第36話 真崎
ぽつりぽつりと会話をしながら二時間近く歩き続けた。
ずっと不思議な気分だった。
俺と真崎は仲が悪いはずなのに、特に気まずさを感じない。
疲労のせいもあるだろうけど、頭がぼうっとして妙に現実感がなかった。
修学旅行の夜や、初めて深夜に外を出歩いた時の感覚に似ていた。
話しているうちに真崎が漫画好きであることを知る。
特にバトル漫画が好みらしい。
ファンタジーやリアルな格闘技系、それから不良漫画に詳しかった。
俺が読んでいる漫画も多く、話は次第に盛り上がっていった。
やがて格闘技の話題にシフトする。
「人類最強って誰だと思う?」と俺は尋ねた。
動画サイトでたまにKO集を見るほどのコアな格闘ファンである俺らしい深い問いだった。
「やっぱヒョードル?」
「範馬勇次郎」と真崎。
「いや実在する人の話だよ。てか漫画がありなら、人類最強はクリリンだろ」
「なに言ってんだよ。クリリンより勇次郎の方が強いに決まってんだろ」
「いやクリリンだろ。勝負にすらなんねえよ」
「バーカ。ドラゴンボールとバキじゃ世界観が違いすぎるだろ。なにお前、浴槽いっぱいの水とコップ一杯の水銀を比べて『水は水銀よりも重い!』とか言うのかよ」
「……いや、言わねえけど」
「だろ? 正しく比較するには、入れ物を同じにする必要があるんだよ。つまり、ドラゴンボールの世界のクリリンとバキの世界の勇次郎をそのまま比較するんじゃなくて、『もしクリリンと勇次郎が同じ世界に存在したら』って仮定の元に比較するんだよ」
「クリリンと勇次郎が同じ世界に存在したら?」
俺は少し考えてみた。
「そりゃ……勇次郎の方が強いだろうな。圧倒的に」
「だろ? ちなみに私は、同じ世界に存在するって仮定することを『世界観の統一』と書いて『リミックスワールドエディション』と読んでいる」
「なんだその中二ネーミング」
俺たちは声をあげて笑い、ここが深夜の住宅街であること思い出して同時に口を閉ざした。
また怒鳴られるんじゃないかと周囲を窺ったが、どの家もひっそりと沈黙している。
ほっと胸をなで下ろした時、今歩いている道に見覚えがあることに気がついた。
「……あれ?」
「どうした?」
「いや」
最初、デジャヴだと思った。
どこにでもあるような街並みだったから。
でも違った。
実際に、俺はこの道を歩いたことがある。
あの時は妹の晴香と一緒に、優実の家に向かっていた。
「お前んちって、このへんなの?」
「そうだけど」
尋ねてから、それもそうかと納得する。
真崎が嶋中と同じ中学の出身なら、当然優実とも学区が同じなのだ。
家が近所でも不思議はない。
だから、俺は特に気にも留めなかった。
やがて、見覚えのある丁字路に差し掛かるまでは。
高い石塀の向こうに、日本家屋の瓦屋根と立派な松の木。
嫌な予感がした。
丁字路を左に曲がる。
そうだ。
あの時も、彼女はそうやって門前に佇んでいたのだ。
「あ、お姉ちゃん」
金髪の少女がこちらに気付き、声を弾ませた。
「どこ行ってたの、こんな時間に。心配して——」
優実は俺を認め、口をつぐんだ。
きょとんと見開いた目で俺と真崎を交互に見つめる。
「なんだよ優美。外で待ってたのか」と真崎が優美に声をかけた。
「あ、うん。心配だったから」
「電話してくればよかったのに」
「……ちょっと携帯の調子が悪くて」
優美が俺に目配せした。
その視線を自分への問いかけだと勘違いしたようで、真崎は俺のことを手で示しながら言った。
「こいつ、私の同級生なんだけど……。えっと、コンビニに行く途中でたまたま会って、つい話し込んじゃってさ」
「あ、お姉ちゃんとお兄さんって、同じ学校なんだ。……え、でもお兄さんの家ってこの辺りじゃないですよね?」
真崎は首をかしげる。
「優実、こいつのこと知ってるのか?」
「あ、うん。私の友達のお兄さんで、昔よく遊んでもらってて、この間たまたま再会して」
その言葉に、真崎は息を呑んだ。
「……まさか」
遮るように俺は小声で言った。
「頼む」
真崎はハッと口をつぐみ、はぐらかすように笑顔を作った。
「そっか、知り合いだったんだな」
内臓が腐敗していくような嫌悪感を覚える。
なんで優実のフルネームをちゃんと覚えていなかったのだろう。
なんで妹に一言尋ねなかったのだろう。
名字が同じってだけで姉妹だと決めつけたりはしない。
でも意識はしたはずだ。
それなら、いくらでも気づきようはあったはずだ。
さっきのだってそうだ。
おかしいじゃないか。
真崎が現れ、嶋中はひどく動揺していた。
それなのに、なぜか一度も「どうして真崎がここにいるのか」という問いを口にしなかった。
あいつは知っていたのだ。
自分が誰の妹に手を出そうとしていたのかを。
心配するような顔で優実が覗き込んでくる。
「どうしたんですか、お兄さん。顔色が悪いですけど」
「なんでもないよ。それにしても、お前ら全然似てないな」
誤魔化そうとして、余計なことを口走る。
「ほっとけ」
真崎が横目で睨んでくる。
優実は困ったように笑っていた。
「ほら、もう家に入るぞ」
「あ、うん」
真崎に背中を押されながら、優実はこちらを振り返った。
「あの、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
自然に笑えたのが自分でも不思議だった。
二人の姿が扉の向こうに消え、俺は真夜中の住宅地にぽつんと取り残された。
俺は表札に目をやった。
ローマ字で『Masaki』と。
英語は嫌いだ。
視界に入っていても、意識して読もうとしないと認識できない。
息を大きく吐き出してから、踵を返そうとしたそのとき、再び扉が開かれた。
隙間から真崎が顔を出し、何かを放ってくる。
反射的に掴み確認すると、何かの鍵だった。
「貸してやる」
真崎は駐車場の隅に置かれたロードバイクを指さした。
俺がなにかを言う前に、真崎は顔をひっこめる。
扉が閉まる直前に、ぽつりと、小さな声がした。
「ありがとな」
その言葉が、ちくりと胸にささった。
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