もう、誰も、卓の上のものに手を付けてもいない。といってもお代わりを頼むくらいだから残少ではあったのだけれど。


「自分が特別、自己犠牲の心が強いとは思いません。しかし視点の違う所から見れば…年を過ごすほど三嶋は…押し込めるものを増やしていって。表を平らかに見せようと整えるほどにいびつな裏面が際立つ粘土細工のような…」

「…穣くん」

「私は、望んで膝をついた。…あの方の心に添えようはずもないことは承知で、あの方を抑える為に」

「槌谷」

「あのかたは、今、花様を、【花ちゃん】と呼ばれるけれど。私の前では変わらない。ずっと前の呼称のまま」

「穣くん」

「花様、申し訳ございません。説明の為とはいえ僭越せんえつな物言いを」

「大丈夫」

「お許しください、嶺臣様」

「構わない」

「離れることを選べなかった。無理に離れることはきっと出来たけれど。きっと、嶺臣様、花様ならば、対応してくださると、考えながら。お二人をわずらわせることがためらわれるほどに…」

「見えねえところで三嶋はイカれていってたわけか」

「……はい」

「いるんだよな。中途半端なソシオパス」


聞きなれない言葉ではあるが。

サイコパスよりも衝動的でナルシスト。

利己的で手段を選ばないが、それを上手く自分、周囲を操作して自分に周りの悪意を向けさせないようにするのが上手く、行動の意図や自分の感情の隠蔽が割合と完璧なサイコパスとは違い、行動はなんとか誤魔化せても感情を隠すのが下手で衝動が押さえにくく、トラブルメーカーになりやすい。

実は自分の思い通りにならない事が大嫌い。


うん、当てはまるなあ。


「穣くんはお医者さんの免許もあるからね」

「実家と私の専門は外科なので精神的なものは門外漢ですが」

「それでもあやういと思ったのね」

「……ええ」


人を、他人を観察するのがさがの医者一族に生まれた故か。


穣くんをじっと見ていた嶺臣が口を開く。


「それをテメエの自己満足とは、俺は笑ってやれねえな」

「嶺臣」

あいつはな、よだれを垂れ流したまま餌の前に括り付けられた犬だ」

「…嶺臣様」

「餌は花乃じゃねえよ?勿体なさ過ぎて反吐が出る。あいつの餌はあいつ自身の下らねえ妄想ゆめと希望だよ」

「……容赦がねえなあ、嶺臣」

「お前が言うか」

「聞きてえことが有るんだが、槌谷」

「……暢友さん」

「良いねえ。その低音で、さん付けで呼ばれるとゾクゾクする(笑)」

「ノーブ。変態くせえ」

「酷い(泣)」

「ノブちゃん?お前が泣いても可愛くねえ。さっさと言えや」

「槌谷」

「はい」

「お前は自信はあるのか」

「……」

「歯車なんぞと言ってるが、今、ここに呼ばれている意味を、わからねえほどお前、馬鹿じゃ無いだろ?」

「暢友…様」

「俺と嶺臣と花。【下】なんか連れてこねえ料理屋に同席させてる」

「………」

「答えろ」

「ノブ、怖いぞ?お前。マジメにしゃべるとイカツイんだよ」

「今、槌谷穣は暫定ざんていで花付きだ。もしこれが仮位置じゃなくなったら?」

「……」

「翔をどうするかは上部連の領域だ。それがどんなものだろうが、知る必要もない。だけどな、槌谷穣個人の処遇なんざ、そこに座って煙草モクふかしてる男の心づもりで即決する」

「だなぁ」

「嶺臣、吹かしすぎ。けむい」

「スマンスマン、花乃」


灰皿に押し付けられた煙草の先の赤い光が消えてゆく。


時代柄か電子タバコにも手を出している嶺臣だが、やはりストレスが少なからずかかると煙草に頼る。


「お前さんは今の槌谷穣のまま、嶺臣の中で、アレと同じライン上に置かれたとしてどうなる」


随分と意地悪な質問だね、暢ちゃん。


「……私は…見ろと言われたものを見て、見るなと言われれば見ず、立てと言われるならば立ち。座れと言うなら座ります。三嶋のそば付きで無くなったとしても、善の実にしろ悪の実にしろ、自分の耕してきた畑からしか収穫はできない。彼が今、失態のなかにいても。彼の功績もまた小さくはない。ですが、唯唯諾諾いいだくだくになる事をここにいる皆様が望まれないならば」


室内の空気は緊迫感に満ちてひどく重く。

並の人間なら口を開く事も容易ではないというのに。静かに穣くんは言葉をつむぎ始めて。


「『手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる』、嶺臣様が花様のお側に私をお望みならば。お二人の望まれるまま、誠心誠意お仕え致します」

「……?」


キョトンとする暢ちゃん。苦笑する嶺臣。


「ノーブ(笑)。『手を翻せば』ってのはな。【昨日の友は今日の敵】の類語。……本当に頭キレるな、槌谷」

「……有難うございます」


凍っていた空気がふわりと解けていくような。


嶺臣が一つ二つ、高い音で手を叩く。


廊下から、遠く“はーい”という女将の声が聞こえ、賑やかさが近くに戻ってくる。



「花乃」

「はい?」

「食ったら、槌谷とマンション戻れ」

「……うん」

「槌谷」

「はい」

「朝までか、昼までか。戻るまで、花と一緒にいてやれ。許す」

「畏まりました、お守り致します」

「嶺臣ちゃーん♬」

「ノブ」

「はーい」

「五番に連れてけ。食ったら最速で」

「はいはい」

「ハイは、一回(呆)」

「はーーーーい」


二人が茶番を始めだす。

人払いが終わり二回目の料理が出てくる前の雰囲気直し。


だけど内容は………。


「好きに食べましょ」

「花様」

「別に早く食べろとは言われてないわ?消化が悪くなっちゃうから、この二人の指示は半分聞けば良いのよ」

「ヒッデェ、花」

「事実には間違いないな」

「せっかくのお料理ですもの。美味しく頂かないとね」

「はい、花様」



私達は戻れば良いけれど。


暢ちゃんと嶺臣の【夜】は今からだ──。

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走狗《そうく》~私のSTELLA《星》 塩澤悠 @gurika

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