彩矢ちゃんが再び部屋外へ消えると。


「さーて」


かっちゃんの声から感情が消える。


「業務報告だ。瑶子さんは急病だ。で、追加の業務連絡。…美貴、明日からママやってくれ」


有無を言わさぬ、声。

三嶋翔という、衛藤嶺臣の懐刀の出す、酷薄極まりない【命令】。


「たいへん♪忙しいのにね」

「全くだ。美貴?」

「畏まりました、お引き受け致します」


迷いをみせない、潔い返答がこころよい。


「ですが、衛藤オーナーには…」

「連絡とった。【好きにしろ】だと」

「いっつもそれね、嶺臣れおは」

「“秘密の花園に生える下草(本来は地面を彩るために植える名もない草花、あるいは森林で木の下に植わっている草木。地面や木株を保護する意味合いもある。転じて、取るに足らない者の意味)刈りや植え替えなんぞ、俺はやらん。好きなんだからお前やれや”ってさ」

「ひっど」

「でしょ?人づかい荒いんだから。好きでやってないっての」

「嶺臣は相変わらずの傲慢ごうまん大魔王(笑)。かっちゃんはちょっと嘘つき♪」

「……(笑)。…言えるのは花ちゃんだけだけどね」


会話は軽い。部屋に流れる空気はけして軽くはないけれど。


この部屋にいる人間、誰一人。一かけらの動揺の色すらその顔に浮かべていない。

それが恐らくは現在、阿鼻叫喚であろう、瑶子ママ、旧体制との【違い】だろう。


あちらにしたら降ってわいた災難だ。

久しぶりにオーナーのお気に入りの女、そして三嶋翔が来るので、表面上は渋ってみせても。やすやす受け入れ。

うまくやったつもりだったろうに。

ただ、その渋りかたはステレオタイプで薄っぺらく、三嶋翔をイライラさせて。

それだけならまだしも。

ゾロゾロと無駄な迎え。

そのなかに、本来は私に面通しだけでもふれ合うことすら、オーナーである嶺臣も、懐刀の三嶋翔も許していない女達が当然かのようにつき従い。じろじろ私を見て、品定めしていた。


この時点で実はアウト。


別の店なら。

私とかっちゃんを迎えるのはママや役つきキャストではない。正確には客じゃないからね。

お金を落とし、通ってくださるお客様ではない。店にとっての特別な【待遇ゲスト】対象ではあっても。

幹部クラスの黒服二人がベスト。あらかじめ分かっていても急でも。ママや役つきキャストはVIPルームで接待キャストと待つのが炎鷹うちの不文律──。


わざわざ人目につく入り口に【三役 】が出てきて。後ろに見知らぬ新入りの女達が我が物顔。

反するかのように売れ行き上位どころか、その上を叩き出す看板キャスト達は姿も見せず、VIPルームで私を待つ──。



すぐに見て取れる、店内における力関係の明らかな分断。統率力の低下。

もともと統率の強いタイプには見えないし、それが上手そうには見えなかったけれど。


それにしたって。

あれはない。


オーナーの意向に逆らったような行動を無自覚に取る。

しかも炎鷹のトップに限りなく近い位置にいる衛藤嶺臣の店のママの座についていながら。


本当に無自覚かは知りたくもないし、知る必要も私には無いけれど。瑶子さんが心のどこかでそだてた怠惰、慢心は見逃せないものだ。


選ばれて、長くこの地位に居るのだから少しくらい……。私の好きにしたい。


嶺臣が一番退屈して、興味を無くす考え方──。

怒りはしない。あの人は。


存在が、眼にも耳にも、心にも止まらなくなるだけ。


そして。

衛藤嶺臣が興味を無くし。彼を退屈させた不届き者を、のうのうと生かすほど、【嶺臣のまわり】は甘くない。


三嶋翔がここに来たのは幾つもの意味がある。

それがどんな意味、思惑をはらんでも。

何が起こっても。


私は──ただ、微笑えばいいのだ。


口にされてもいないこと、目に見えてもいないことに一喜一憂するほど野暮でもないし、正直者でもないからだ。



だからこそ。

私はギムレット《長いお別れ》を頼んだ。

かっちゃんにはフォーリーン・エンジェル《叶わぬ願い》を。


勿論、叶わないのは、三嶋翔の願いではなく。

一人の女の出過ぎた欲望。


フォーリーン・エンジェルは【堕天使】を意味する。

天使のなかの誰よりも愛されながら、神により天国、《正しい世界》から追われた堕天使ルシファー。悪魔の世界で美しい顔に似合わぬ汚れ仕事をいとも平気な顔をしてやってのける──。


この状況下で彼が飲むのに、これ程ふさわしいものもないだろう。

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