✰✰金糸雀✰

嶺臣は、深夜に帰ってきた。


濃い、香水パルファンの薫り。


トム・フォードのノワールプールファムが嶺臣は好きで。


妖艶で甘いフロリエンタル(フローラルスイート)ノート。

チョコレートを思わせる甘く繊細なビタースイート感も有りながら、スパイスの効いたクリーミーな香り。私は嶺臣の腕の中で感じる濃いミルキーさが気に入っているのだが。

「ノワール」の名にふさわしい、近づく人を溺れさせるようなミステリアスで心地よい色気を放つ香水。かなりのロングラスティング(薫りの持続時間)、半日以上。


よく覚えてたな、私。

かっちゃんに教わったり、嶺臣本人が教えてくれたり。


洗練とか、スタイリッシュとかはわからなくても、これを着けた嶺臣がカッコいいのは確か。


だけど。


今日の薫りは。

濃さが……新しい。


恐らくは、つけ直したのだろう。


私を抱きしめて、髪を撫でる嶺臣の、爪から本当に微かに香る血の、匂い。


「翔に聞いた」

「ん」

「松澤が店に来たって?」

「うん」


かっちゃんは、嶺臣が帰ってきて玄関で少し話していて。それからすぐに帰った。

同じマンションの数階下の自分の部屋に。


「嶺臣?」

「あ?」

「サロン、午後がいい」

「……午後早く?遅く?」

「午後二時くらい」

「…翔につかせるか」

「(スケジュール)空いてる?」

「空かせるし、空けるだろうよ?あいつなら」

「…なら、頼もうかな。さすがに体痛いし」

「………」

「怒らないの、【事故】だから」

「…あれを事故って言っちまえるお前の経験値が怖いよ」

「足の引っ張り合いなんか、生まれた時からでしょ?自然淘汰に勝ってきただけ。器用じょうずではないけど」

「…本当に、お前は面白いオンナだよ」



「…ずっと、【見てた】よ、私のこと」

「松澤か?急に話戻すねぇ、花乃ちゃんは」

「ん」

「聞いてないな」

「かっちゃんには言ってない。心配するし」

「…俺はしないって(笑)?」

「だってさ。かっちゃんは心配性過ぎてこっちが心配になる。私はお砂糖と可愛らしい何かでできた【オンナノコ】じゃないのにね」

「(笑)」


「おんなじテーブルには呼ばれなかったし、お酒も注いでないし。馴染みのひとを側につけて。視線すら寄越さなかった」

「でも一瞬も、お前から意識を離さなかった、か?」

「うん」

「生意気だな」

「(笑)。…私が誰かは知らないよ?絶対」

「それでもお前を眼のはしに入れて、心に止めただけで生意気だな」


腕の中から見上げる嶺臣の眼ににじむのは、妬心としんで薄く覆われた、独占欲。


「しばらくは目の届くところでさえずって貰えると安心なんだがな、金糸雀カナリア

「嶺臣」

「…お前の言いたいことも知れてるし、考えだって理解しない訳じゃない。だけど、ここまでのは今までなかった」

「………」

「お前は俺以外には寡黙なカナリア(金糸雀には【おしゃべり】という隠語がある)だ。俺の純粋な愛玩鳥。俺が望めば、な」


優しく私の頭を撫でながら、酷薄な事を呟く、唇。


「俺を楽しませる。だからこそ」


ともなう【危険】。


「…何か分かったの」

「あの馬鹿どもだけであれだけの事が出来ると思うか」

人形ドール…?」

「可能性は、な」


少し眉根を寄せて嶺臣は言葉を継ぐ。


「操る先は今日の今日では割れないが。ドールは壊しちまったしな。でも、元は辿る」

「ん」

「幾重にもフィルターかけて煽動せんどう。馬鹿には効く手だ。操られてることすらわからずに」

「よくある手だね」

「……花乃」

「どこにいっても変わらない。上と下との騙しあい。蓋を開ければ汚さは変わらないのにね」

「……頭の良すぎる女だよ、お前は」

「私は馬鹿だよ」

「…そうだな。俺となんかいる時点で馬鹿かもしれない」

「それは認めない」

「(笑)」

「…分かった。暫くは【お部屋で唄う】。かっちゃんにも言われたし」

「…あれも過保護だなぁ」

「だから次はかっちゃんが決めていいよって言った」

「優しいな」

「違う」

「花乃」

「…自分で決めないときはどこでもいい、おんなじ」

「酷い、オンナ(笑)」

「そうね、そのほうが嬉しいかな」


ポンポンと続く、編むような会話。

私達にとっては充分に甘く、他者にとっては残酷な。


「…とりあえずは安心」

「嶺臣」

「聞きたいか?どうなったか」

「…そうだね、簡単に」

「男と女は【病院】行き」


それは彼らがこの先、誰かの身体の中で生きるということ。


「…遊びすぎだよ、嶺臣」

「無言になったほうが罪を償えるさ、あいつらは。したくなくてもな」

「もう、恨み言すら、言えやしない。聞きたくないけど」

「…花乃」


不意に顎を持ち上げられ、柔らかく重ねられる唇。


「…ん……」

「…お前は可愛いよ、花乃」

「ありがと」

「可愛い俺の愛玩オンナ

「嶺臣…」

「だから、不用意に鳥籠に触れる指なんか、手首ごと切り落としてやるさ。いつだって」


甘く、危険な独占欲プレゼントしか、くれない男───。


ギリギリと胸を引き絞る愛しい男の声に、私は今日も微笑わらう。


「ベッド、行くか」

「…ん……」


血でたぎった男の欲を冷やすのは私の胸からしたたり落ちる、冷えた血潮。

熱くなることを決して許されない───。


金糸雀は沈黙する。

主人の危機の時に囀りをやめる。


ここに毒があるよ、と。

金糸雀は何を思うのだろうか。

冷えた身体を地に横たえ命尽きるときに。


ならば私はせめて今、彼の前で【唄う】。

……声を、限りに───。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る