアナ王女の思い上がりを指摘するだけのものだった。しかし。

「だから! 訳の分からない外国語ではなく、母国語で話してくださいとさっきからずっと申し上げてるじゃありませんか! 今は叔父様の言語能力を披露して自慢する時間ではないんですよ! そんな事もお分かりになれないのですか!?」

 またしてもリリアナ王女は、言われた事を理解できなかったらしい。それは何を言っているかは言語的に聞き取れてその上で内容を理解できなかったという意味ではなく、何を言っているか話の内容を言語的に聞き取れずそれ故に内容も理解できなかった、という意味で。外国語とは言え、親交の深い隣国の言葉だ。母国語以外にいくつも外国語を学ぶのが教養の1つとされている我が国の貴族では使いこなせている者が殆どで、実際野次馬の多くが王弟殿下の言っている内容を理解している様子だった。

 『リリアナ、私は自分の能力をひけらかしている訳ではないよ。君の方こそ、こんなに基礎的且つ上流階級の人間には馴染み深い外国語も理解できないのか?』

「そこまでして自分が優れていると周囲にアピールしたいなんて、叔父様はとても見栄っ張りなんですね! もっと控えめな方かと思っていましたけど、誤解だったようですわ!」

『落ち着きなさい。やれやれ、いくら頭にきてるからって感情に任せて怒鳴り散らすなんて、淑女として模範的態度とは言い難いな』

「絶対にお父様にいいつけてやる! そしたら、所詮お父様に負けて国王になれなかった叔父様なんて、どうとでも処分できるんだから! 勿論、カーティスだってただじゃ置かないわ!」

『そうやって権力を振りかざし周りを萎縮させるのは止めなさい。傍から見ていて品位が感じられず、とてもみっともないぞ。我々王族が権力や権威を持っているのは威張り散らす為ではなく、人々を導く為なんだよ?』

「私は志尊の一族である王族の、惣領娘なのよ!? この場では私が1番偉いの! 誰も私に逆らえないの! 未来の王女を馬鹿にした罪で、あなた達全員犯罪者として地獄に落としてやるわ!」

 その後も暫く、王弟殿下とリリアナ王女の遣り取りは続く。王弟殿下は一言言う度に言語を変えて話をしているが、そのどれもをリリアナ王女が理解できている様子はない。ここまで来ると、彼女が母語以外の言語を理解できない事は客観的に見ても明らかだ。これは国交も仕事の内に入る国家君主に将来なるつもりなら、かなりまずい。別にできないくらいなら周囲に補ってもらえばいいだろうが、これまで自分は優秀で何ヶ国語も操れると吹聴してきたのに、それが全て詐称だったと分かってしまったのだから、今がどれだけまずい状況なのか分かってもらえるだろうか?

 今まで公の場に出て外国語を介さねばならなかった時は、隠れて通訳した内容を耳打ちしたり、他の人間に答弁させたりと誤魔化せていたのかもしれない。しかし、リリアナ王女は馬鹿にされ笑われて怒り狂うあまり、今に限ってはその誤魔化すという行為が頭から綺麗にすっぽ抜けてしまったらしかった。今や彼女の虚飾による嘘は全て暴かれ、人々は驚きを隠せずにいる。激しい怒りに思考を支配され喚き立てるリリアナ王女本人だけが、この危機的状況に気がついていない様子だった。

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