第10話 プロポーズの言葉

「エディス、出てきてくれ。そんなふうに閉じこもって拒絶しないでくれ」

 寝室の外からマクシミリアンが訴えかけてくる。


 私は枕で耳をふさいで、ベッドの上に座っていた。


「帰って。私は生きていたいの。腰に剣を下げてられては、あなたとお話なんかできないのよ」

 かすれた声で言う。


 ひどい状態だった。髪の毛はまる二日櫛を入れていないせいで、豚小屋にしいた藁みたいになっている。それに、顔は涙で赤くはれて、公爵にまる二日殴られたみたいだ。


「話し合うのは私じゃない。君の父上が来たんだ」


 飛び上がって扉を開けた。

「なんですって。お父様がいらっしゃったの!」


 おもわしくない事態だ。マクシミリアンのところまで、あの伯爵が来るなんて。実の父親(と言うよりもエディスの父親)に殺されるかもしれない。公爵を殺さなかったのだから。


 びくびくしながら父を迎えた。伯爵はこの上なく不機嫌な顔をして部屋に入ってくる。遠慮も配慮もない。私の寝癖を見て軽蔑するような顔をした。


「娘を殺しに来たんですか?」

 単刀直入にきいた。


 伯爵の顔が怒りでピクピクと痙攣する。


「公爵を殺さなかったな。しくじったな。この役立たず」


 さらにひどい言葉でののしった。


「ごめんなさい。でも、私には公爵を殺すことなんてできません」


「いいか、公爵には持参金の話し合いの件で来たと伝えてある。だが、お前は今日、私と故郷に帰るんだ。公爵の刺客は別に送っている」


「婚約を解消するのですか?」

 戸惑いながらたずねる。


「元々なかった婚約だ。お前は皇帝と結婚する」


 わけがわからない。今度は皇帝と結婚させて、うまみを吸おうというのか。


 マクシミリアンの領地にとどまっていても危ないけれど、伯爵と一緒にこの城から脱出する気にもなれなかった。


「いつ陛下と婚約したんです?」


 伯爵は今にも癇癪を起こしそうだ。額に青い血管が浮いている。


「これからだ。これ以上質問はよせ。公爵の殺害にしくじったな。お前が死んでいないのは、私に計画があるからだぞ。そうじゃなければ……」


 扉を叩く音が聴こえた。私は伯爵の剣幕におののいて、扉を開けに行く。


 公爵がすぐそこに立っていた。冷ややかな顔つきだ。


「コンティ伯爵、今すぐこの城から立ち去ってください。それもあなた一人で」


「何を言う!この不能の男に、私の娘のことで指図する権利はあなたにはないはずだ。エディスを連れて帰る!」


 私はあんぐりと口を開け、伯爵が逆上して唾を飛ばすのを見ていた。


「エディスは私の婚約者です。暗殺に協力しなければ殺すなどと言うような父親には預けられません。支払い済みの持参金については上乗せしてお返ししましょう。伯爵殿、私にこの場で殺されたくなかったら金を受け取って帰るのです」


 伯爵とマクシミリアンは正反対の様子だった。コンティ伯爵は狼狽し、どぶねずみのように臆病な目つきをしている。一方、公爵は冷静そのもので、眉ひとつ動かさない。


 ぐうの音も出なかった。伯爵は大人しく持参金を受け取って帰るしかなかったのだ。


「君の父上は追い返し、ダイアンは城から追放した。誤解してすまない。でも、これからは、私と一緒にいる限り安全だ。絶対に君を見捨てたりしない」


 気が抜けて、へなへなと座り込んでしまった。マクシミリアンが受け止めてくれる。

 弱々しく微笑んで、彼の胸に頬を寄せた。


「氷河で会った晩に、すべてを打ち明けておくべきだったわ。あなたは誠実で素晴らしい人だったのに。でも、どうしてダイアンを追い出してしまったの?」


「ダイアンには君を殺すように言ってない。たとえ本当に私を殺そうとしていたって君の命を奪うことなんてできなかった。だが、ダイアンは嫉妬と不安から私の婚約者を殺そうとしたんだ」


「あなたを信じるわ」 

 そう言ってにっこりと笑った。満面の笑み。ひさしぶりに心の底から笑ったような気がする。

「私も最後の最後になって、毒を盛ることができなくなった。本当を言うと、大広間で初めて会った時にわかっていたのよ、この人を殺すことはできないって。だって、あなたは、あなたには不思議なつながりを感じてしまったから……」



 その晩は吹雪で冷え込んだ。二人で暖炉の近くの長椅子に寄り添って座っている。お互いに毛皮付きの部屋着をきていた。右手にはとろとろの温かいホットチョコレート。公爵は私の横顔を見つめている。


「結婚してくれるかい?」

 真剣な調子で言った。


 まばたきして、彼を見つめ返す。


「するわ。もちろん!」

 

 笑みがひとりでにこぼれた。マクシミリアンが大粒のダイヤモンドの指輪を取り出す。左手の薬指にダイヤモンドがキラキラと輝いた。


 こうして彼からはじめてプロポーズの言葉を聞いたのだ。もう婚約していたのだから、奇妙に思えるかもしれない。でも私は踊り出してしまいそうなくらい幸せだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る