第2話 俺の家は

 変な赤い腕時計のようなものを押し付けられて。

 放置。


 俺は困惑してた。


 あの男、何だったんだ?


 ここ、視界は開けてて。

 俺に見られずに、逃げていくのは無理じゃないか?


 まぁ……


 俺は手の中の腕時計モドキを見つめ。

 近場にあったゴミ箱に投げ込んだ。


 ……こんな怪しいもの、持ち歩くのは無いわ。


 そしてそのまま俺は、ロードワークの残り……残り4キロを走り切り、家に戻った。




 ヒーロー、か。


 家に帰って。

 汗だくの身体をシャワーで流しながら。

 俺は言われた言葉を思い返した。


 ヒーローと言われて。

 思い出すのは、俺の父親のことだ。


 俺には父親が居ない。

 俺が2才のときに、通り魔に殺されたんだ。


 そこから俺は、母さんが女手一つで育ててくれた。


 母さんは父親のことを「スーパーヒーローよ」って言ってた。

 父さんは通り魔に戦いを挑んで、命を落としてしまったんだって。

 俺も漠然とそう思っていたんだけど。


 小学校で、自分の父親の作文をしろって言われたんだよ。


 皆は普通に、父親の職業について作文したんだけど。


 俺はアホだったので。

 代わりに母親の職業を作文せず、父親が通り魔に戦いを挑んで、他人を守るために死んだ、という作文をしたんだ。


 すると


「桜田くんのお父さんは犬死しましたね。行き過ぎた自己犠牲精神の発露。悪しき愚かな思想の犠牲者です」


 担任教師がそんなコメントをしたんだ。


 そして俺を憐れむような目で見て来た。

 俺はアホだったので、犬死、という言葉の意味が分からず。


 担任に訊いてもはぐらかすだけで教えてくれないので。


 家で訊いたんだ。


 ねぇお母さん、お父さんって犬死したの? って。


 その瞬間、俺は母さんに思い切り平手で殴られて床に転がっていた。

 訳が分からずに見上げると、母さんの表情は怒りで一色になってて。

 本気で怖くて、震え上がった。

 殴られた衝撃で鼻血が出ていたけど、それどころじゃなかったよ。


 その後、自分がやったことに気づいて、慌てて俺に謝って来たけど。

 それ以後、俺は母さんに不信感を持ったんだ。


 アホな餓鬼だったから。


 お母さんは、僕の事なんて本当は好きじゃ無いんだ、って。


 それが餓鬼の勝手な、自己中心的な思い込みであることに気づくのに、だいぶかかったんだけど。




 シャワーを終えて、寝巻に着替えて俺はリビングに出た。


「母さん、ご飯まだ?」


 そしてキッチンに立っている母さんにそう訊ねる。

 いつもは仕事だから俺が作ってるけど、今日は日曜で休みだからね。


 母さんがやってくれる。

 ありがたい。


「あと20分くらいだから、自分の部屋で涼んでいなさい」


 換気扇回しているから、ここは今冷房できないし。

 振り返らず、母さん。


 テーブルを見ると、2人分の食器はもう出てる。


 ……じゃあ、やることはないか。

 そう思い、俺は自室に引っ込んでいく。



 キッチンに立つ女性。

 桜田さくらだ紗和子さわこ

 俺の母さん。


 23才のときに俺を産み、25才で夫と死に別れ。

 今日まで俺を女手一つで育ててくれたひと。


 もう40才なのに特に太ってない。

 スラッとしてて、姿勢もいい。


 さすがに40才になると再婚は厳しくなるけど、ここまでになるまで再婚の話はあったに違いないと思う。

 母さんは見た目は悪くないから。

 けど、母さんは独身を通して俺を育ててくれた。


 今思うと、義父が俺を虐待する可能性を考えてしなかったんじゃ無いかと思うのに。

 ちょっと前までの俺は、そんな母さんの愛に気づいていなかった。

 本当に、情けないと思うよ。

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