第19話 ソードでアートをオンラインするあれ

 放課後。

 とはいってもまだ午前中だけど。

 アリサを連れて学校内を巡り、生徒が頻繁ひんぱんに利用する施設や教室などを説明していく。


 ブロンド美女の噂はすぐさま全校生徒に知れ渡り、やじ馬が殺到さっとうした。

 中には写真を撮ろうとする馬鹿もいたが、真崎に睨らまれると、みんな一目散に逃げていった。

 もし真崎がいなければ今ごろアリサは取り囲まれ、上野動物園のパンダよろしく、好奇の目にさらされていたことだろう。

 直接声をかけるわけじゃなく、遠巻きに無遠慮な視線を送る大勢の生徒の姿を俺は容易に想像できた。


 橘先生はそれを見越して真崎を指名しただろうか。

 いい加減に見えて意外と思慮深い人だから、もしかしたらそういう意図があったのかもしれない。


(だとしても、俺を選んだ理由はわからないけど……)


 アリサを救った張本人である真崎は、並んで歩く俺たちの三メートルほど後ろを黙ってついてきていた。

 アリサが俺の説明を聞きながら、ちらちらと背後を窺っている。

 真崎はその視線に気づいていないのか、あるいは気づかないふりをしているのか、窓の外をつまらなそうに眺めていた。


 こういう時に見て見ぬふりが出来たなら、俺は真崎に目をつけられたりしなかったのかもしれない。

 でも我慢ができなかった。

 俺は立ち止まり、振り返る。真崎も歩みを止めて睨みつけてきた。


「なんだよ」


 アリサが不穏な空気を察して体を強ばらせるのがわかった。


「俺に対しては別にいい。いまさら文句なんて言わない」


 それだけで伝わったようで、真崎は決まりが悪そうに視線をそらした。


「私は、お前が嫌いないだけだ」

「俺と仲良くしろとは言ってないだろ」


 真崎はちらとアリサを見る。


「……わかったよ」


 そうつぶやくと、真崎はアリサの隣に移動した。

 それから三人並んで歩き始めた。


 アリサを間に挟み、俺と真崎は交互に口を開いた。

 傍から見れば仲睦まじい三人組に見えるかもしれないけれど、俺と真崎は言葉も視線も交わさない。

 子供でかろうじて繋がっている冷めきった夫婦がこんな感じだろうか、なんて益体もないことを考えた。


「なにか質問はある」と真崎が尋ねる。


 アリサは遠慮がちに口を開いた。


「あ、あの。お二人の名前、きいてもいいですか」

「ああ、そっか、自己紹介がまだだっけ」


 真崎は申し訳なさそうに微笑んだ。

 俺に対するときとは態度も違えば口調も柔らかい。

 違和感しかないが、たぶんこちらが素なのだろう。


「私は真崎沙紀」

「まさきさき」とアリサが繰り返す。


 抑揚のせいか、区切り目が「まさき/さき」ではなく「ま/さきさき」に聞こえた。


「真崎が苗字で沙紀が名前」

「あ、ごめんなさい」

「いいよ、自分でも変だと思うし」

「そんなことないですっ。とてもかわいらしい名前だと思います」

「そうかな。ありがとう」

「間違いありませんっ」


 念を押してから、アリサは俺を振り返った。


「俺は八乙女誠一。八乙女が苗字で誠一が名前」


 アリサは口の中で俺の名前を何度か繰り返し、うんうんと確かめるように二度頷いた。

 それから顔をあげる。


「それで、わたしはお二人のことをなんとお呼びすれば」

「なんでもいいよ」と真崎が答えた。

「そうですか。では、パパ、ママ、とお呼びしてもいいですか」


 ぴしり、と空気が凍りつく。

 俺と真崎が同時に足を止め、二、三歩先行したところでアリサが振り返った。


「どうかしましたか」


 不安そうな顔。

 俺はぎこちなく尋ねた。


「いや、なにそれ」


 アリサはおろおろとする。


「な、なにか変でしたか? 日本ではこういうとき、そう呼ぶものなんじゃ……」

「誰からそんな話を」

「誰と言うか、その、日本のアニメで」


 すぐにぴんとくる。

 つまりソードでアートをオンラインするあれだろう。

 俺も原作初版でそろえているし、アニメは海外でも人気だと噂に聞く。


 いや、今はそんなことどうでもいい。

 俺は恐る恐る真崎を振り返った。

 案の定、すこぶる不愉快そうな顔をしていた。


 このままだと、まず間違いなく拳が飛んでくるだろう。

 なんとか場を和ませねばっ。

 俺はへらっと愛想笑いをし、真崎に向けて言った。


「つまりあれかな、俺はお前のことをアスナって呼べばいいのかな?」

「じゃあ私はお前のことをエギルって呼ぶよ」

「おいなんでだよ、寝取られてんじゃねえか」


 クラインじゃないところが、ちょっとだけリアルだし。


「うるさいな」


 真崎が裏拳を繰り出してくる。

 ただ腕を振り回しただけのように見えるのに、しっかりと体重が乗っていてものすごく痛い。

 俺は殴られた肩を抑えながら呻き声をあげた。


「馬鹿、アリサの前で暴力を振るうなよ」


 せっかく打ち解け始めてきたところなのに。

 俺はアリサの様子を窺う。

 予想に反してアリサは怯えてなどなく、むしろ目を輝かせて前のめりになっていた。


「おお! 今のは日本式の愛情表現ですね! 生で見られて感激です!」


 ぐっと胸の前で拳と握るアリサ。

 いや、あるけどね。

 でもこいつのはアニメキャラのような照れ隠しじゃなくて、本当に乱暴なだけなんだけど……。


「いや、違うから」

「わかってますよ、このこの〜」


 呆れたように否定する真崎を、アリサがテンション高く肘でつつく。

 リアクションが古いが、たぶんアニメで得た知識なのだろう。

 彼女が父親について日本にきた理由が、なんとなくわかった気がした。


 まあでも面白いから訂正しないでおこう、と心に決める。

 むしろ仕返しのチャンスだ。逃すべからずか!

 俺は申し訳なさそうな微笑みを浮かべた。


「今までさんざん殴られて来たけど、そういうことだったんだな。気付いてやれなくて悪かった」

「なっ」


 真崎の顔がかあっと赤くなる。

 もしこれがアニメなら恋心がばれた羞恥心からくるものだろうが、真崎のは完全に怒りからくるものだった。

 だって額に青筋が浮いてるし、アニメのヒロインはこんなに目を血走らせたりしない。


 真崎は重心を低く落とし、臨戦態勢に入った。

 いつもならおののくところだけれど、頼りになる味方のいる今の俺には恐れるほどのことではなかった。


 俺は満面の笑みで腕を広げてみせた。

 ちょうど西洋人が恋人とハグをするように。


 真崎は顔をさらに歪ませ間合いを詰めてくる。

 と同時に、アリサもまた目をキラキラとさせながら近づいてきた。

 無垢な瞳に真崎は怯む。

 俺とアリサを何度か見比べ、悔しそうに踵を返した。


「くそっ」


 アリサが困惑顔になり、真崎の背中を見つめた。


「な、なぜ殴らなかったのですか?」

「ああ、あれはツンデレってやつだ」

「おお! 今のがかの有名な!」


 アリサの嬉しそうな声が校舎に響き渡った。

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