第27話 優美


 体中があざだらけだった。

 倒れたところを袋叩きにされたのだから当然だろう。

 中でも一番深手だったのは、やはりリーダー格の男に殴られた顔面だった。


 頬の内側がザクロのようにズタズタで、奥歯なんて少しぐらついていた。

 しばらく固いものは食べられそうにない。


「綺麗な顔が台無しだ」


 湿布の冷たさに毎回反応しながら、俺はそんなことを言った。


「ふふっ」

「お、そんなにおもしろかった?」


 ウケると思っていなかったから気分がよくなる。


「いや、冗談を言って大したことないアピールするのが可愛いなーって」

「か、可愛いって言うな」


 屈辱だ。

 手当が済むと、妹は「よし」と言って俺の肩をぽんと叩いた。

 湿布が剥がれないようにゆっくりと服を着る。

 つんとした匂いがなんだか懐かしい。


「それで、なにがあったの」


 妹はベッドに腰掛け、あらためて尋ねてきた。

 俺は椅子に座り、妹が用意してくれた氷嚢を頬に当てがいながら話し始める。


 妹はいちいち「なにそれドラマみたい!」とか「お兄ちゃん格好いい!」とか大げさな相槌を打った。

 うるさいな、と思いながらも、そうされると興が乗ってくるのもまた事実で、自然と語り口が熱っぽくなっていく。


 そして、最後のオチだ。


「それでさ、その子が袋小路から出ていくときに、こう言ったんだよ。『いつもありがとう、お兄さん』って」


 妹はきょとんと目を丸くした。

「なにそれどういうことっ」みたいな反応を予想していたから拍子抜けを食らう。


 妹は視線を上に向け、じっと天井を見つめた。


「その子って、どんな子だったの」

「ん? さっきも言ったけど、金髪のヤンキー」

「顔は?」

「結構、というかかなり可愛かったな」


 少し垂れ気味の気弱そうな目を思い出す。

 袋小路は薄暗かったものの、それでもわかるほど整った顔立ちをしていた。

 妹はまたじっと黙り込んだ。


「……もしかしてだけど、それってユウミちゃんじゃない」

「ユウミ?」

「ほら、覚えてない? 小学生の時、私とよく遊んでた」


 俺が思い出すのに苦労していると、妹はさらに続けた。


「学校は別だったんだけど、公園でたまたま知り合って。というか、最初に仲良くなったのはお兄ちゃんなんだよ。男の子たちにいじめられているところを助けてあげて」

「ああ」


 思い出した。

 優実か。

 俺もまだ小学生だったころ、妹と一緒に何度か遊んだ記憶がある。


「え、でも」


 俺は困惑した。

 記憶の中の優実は引っ込み思案で大人しい子だった。

 よく同い年くらいの男子にからかわれていて、見かけるたびに庇ってやっていたのを覚えている。

 とてもあの金髪の少女とは結びつかない。


「優実ちゃんは昔から周りに影響されやすかったから。ほら、ここらへんの公立中学って荒れてるところが多いっていうでしょ」


 妹の言うとおり、土地柄なのか地元の公立中学は荒れているところが多かった。

 俺が通っていたところもご多分に漏れず、一昔前のヤンキー漫画に憧れたような連中が幅を利かせていた。

 だから内申点が稼ぎやすい、という側面もあったが、それを差し引いてもいい環境とは言えなかった。


「つまり、優実は周りに影響されて、髪を染めたり深夜に外出したりしていたってことか」

「わかんないけど、たぶん」


 妹はつぶやくように言ってから、思い出したように携帯を取り出し、誰かに電話をかけた。

 誰か、と言っても、この状況では相手は一人しかいないだろう。


 やがて電話が繋がった。

 妹は夜遅くに電話したことを詫び、話し始めた。

 相手の声は聞こえなかったけれど、妹の言葉や声のトーンから、おおよそのことはわかった。

 胸の中に暗鬱としたものが広がっていく。


 妹が通話を追え、暗い顔で言った。


「……やっぱり、優実ちゃんだったみたい」

「そうか」

「それとね」


 妹の声がさらに悲壮さを増し、まだなにかあるのかと俺は身構えた。 


「……相手の人、学校の先輩なんだって」


 強姦は顔見知りの犯行がほとんどだと、どこかで聞いたことがある。

 ただ妹の口ぶりのわりには、それほど深刻な情報とは思えなかった。


 いや、違う。

 俺は遅れて、妹の思考に追いついた。


 もしあれが無差別的な犯行なら、もう心配はいらない。

 優美は救われたと言えるだろう。

 けれど知り合いに狙われたというなら、まだなにも終わってなどいないのだ。

 優実は依然、危険に晒されている。


 しばらく沈黙が流れてから、妹は反面、明るい声音ではしゃぐように言った。


「すごいよこれ、運命的な再会だよ! ここは一発劇的に助けて、さらに親愛の情を勝ち取るチャンスだよ! これぞまさに一石二鳥っ」


 妹は壁に貼られたまま放置された『一石二鳥』の文字を指さした。


「ほら、お兄ちゃんも一緒に。一石ぃ二鳥ぉ!」


 そしてエイエイオーみたいに腕を振り上げる。


「ほら、お兄ちゃんも。一石ぃ」

「……」

「もう、ノリが悪いなー。一石ぃ」

「やめろって」


 苛立ちに任せて怒鳴った。


「そんなふざけていい話じゃないだろ」


 俺はどこか、非日常的なイベントに浮かれていた。

 袋小路に連れ込まれた少女を助けるなんて、妹が言うようにまるでドラマの世界の出来事だ。


 けれど、これはドラマなんかじゃない。

 筋書も脚本も存在しなければ、少女は被害者の役を演じていたわけでもない。

 そんな当たり前のことを、ここにきてようやく実感した。


「そ、そうだよね。ごめん……」


 妹は項垂うなだれ、やがて顔をあげる。


「でもさ」


 妹は切実な顔をしていた。

 もしかしたら、さっきのはただの強がりだったのかもしれない。

 俺よりも妹のほうが優実と親しいのだ。


 当然、動揺も俺の比ではないだろう。

 無理に明るく振る舞ってふざけた振りをしなければ、受け止められなかったのかもしれない。

 けれど、そんな妹の心中を察して、気遣ってやれるだけの余裕が俺にはなかった。


 妹は泣きそうな声で言った。


「このまま、優実ちゃんのことを放っておいたりしないよね」

「……ああ」

「じゃあさ、どうするの」

「だから、今、それを考えてるんだろ。少し黙ってろ」

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