第18話 留学生

 各教室の扉に張られた名簿を順番に確認していく。

 四つ目で自分の名前を見つけた。


 二年四組。


 俺の名前は名簿の最後に書かれていた。

 つまり窓側の最後列が俺の席と言うわけだ。

 毎年『山』一族や『吉』一族などにその席を譲ってきた俺としては、とても嬉しい事実だった。


 るんるんと教室に入った俺の視界に、狂暴な女が入り込む。


「……なんでお前がいるんだよ」

「こっちの台詞だ」


 真崎が吐き捨てるように言う。

 窓側から二つ目の最後列——つまり俺の隣の席に奴は座っていた。

 最悪だ。

 同じクラスってだけでも危険なのに、隣って……。


「なあ、提案なんだけど、じゃんけんで負けた方がよそのクラスに行くってのはどう?」


 俺は適当なことを言ってみた。


「乗った」


 真崎がすっと立ち上がり、俺たちは向かい合う。


「じゃーんけーん」


 ぽん、と俺がチョキを出すと同時に鋭い回し蹴りが横腹に食い込んだ。


「ふぐっ」


 たまらずその場に膝をつく。


「私の勝ちだな」


 真崎はあざけるように鼻を鳴らすと席に戻った。


「……せ、せめてじゃんけんの範疇はんちゅうでやれよ」


 小声でぼやきながら立ち上がる。

 これ以上殴られないように警戒しつつ、自分の席に座ろうとした。


「なにやってんだよ」


 真崎の鋭い声に肩が跳ねる。

 まさか本当に出て行けとでも言う気だろうか。

 俺は恐る恐る振り返った。


「なにって自分の席に座ろうと」


 真崎はめんどくさそうに顎で教室の前方を示した。

 視線をやると、黒板に席順が書かれていた。

 俺の席は一つ前で、窓際の最後列の席は空白になっている。


 名簿の最後に名前が書かれていたから窓際の最後列、というのは早とちりだったようだ。

 残念と思う反面、真崎の隣じゃなくて心底ほっとした。


     *


 がやがやと騒がしくも、教室にはどこか緊張感が漂っている。

 小中学校のころも含めれば、みんなもう十回近くクラス替えを経験しているはずのに、よくもまぁ飽きないもんだな、と半ば呆れてしまう。

 そうやって一歩引いてみせるのも、また緊張の裏返しであって、つまり俺は焦っていた。


 二年四組に親しい相手が一人もいなかったのだ。

 なんなら真崎が一番近しい相手かもしれない。

 その真崎も姿が見えず(たぶん加賀美に会いに行っているのだろう)、いよいよクラスに居場所がなかった。


 もよおしてもいないのにトイレに立つ。

 その道中で仲のよかった元クラスメートたちと何度か出会ったのだが、どれも「よお」だか「おう」だか適当な挨拶を交わしただけですぐに別れた。


 俺は用を足しながら「友達って何だっけ?」と哲学的な命題に取り組んだ。

 バイトばかりにかまけて、交友関係の構築を怠った過去の自分が恨めしい。


 溜まってもいないのに小便を捻り出したせいで膀胱ぼうこうがじんわりと痛む。

 いつもより時間をかけて手を洗いトイレを出る。


「全校生徒は体育館に集まって下さい」


 ノイズ混じりの校内放送。


(始業式も放送で済ませてしまえばいいのに……)


