第2話:性教育はちゃんとしよう

「――す、すごいです! 生命は神秘で溢れてます!」


 繁華街から場所を変えて、心鉄の家。

 木造平屋、昭和レトロも裸足で逃げ出すボロい外観。築年数不明。ご近所で有名な幽霊屋敷である。

 心鉄はシングルマザーの母と下に三人の妹弟を持つ一家の長男だ。


「はえ~。大変興味深い内容です」


 心鉄の部屋。ひとりの美少女が保健体育の教科書を穴が開くほど凝視している。


「……お前ほんとに何も知らねぇのかよ」

「知りませんでした!」


 家の場所不明、連絡手段もない、交番に立ち寄ったらお巡りさんが巡回中で不在。一人にしたらどうなるか分からない……不安しかなかった。

 苦肉の策として、心鉄は知り合って間もない彼女を自宅へ招待したわけだ。

 いきなり家に連れてきた少女に、家の中はにわかに騒がしくなった。下の子たちはお祭り騒ぎ。中学生の妹が、何故か目を吊り上げて不機嫌になったのは謎である。あれが俗に云う難しいお年頃というヤツか。


 すでに彼女の家には連絡を入れてある。この家の住所も教えた。すぐに迎えが来るらしい。

 その間、心鉄は彼女に――保健体育の授業を実施していた。


 目をキラキラさせて、恥ずかしげもなく教科書の性に関するページを開いて心鉄に見せてくる美少女。


 内臓までモロ出しの写真がデデンと迫る。


「わたし、赤ちゃんは男の人と女の人がぎゅ~って抱き合ってると産まれてくるのよ、って教えられていたので、これは衝撃です!」

「むしろ俺はお前の知識が衝撃だよ」


 見た目はちっこいが彼女は間違いなく高校生だ。とてもじゃないが、彼女の歳で子供の作り方を全く知らない、というのはムリがある。

 が、実際に彼女は本当に『性』についての知識が小学校低学年かそれ以下の段階で止まっていた。


「誰だよお前に性教育した奴」

「普通の先生ですよ?」

「はぁ~?」


 ますます意味が分からない。教育を受けてこの知識量なのか? 

