第26話 警察との鬼ごっこ

 その後、俺はスキンヘッドの男に事情を説明した。

 感情が高ぶっていて怒鳴ってしまったことを素直に謝り、結果的に助けてもらったことにお礼を言った。


 スキンヘッドの男は決まりが悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。

 見た目に反して意外と話が通じる相手らしい。

 俺の背中を平手でばちんと叩いてから「これで許してやる」と言って、路上駐車していた車に乗り走り去った。


 痛みが引いてくると、それが称賛だと気付いて泣きそうになった。

 自覚している以上に精神的にまいっているようだ。

 ぽつぽつと降り出してきた雨がそれを誤魔化してくれる。


 遠くからサイレンの音。

 どうやら誰かが通報していたようだ。


 わかりやすいように、俺は袋小路の手前の歩道に佇んだ。

 もしこの場に誰もいなかったら、通報した善良な誰かが悪戯の嫌疑をかけられるかもしれない。

 それはあまりに忍びなかった。


 雨で顔を洗い服に着いた生ごみを払っていると、やがてパトカーが近くに停車した。

 サイレンの音もふつりと途切れる。


 中から二人の警官が出てきた。

 四十代中ごろの小太りの男と三十前後の身長の高い男の二人組だ。


「あ、どうも。ちょっとお話いいですか」


 年配の方の警官が話しかけてくる。

 やけに呑気な口調だった。

 俺も思わず「はあ」と気の抜けた返事をした。


「こんな時間にどうしたの。かなり若いみたいだけど」

「ランニングしていたんです」


 世間話を振られ、つい応じてしまう。


「雨の中?」

「さっきまでやんでたんですよ。最近走れてなかったから、今しかないと思って」

「雨は嫌だよねえ。じめじめして」


 年配の警官は帽子を脱ぎ、少し髪の薄い頭を手で撫でた。

 それからまた帽子を被り直し、少しだけ厳しい声で続けた。


「いや、それでね、ちょっと通報があったんだけど」

「はい」


 ようやく本題か。

 俺は気を引き締めた。


「なんでも、仕事帰りのサラリーマンが歩道を歩いていたら突然突き飛ばされて怪我を負ったらしくてね。お兄さん、なにか知らない?」

「……え?」

「まあ、怪我って言っても手を擦りむいた程度なんだけど。本人はえらく騒いでいてね」


 衝動にかられて小柄なサラリーマンを突き飛ばしたことを思い出す。

 俺は小首をかしげ、後頭部をぽりぽりとかいた。


「いやぁ、ちょっとよくわからないですね」

「ほんとに? その人が言うには二十歳前後、身長が一七五センチ位で上下黒のジャージ姿だったらしいんだけど」

「あ、もしかしてそれってあの人ですか」


 警官の後ろを指さす。

 二人が振り返ると同時に、俺はその場から逃走した。


「あ、こら」


 若い方の警官が追いかけてくる。

 が、俺も伊達に走り込んではいない。


 袋叩きにされたダメージはまだ残っていたものの、なんとか追いつかれずに済んだ。

 やがて応援を呼ばれ、一時間ほどの追いかけっこの末、逃げ切ることに成功する。

 家にたどり着いた時には夜中の一時を過ぎていた。


「はぁ、疲れた」


 階段を上りながらそうつぶやく。

 雨と汗で全身びしょ濡れだ。


「……でも、ちょっと楽しかったな」


 ほくそ笑む。

 癖になりそうな緊張感だった。

 誰かに迷惑をかけるのは嫌だし捕まるのもごめんだが、あと一度くらいは警察と鬼ごっこをしたいものである。


 足音を聞きつけたのか、妹が廊下に顔を出した。

 夜更かしは胸の発育に悪影響を及ぼす、という無駄な知識をふと思い出した。妹との因果関係は不明だ。


「うわっ、どうしたのそれ」


 妹は俺の顔を見るなり頓狂な声を出した。

 俺は自分の頬に触れてみる。

 びっくりするほど腫れ上がっていた。

 痛みも増してきているし、明日にはもっと酷くなっているかもしれない。


「ああ、ちょっと転んでな」


 妹がじろじろと見てくる。


「……女の子の匂いがする」


 そしてそんなことをぽつりと言った。


「な、なに言ってんだよ」

「路地裏に連れ込まれた女性を助けようとして殴られた?」

「どんな嗅覚してんだお前」


 俺はくんくんと自分の服を嗅いでみた。

 妹がおかしそうに笑う。


「ほんとに匂いがするわけじゃないよ。ただの推測。どうみても転んだ怪我には見えないし、私に言いにくいことだとしたら、そういうことかなって思っただけ」

「……路地裏に連れ込まれた、とかやたらディティールが細かいのは?」

「服に生ごみついてるから」


 俺はジャージを見下ろした。

 なにかの残飯がこびりついている。


「今日はごみの日じゃないし、生ごみが置かれてるのは路地裏くらいかなって」


 正確には袋小路だが、まあ同じようなものだ。


「……なにお前、体は子供なのに頭脳は大人なの?」

「か、体は子供って言うなっ」

「いや違うぞ。今のはすごい推理力だなって意味で他意はない」

「え? あ、そ、そうなんだ」


 妹の顔がみるみる赤くなっていく。

 恥ずかしそうに髪の毛をくしくしと撫で、それから誤魔化すように咳払いをした。


「と、とりあえず」

「はいはい」


 詳しく話せと言うのだろう。

 少し刺激が強すぎるから出来れば隠しておきたかったけれど、ばれたなら仕方がない。


 事の顛末を話そうと口を開きかけたとき、妹は言った。


「そのままだと風邪ひいちゃうからシャワー浴びてきて。その間に手当の準備してるから」

「……おう」

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