 そもそも集会なんて通信技術が存在しなかった時代の名残としか思えない。

 外部に向けた入学式や卒業式は別にしても、始業式なんてなくしてしまった方がみんな幸せになれるだろう。


 けれどその思いを言葉にするつもりはないし、改革しようなどとは考えもしない。

 きっとそれは先生たちも同じで、大人も子どももそんなだから、つまらない慣習がいつまでも残り続けるのだろう。

 人混みに揉まれながらそんなことを考えた。


 脳みその活動を切っていたので、始業式の記憶がほとんどなかった。

 校長先生が非常に深い人生訓を口にしていた気がするが、校長の顔すら覚えていない。

 教室に戻り、しばらくすると、担任の先生が入ってきた。


「担任のたちばなだ。よろしく」


 二十代後半の美人な女性だった。

 さばさばとしていて生徒との距離が近く、男女ともに人気のある先生だ。

 担当は数学。

 元ヤンという噂があるが、真偽のほどはわからない。

 因みに去年の担任も橘先生だった。


「さっそくだが、みんなに重大な知らせがある」


 橘先生はその言葉がクラスに浸透するのをしばらく待った。


「このクラスに、イギリスからの留学生が来ることになった。みんな、よくしてやってくれ。——デドリック」


 躊躇うような間があってから、教室の扉がガラッと開かれた。


 新雪のような白い肌と、おとぎ話に出てくる狐のような鮮やかな金髪。

 瞳は吸い込まれそうな青緑色をしていた。

 作り物のような可憐な少女だった。


 小柄で童顔なのだが、堀の深い顔立ちのためか、不思議と「可愛い」とは思わなかった。

 同年代の女子に対して「綺麗」と感じたのは初めてかもしれない。


 彼女は教壇にあがり、橘先生の隣に立つ。

 促されるままチョークを手に取り、黒板に文字を刻んだ。


 アリサ・デドリック


 彼女はくるりと教室に向き直り、ぺこりと頭を下げた。


「初めまして、アリサ・デドリックです。イギリスから来ました。気軽にアリサと呼んでください。よろしくお願いします」


 しっかりとした日本語だった。

 少しぎこちなさはあったが、おそらく緊張からくるものだろう。

 黒板に書かれた名前も片仮名だし、日本語は得意なようだ。


 教室はしんと静まり返る。

 これがただの転校生ならイベントとして盛り上がれるのだろうが、インパクトが強すぎてみんな呆気に取られていた。

 そんなクラスの反応に、留学生の顔が強張った。

 俺が彼女の立場なら、その時点でぽっきりと心が折れていただろう。


 俺は咄嗟に手をあげた。彼女の青緑色の目がこちらに向く。


「あー、えっと」


 なにも考えていなかったから言葉に詰まる。


「日本には一人で?」


 そう尋ねると、留学生の顔がほっとしたように和らいだ。


「いえ、父親と一緒にです。もともと日本のカルチャーに興味があったので、ついてきました」


 はきはきとした彼女の返答にクラスメイトたちの緊張もとけたようだ。

 川が決壊したように質問が飛ぶ。

 彼女は戸惑いながらも一つ一つ丁寧に答えていた。


 どうやら父親が仕事の都合で日本に来ており、イギリスに母親と姉を残してついてきたらしい。


「はいはい、残りは後にしろ」


 質問攻めがいつまでたって終わらないことを見かねた橘先生が、ぱんぱんと手を打ち鳴らして区切りをつけた。


「デドリックの席はあそこだ」


 橘先生が俺の後ろを指さす。

 金髪の少女が席に着くのを確認してから橘先生は続けた。


「そうだな、日本には不慣れだろうし、補佐役がいた方がいいだろう。八乙女」

「はい」


 名前を呼ばれ咄嗟に返事をする。


「任せた」

「ちょっと待ってください」

「席が近いしちょうどいいだろう」

「そ、そういうのは普通、委員長の役目じゃないんですか」


 橘先生は顎に手をそえ、思案顔になる。


「ふむ、それもそうだな。じゃあお前、委員長やれ」


 しまった、墓穴を掘った。

 そういえば去年も委員長に指名されたのだった。

 なぜ俺にそう仕事を押し付けるのだろう。


「女子の委員長はそうだな……。真崎、お前がやれ」


 椅子をがたつかせて真崎は立ち上がった。


「な、なんで私がっ」

「席が近い」

「お、横暴だっ」

「俺も嫌ですよ。去年だって散々こき使われたし」


 なにより真崎と一緒なんて勘弁願いたい。

 その思いは真崎も同じようで、俺たちはそろって固辞こじした。

 これが漫画なら「珍しく気があったな」とか皮肉を言う場面だ。


「ま、まあ無理強いはしないさ。それぞれ事情もあるだろうしな」


 橘先生は慌てたように言いつくろう。

 それから気遣わしげな表情で俺の背後に視線をやった。つられて振り返ると、金髪の少女が所在なさ気に縮こまっていた。


「あ、いや、違うんだ。キミと仲良くするのが嫌とかじゃなくて」


 キミ、なんて初めて使ったかもしれない。

 似合わないな、と自覚しながらも、この綺麗な少女を「お前」呼ばわりする気にはなれなかった。


 本人もそう呼んでくれと言っていたし、次からはアリサと呼ぼうと密かに決める。

 真崎も気付いたようで、慌てて弁明した。


「そうだよ。無理やり押し付けられるのが気に食わないだけで」


 アリサは困ったように微笑むと、小さく「はい」と言った。

 なにに納得したんだろう。

 わからなかったけれど、とにかく胸が痛かった。

 迷ったのは短い時間だった。


「……委員長、やります」

「わ、私も」


 そういうことになった。

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