 心鉄の脳内で宇宙ネコが大宴会だ。もしかすると本当に彼女のおつむは残念なことになっているのかもしれない。


「……まぁいい。これで分かったろ、さっきの連中がなんであんたを連れて行こうとしてたのか」

「え? 普通に休憩所に案内しようとしてくれただけ」

「あんたを襲うためだろうが!」

「襲う? わ、わたし食べられちゃうんですか!? お、おしいくないですよ!?」

「……」


 ある意味あってる。

 だが違う、そうじゃない。

 心鉄は天井を仰いだ。

 さすがにあんなことがあった後に、少女の性知識……それにともなう倫理観が欠如した状態をそのままにしておくのはマズイと判断。

 何故だか知らないが、彼女はまともな教育を受けていない。そのせいか貞操観念もフワフワしてる有様だ。


 心鉄は少女に向き直る。

 彼女は教科書片手に「ふむふむ」と何度も頷いていた。

 時折自分の体を見下ろしたり、心鉄の息子に熱い好奇心の眼差しを送ってきたり……


「どこのどいつか知らねぇが」


 心鉄の中で、彼女が知識不足のために危険な目に遭いかけたことに怒りがわいてきた。


「おい、あんた」

「ましろ、です」

「あん?」

「わたしの名前、ましろ、って言います!」

「……おう」


 えへへ、と彼女は嬉しそうに笑う。

 心鉄は「はぁ~」と溜息を吐き出す。


「迎えが来るまで、色々と覚悟しろよ」


 その日、心鉄は死にたくなるような心境を押し殺し、お節介と思いつつ、ましろの迎えが来るまでの間、可能な限り性に対する知識、倫理観の教育を施した。


 嫌われるのも覚悟の上だ。むしろ自分でやってて寒気がする。下手すれば繁華街の連中と変わらない。

 だが、今日にいたるまで、徹底的に性の教育がブロックされていた事実を考えると、これから先、彼女がまともに知識を得られるか謎である。


「――じゃあ、さっきの人たちは、わたしとえっちなことをしたくて、連れて行こうとしていた、と」

「そう。だから知らねぇ男から声を掛けらたら警戒しろ、ってことだ」

「久世さんも、わたしとえっちなことをしたくて、家に連れて来たんですか?」

「んなわけあるか!」

「親しい人となら、えっちして大丈夫なんですか? 久世さんとわたしは、もう親しい間柄ですよね!」

「親しいの定義による。あと俺たちはそんなに親しくねぇだろ。ついでに、セックスは相手の同意がないままヤったら普通に犯罪だ」


 と、色々と話していくうちに、


「久世さん、わたし、男の子の体がどうなってるのか気になります! とくにこの『ちんちん』の部分! 服を脱いで見せてもらってもいいですか!?」

「いいわけあるか!」

「わたしも脱いで全部お見せするので、交換条件ということでどうでしょう!」

「あんたさっきの話ちゃんと聞いてたんだろうな!?」


 一瞬、抗いがたい衝動に身を任せてしまいそうになったものの、心鉄は踏みとどまってツッコミを入れた。


「ダメですか~」

「はぁ~……マジで疲れる」


 子供に最初の性教育をする親の心境を想像しつつ、心鉄は迎えが来るまで、彼女の興味を受け止め続けた。


 ・・・


「マジで死にてぇ……」

「随分とお疲れやな、シン」


 翌朝。1年6組、ホームルーム前の教室。

 ざわつく室内の一角で、心鉄は机に突っ伏していた。

 そんな彼を隣の席に腰掛けて見下ろしてくる優男風の男。真っ白な髪の下には細目で人を食ったような顔……阿久井零あくいれい


「今日もゲンの奴は遅刻か、もうちょいでホームルームはじまんだろ」

「そうみたいやな、あいつそのうち留年するんとちゃうん?」


 と、ここにはいないもうひとりの悪友について話していると、思わず口から欠伸が漏れた。


「なんやあの健康オタクが随分と眠そうやん、これはあれか? 昨日はあのブラコンな妹ちゃんとしっぽり決めてもうたんか、ん~?」

「てめぇ殺すぞ」


 心鉄は『眼鏡』の奥から鋭利な眼光で零を睨みつけた。目つきの悪さを少しでも誤魔化すために彼は学校で眼鏡を掛けている。

 それで彼の『悪名』が鳴りを潜めることはないのだが……


「ていうか誰の妹がブラコンだよ、顔を合わせれば『キモイ』だの『フケツ』だの『クサイ』だの言ってくるあいつのどこにんな要素あるってんだよ」

「ただの照れ隠しや~ん、妹ちゃんやっぱカワイイの~」

「手ぇ出したらマジで覚悟しとけよお前」

「わぉ、こっちもガチもんやった」


 ケラケラと耳障りな笑い声を上げる零。心鉄は疲労の滲む顔で悪友の顔を睨み上げた。


「おいっす~、テッちゃんにアクラツ~。朝からバカ騒ぎしてんじゃ~ん、ウチらも交ぜろし~」

「よく朝からそんなテンションでいられるね。陽キャのノリとかほんとムリ」


 対照的な態度でこちらに近づいてくる二人の女子生徒。

 脱色した髪をカールさせてツーサイドサイドアップにまとめたいかにもなギャル、もう一人はパーカーのフードで目深に被って目元を隠した小柄な少女だ。


 ギャルの名前は安西蓮華あんざいれんげ、陰キャっぽいのは更科宮子さらしなみやこという。

 心鉄は二人の存在に気付くなり顔を顰めた。


「朝からうっせぇのが来やがった」

「あ~、テッちゃんひっど~! せっかく今日はいいもの見せてあげようと思ったのにな~!」

「いいもの?」

「そう!」


 大きな胸を張ってふんぞり返る蓮華。拍子にたぽんと揺れて男子の視線を引き付ける。


「なんや今日はいつにも増して上機嫌やな?」

「登校してる間、ずっと隣で耳障りだった……あと、目障りだった」


