第11話 皇帝からの招待状
暖炉の前でホットワインを飲んでいると外から角笛の音が聴こえてきた。うちにこもった、不思議な音だ。
「皇帝の使いだよ。君も着替えないと。まったく、こんな
公爵はかたそうな上衣を着ながら言った。
皇帝って、なんてありがた迷惑な存在なんだろう!せっかく二人で幸せな時間を過ごしていたというのに。
「皇帝陛下からの招待状です。今度の春にはぜひ宮廷にいらしてください」
書斎に入ると、皇帝の使いだという男が立ったまま公爵に話しかけていた。濃紺のビロードのマントの中からいそいそと書簡を取り出して差し出す。
「ウィスキーは?」
公爵がきいた。
「ええ、長旅でしたから」
使いの男はちょっとリラックスした様子で言う。
「エディス、皇帝の使いのディーン・ハマスだ」
公爵とハマスは以前からの知り合いらしい。なれあいの雰囲気があった。
「噂は以前からお聞きしております、公爵夫人」
ハマスがおもねるような口調で言う。
「まあ、どんな噂だか。それに私、公爵夫人じゃないんです……」
「エディスは私の婚約者だ。二人で婚約期間を楽しんでいるところでね」
マックスはすかさず言葉を継いだ。
書簡に目を通し、少しだけ顔をしかめる。
「ハマス、外に犬でも見に来ないか?この間、新しい猟犬を仕入れたんだ。賢いやつだ。もうここの地形を覚えている」
ハマスのほうが一枚上手だった。マックスの思惑を見透かして、私の前ですべて話してしまうつもりだ。
「陛下はエディス様を招待してらっしゃいます。もしあなたが断れば、皇帝は忠誠心を疑うでしょう。陛下にはあなたとエディス様の婚約を解消する力があります」
私を宮廷に送り出さなければ、皇帝の権力で結婚をぶち壊す、ということである。
どうして皇帝がエディスのことを心配するのだろう?忠誠の印として婚約者を差し出せ、という命令なのか。幼馴染への純粋な思いやりなのか。それとも単なる公爵への嫌がらせか。
「脅迫か?皇帝はたしかに私とエディスの結婚を取り止めさせることもできるし、婚約破棄を要求することもできる。だが私の許可なしに、エディスを連れ出すことも、奪うこともできない」
「すると皇帝との対立を望んでいるのですか」
ハマスは感心しない、というふうに言う。当然だろう。常識ある人間なら、なんとしてでも皇帝との対立を避けるものだ。
「私は平和を望んでいる。だが、皇帝の方はどうかな」
宮廷に行く気はなかった。領地での生活は楽しい。雪の上での橇や旅籠の村人たち、主寝室の大きな暖炉。どうせ華やかな宮廷生活にはなじめないだろうし。マックスが皇帝と不仲なら、なおさらのこと、宮廷には行きたくない。
公爵は中庭の青白い雪の中に立っていた。トナカイのひく橇に乗る男と、何か話している。
険しい顔をしていた。氷の上の石像のような難しい顔。まるで私なんか、彼の心の中には存在しないみたい。心の中にひゅつと冷たい風が吹き込んだ。
「宮廷には行きたくないわ」
トナカイの男がそりに乗って遠ざかってゆく。
「そうか」
上の空だ。
じっと立っていると、ようやく振り向いてくれた。
「だが遠慮するべきじゃない。ひょっとしたら、皇帝も君と結婚するつもりなのかもしれない。君もアルフレッドとの友情は大切だろう?」
「彼は友達よ。でもあなたは私の婚約者なの。皇帝と思い出話に花を咲かせるよりも、あなたと一緒にいたいわ。それも二人っきりでね」
腕にふれ、微笑んでいう。
公爵は厳しい顔をほころばせると、私の手を取って唇に押し当てた。
敵意あふれる相手でも、脅迫めいたことをしてきた相手でも、客人はもてなさなければならない。
ディーン・ハマスは私たちの期待をよそに長々と居座った。田舎の雪山での生活が昔から憧れだったらしい。ウィスキーをチビチビやりながら、犬ぞりについて語っている。
この人は心臓に毛でも生えているのだろうか。公爵は何度も冷たい言葉をかけているのに。
「いやあ、ここの景色はすばらしい。あの氷河は恐ろしいくらいに美しいですね、公爵夫人」
ハマスは塔の部屋に入ってきて言った。
たしかに窓から途方もなく大きな氷河が見える。
私は暖炉の前の肘掛けいすに座って、針仕事をしていた。
「ええ、まあ。氷河とこの土地は切り離せませんものね」
公爵夫人と呼ぶのは間違いだと指摘する気も起きない。ハマスは毎回まちがえるのだ。
「そうですよ。公爵もこの土地と切り離せないが」
彼はそう言って私をじっと見た。何を言うべきか迷っているのだ。
「公爵は偉大だが、恐ろしい男だ。あなたのようなうら若い女性が生活を共にするとは勇敢なことです」
「マクシミリアンのことで、皆さんに伝わっているのは単なる噂ですわ。もちろん、領地経営の腕はたしかですけれど」
「領地経営?それだけじゃないでしょう?」
「なにをおっしゃっているんです?」
さっさと彼との会話を切り上げてしまいたかった。ハマスは私たちをうんざりさせる。無神経で油断のならないスパイなのだ。
彼は深刻な顔をしてため息をついた。
「公爵はもちろん偉大な方だ。どんな偉大さにも犠牲はいる。彼が残虐な仕打ちをしようとも、非難はできない」
私は針仕事を傍に置くと、顔を上げて彼を見た。
「秘密を知らないのですね。地下牢にはおぞましい秘密が眠っている。公爵は気の毒な方ですよ」
ばかばかしい。ひどい言いがかりだ。
最初はそう思った。でも、もし本当だったら?公爵の黒い噂は、何もハマスだけが口にしていることではないのだ。
彼の寝室から鍵束を盗んで、地下牢に忍び込む。真っ暗で冷たい、不気味な場所だ。うめき声が聴こえた。鉄格子の下から手が伸びてきて、私の足をつかむ。思わず悲鳴をあげそうになった。ものすごい力だ。地獄の
素早く松明のあかりを突きつけた。体は傷だらけ。深くえぐれた鞭のあと。突然のあかりに目を覆っていた。まるで盲人のようだ。暗闇と絶望の中に取り残された子どものよう。
痩せ細ってあばら骨が突き出ている。
「奥様、どうぞお慈悲を。ここから連れ出してください」
弱りきった声だ。
恐ろしさでいっぱいで彼から手を振りはなし、あとずさった。だが、四方八方囚人だらけだ。みな痩せ細り、怯えた目をしている。
泣きそうになりながら、地下牢を走った。
「マックス、マクシミリアン、起きて」
必死に揺さぶる。
マックスは起き上がって私を見た。私の涙でぬれた目を。
本当はわかっていたのだ。マックスがあの囚人たちに拷問を行ったことは明らかで、釈明はできないということを。
翌朝、私はディーン・ハマスと共に宮廷に向けて出発した。マックスに私を止めることはできなかった。
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