あ、【壁】の向こうの二人。

また鳴き声出し始めた。


痛い!嫌だ!ゆるして!

なんで?どうして?私が。俺が。


「よく頑張ったね、花ちゃん」

「…ん」

「俺の言ったのも覚えてた?」

「…うん、嶺臣に電話かけるのは本当に【隠れる】前。安全なところ。そこから移動するのは薄暗くてカメラの死角の路地に」

「……花丸、百点」


かっちゃんの声は蜂蜜みたいに甘く優しい。

時々、嶺臣に飛ばす声は針みたいに鋭いけど。


かっちゃんは自分のジャケットを脱いだ。

そして私の膝をくるむようにして地面と離して。


「…他は?」

「髪の毛痛い」

「ちょっといい?確認しても?」

「いいよ」


するとかっちゃんは私の髪の毛と頭の状態を確認しはじめ。


「うわ、無造作に力いれて、掴んで引いたって丸わかり!途中で切れてるし、抜けたとこの頭皮……サロンのお姉さん達、発狂案件」


ギャアッ!

声がまた増える。


煽るなあ、かっちゃん。

かっちゃんが饒舌じょうぜつになるほど、嶺臣は無言になる、…いつもの事だ。


「嶺臣さん、悪いけど任して良いっすか?」

「…………」

「嶺臣さん」

「花乃を車に連れてけ、翔。伊砂いさと柏崎残してってくれりゃ良い。先に帰れ。俺の車は近くにあるから俺らはそれでもどる」

「はーい」


壁の向こうから絶対零度の声が返り。逆にかっちゃんは嬉しそうに笑う。

そしてよっこいしょ、って声に出して。


私を抱き上げて。歩きだそうとして。立ち止まる。


「伊砂」

「はい、三嶋さん」

「悪い、ちょっとだけ。三分。花ちゃんパス。花ちゃん良い?」

「うん、良いよ。伊砂さん、こんばんは」

「……花さん、失礼します」


壁になっていた伊砂さんと私を抱き上げてたかっちゃんが入れ替わると。


「くそ雌犬ビッチの分際で烏滸おこがましいんだよ!」


バキバキって音がして。

今まで小さくて聞こえずらくなっていた愛実ちゃんの声が一瞬消えたあと、身の毛もよだつような絶叫が、聞こえてきたのは、きっと…気のせい。





「どうどう」


車の中に移ってから。

助手席から手を伸ばして私はかっちゃんの頭をよしよしと撫でる。


「シートベルト、きつくない?花ちゃん」

「平気」

「後部座席のほうが良いんだろうけど。…俺がダメだ、ごめんね。ちょっと落ち着いてから出すわ」

「うん」

「めっちゃ切れてるし。嶺臣さん」

「…そうだった?」


ハンドルに頭をつけちゃってるかっちゃん。

わしゃわしゃしても復活は先みたい。


嶺臣、キレてたのは、分かったけど。

いつもと違うくらいキレてたかな?


「空気が違う」

「……」

「花ちゃん、あいつらになんか言われた?」


かっちゃんが不意に顔を上げて聞いてくる。


「んー……」


言っても大丈夫、かな。

かっちゃんに。


「嶺臣さん、ラインで【すぐ来い、◯◯町、あとはGPS】しか記入なかったから」

「……怒んない?」

「……」

「戻らない?一人にしない?ちゃんと送ってくれる?約束してくれたら話す」

「ずりぃな……花ちゃん」

「かっちゃん…」


かっちゃんの顔の前に小指をひらひらさせれば。


「…分かった。指切りげんまん」


苦笑して、自分の小指を絡めてくれる。


さあ、言うか。やくそくだから。


「スマホ構えて、【我慢して撮ってやる】って。【アンアン無様によがってんの、動画撮って晒してやる】って。【さっさとヤり捨てろ、立ったまま、着たままならバレにくいし】って」

「………っ…!…」

「男のほうは、【お互い楽しんだら、メーカーと居場所?紹介してやるよ】って。AVに売るの?って女に聞かれてたよ?」

「……そりゃ……キレてる…はずだよ、嶺臣さん…聞いてたんだろ?」

「らしい」

「……っ……」

「かっちゃん……大丈夫?」

「……車、出そっか。花ちゃん。悪い、物理的にここ離れさせて。じゃなきゃ確実に俺、戻る。花ちゃん、車の中において一人にしちゃうから」


かっちゃん、上げた顔をまたハンドルにつけて、ぶるぶる震えてる。


「ん、分かった。多分、嶺臣、遅いから。マンションまで一緒にいったら、眠るまで一緒にいて?」


だから、そう言えば。


「…分かった。お腹すいてる?」

「ペコペコ」


明るい声にシフトし直してくれる、優しいかっちゃん。


「じゃあ、美味しい『花ちゃんスペシャル』作るかあ♪冷蔵庫の中身補充完了してるし♪」

「早く帰ろう」



かっちゃんは料理が上手い。

嶺臣がいうくらいだから。


「楽しみ♪」

「…花ちゃん。マンション帰ったら手当てさせてね。それから、…今の店はもう、行ったらダメ」

「…かっちゃん……」

「なあ?お願い」

「………」


二週間、か。

今までで一番短い。


別にやめるのは、構わないけど。


「また、探さないと」

「花ちゃん」


車は滑り出している。

かっちゃんの指先が動いて、BGMが流れだす。


「怖い思いしたのに……」

「でも…」

「花ちゃん遊んでたって余裕で食わせられるよ、嶺臣さんは」

「…分かってる。だけど」


私は嶺臣と会って、嶺臣に…可愛がられるようになっても。

夜の世界を泳いでる。


嶺臣に自由を貰って。


思惑を抱えながら。



「ずっと遊ぶのは、窮屈。嶺臣は退屈が嫌いだけど、私は窮屈が嫌い」

「花ちゃん」

「ずっと働いてたから。ぶらぶら遊んでると…自分の必要性を…感じなくなる」

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