 宮子が蓮華の胸を睨み付けていた。


「お前ら正反対な性格しとるのによう一緒におれるな、おもろすぎやろ」

「えへへ~、だってウチら幼馴染だも~ん」

「違う、ただの腐れ縁」

「うわ~んひっどいよミヤコ~!」


 ひし、と宮子に抱き着く蓮華。やいやいのと騒がしい。

 心鉄はダンと額を机に押し当てて再び突っ伏した。


「ん~? なんかテッちゃんお疲れ気味な感じ?」

「らしいな」

「どうせ夜遅くまでシコッてたんでしょ、不潔」

「おい勝手に決めてんじゃねぇぞ陰キャ。てか年頃の女の子がシコるとか言うんじゃねぇよ。お前こそ目の下クマですげぇことんなってんじゃねぇか」

「ふっ……ワタシは電脳セカイで盟友たちと絆を育み、更なる高みへと至るための戦場を」

「またFPSのランクマッチ戦で徹夜かいな、あいかわらずやな~」

「あとちょっとでダイアだったのに……」


 心鉄は鋭い目つきで下から宮子をねめつける。


「ちゃんと寝ろ、若いからって余裕ぶっこいてると肌荒れて将来泣くぞ。あと単純に生活リズム崩れて生活習慣病とかのリスクが」

「ウザ、親みたいなこと言わないで、鬱陶しい」

「せっかく可愛い顔してんだから大事にしてやれよってことだよ」

「かわっ……!? はぁ!? 別にワタシが自分の体とか顔をどうしようと勝手じゃん、ほんとウザい」


 宮子はフードで引っ張って更に顔を隠した。

 すると蓮華が心鉄の後ろに回り込んで重量級のおぱ~いを押し当てながら「ねぇねぇウチは~? ウチにはなにかないのテッちゃ~ん」とウザ絡みしてくる。


「重い、暑苦しい、とりあえず退け」

「ミヤコと態度違い過ぎない! 塩対応いくないと思います! てか重くないし! ちゃんと理想体重キープしてるし!」

「お前はもうちょい食った方がいいと思うぞ」

「てかおっぱい押し当てられててその反応とか淡泊すぎない!? 性欲死んでるの!?」


 むしろ有り余ってるわ。

 それでも毎日のようにこんな風にスキンシップされれば嫌でも刺激に慣れる。もはや新鮮味などない。


「いっそナマで押し当ててやればこの鉄人もいい感じに面白い反応するんちゃうん?」

「い、いや~……ま、まずは下着からじゃん? こういうのは段階っていうか」

「お前らはマジな顔してなに話してんだよ」

「……不潔」


 宮子がゴミでも見るような目で心鉄を見下ろしてきた。どう考えても冤罪である。


「ていうか、今日はほんと反応うっすいの~シン。体調でも悪いんか?」

「え、マジ? テッちゃん保健室行っとく? ウチ付き添ったげよっか?」

「別にそんなんじゃねぇよ。ただ、まぁなんだ。昨日はちょい面倒な拾いもんをしてよ、持ち主に返すまでかなり疲れたってか」

「なんやその拾いもんて?」

「気にすんな。別に大したもんじゃねぇよ」


 まさかあのましろ様に性教育したとは言えない。心鉄は背中のひっつきむしの存在もそのままに「はぁ」と溜息を零した。

 心鉄を除いたメンツが顔を見合わせる。

 すると蓮華がパッと体を離し、「も~う、しょうがないな~」と満面の笑みを浮かべて、


「元気のないテッちゃんには~……これを見したげる!」


 スマホを取り出し、カバーのポケットから一枚の写真を手渡してくる。


「じゃじゃ~ん! ましろ様のナマしゃし~ん!」

「っ! お前、また」


 心鉄は蓮華から写真をひったくる。

 そこには先日、心鉄の部屋で一緒に性に関するお勉強をしたあの美少女が写っていた。

 プリントカメラで撮影されたと思われる、余白の大きな安っぽい印刷。

 学校の中庭、日当たりのいいベンチで居眠りを決めているましろ。あきらかに隠し撮りである。


「このましろ様ちょ~可愛くない!? このぷにぷにした感じのほっぺ、マジでツンツンしてみたいな~、触らせてくれないかな~」


 悶えるように体をくねらせる蓮華。隣で宮子がまるで汚物でも見るよう目つきでドン引きしている。

 零は「相変わらず蓮華はましろ様のおっかけやっとんやな~」と苦笑している。

 各々の反応を見せる中、心鉄は色んな意味でプルプルと震えていた。


「なんや今朝はえらい上機嫌や思ったら、こういうことかい」

「そっ! ちょっと高かったんだけど、思い切って買っちゃったの~、えへへ~、ましろ様めっちゃ可愛い~、尊すぎてしにゅ~」

「すぅ~……はぁ~~っ……蓮華、お前なっ」


 心鉄が苦言を呈そうとしたその時だった。

 教室がにわかに騒がしくなり、


「――あの、この教室に久世心鉄さんという方は」


 灰色の髪、人形のような愛らしい貌をした小柄な少女が扉から顔を覗かせていた。


「まっ!? ま、まま、まままままっ!?」


 蓮華が壊れたラジオのように口をパクパクさせ、心鉄もまなじりが裂けそうなほどに目を見開いた。


「ましろ様!? うそ、本物!?」

「……なんか、あんたの名前呼んでなかった」


 訝しい目を宮子から向けられる。

 心鉄は隠し撮りの写真のことも忘れて、ましろの姿を凝視してしまう。

 直後、彼女と目が合った。


「あっ、久世さ~ん!」


 彼女は、ぱっちりとした瞳をキラキラさせながら、パタパタとこちらに駆け寄ってくる。


「あ、今日は眼鏡を掛けてます! 素敵です!」

「ああ、学校だけな……って、そうじゃねぇよ。あんた、なんでここに」

「それはですね……先日のお礼を、させてもらいに来ました~!」


 などというましろの言葉に、教室全体がどよめいた。

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