第20話 部活動

 それからまた案内を再開した。

 真崎は見るからに不機嫌になっていたが、先ほどの一件で緊張がほぐれたらしいアリサが臆さずに話しかけるものだから、空気が悪くなるようなことはなかった。

 アリサに悪気がないのは明らかなので、真崎も反応に困っている様子だった。


 校舎内を一巡りしたあと、別館に向かう。

 一階に食堂、更衣室、倉庫、柔道場、剣道場、シャワールームが詰め込まれ、二階が体育館になっている建物だ。

 こちらは校舎に比べるとかなり新しい。


 運動場ではサッカー部と女子ソフトボール部が、体育館ではバスケ部が青春を謳歌していた。

 ダムダムと弾むボールの音を聞きながら、俺は思い出せる限り他の運動部の名前も挙げていく。


「なにか興味のある部活はあった?」


 文科系のほとんどの部室は校舎にあり、そちらはすでに説明済みだった。


「そうですね」


 アリサは思案顔になる。

 物思いにふけるときの表情や仕草は人それぞれだが、彼女はどうやら視線を宙にさまよわせるタイプらしい。

 どうでもいいが、俺は地面や手元に視線を落とすタイプで、妹は上を仰ぎ見るタイプだった。

 真崎は知らん。


「お二人はなにかされてますか」

「いや、俺はなにも」

「私もやってない」


 アリサは肩を落とした。


「そうですか、お二人が一緒なら安心なのですが」

「別に俺たちがいてもいなくても、そう変わらないと思うけど」

「そんなことないです。お二人はわたしを助けてくれましたし」

「真崎はわかるけど、俺はなにもしてないだろ」

「手をあげてくれたじゃないですか」


 少し考えて、自己紹介のときのことだと気がついた。

 別に助けるつもりはなかった、と言えば嘘になるが、大したことはしていない。

 ただ他のクラスメイトたちよりも我に返るのが早かっただけで、遅かれ早かれ受け入れられていたことは間違いないのだ。


 その我に返るのが早かったってのも、妹に言われた「もしかしたら留学生がくるかも」という予言めいた言葉が頭の片隅に残っていたからで、あれがなければおそらく、俺はアリサに質問を投げかけるタイミングを逸していただろう。


 どちらにせよ、そんな小さなことに恩を感じる必要などなかった。


「あれは助けたとかじゃないって」

「でもわたしは救われました」


 いくらなんでも大げさだ。


「いや、だから」


 俺がさらに否定しようとしたとき、真崎が口を挟んできた。


「転校ってのはな、かなりナイーブになるもんなんだよ。それもアリサの場合、文化も言語も違う遠い国にだぞ」

「そう言われても、俺には転校の経験がないからな」

「想像くらいできるだろ」


 突き放すように冷たく言われ、素直に想像してみる。

 期待に胸を膨らませながら海を渡り、昼夜が逆転するほどの遠い異国に引っ越す。

 もう後戻りはできない。

 我がままを言ってついてきたのだから。


 見慣れない町並みと、聞き慣れない言語。

 いやアリサは日本語が得意だから、聞きなれないとまではいかないかもしれない。

 けれど馴染み深いと感じるほどでもないはずだ。

 自分と違う髪の色や肌の色。

 今までマイノリティだったはずの彼らに取り囲まれる圧倒的少数の自分。


 住まう家も、たぶん勝手が違うのだろう。

 それはきっと些事と言えるような違和感なのだと思う。

 天井の高さやドアノブの位置のような、日常生活に支障の出ない程度の違いだ。

 それでもその違和に慣れることがなかなかできず、それが期待にも不安にも繋がった。


 転入当日。

 あの鮮やかな金髪と端正な顔立ちだ、きっと好奇の目にさらされたことだろう。

 橘先生はその辺り、分別のある大人だが、そういうできた人は少数だ。

 構造が根本的に違う校舎。


 勝手な想像だが、イギリスの学校はなんだか華やかそうだ。

 特に東峰高校の校舎は古く、改装を繰り返してはいるが、岩をそのまま削り出したような無骨さが各所にみられる。


 彼女はどう思っただろう。

 失望したか、こんなものだろうと納得したか。

 あるいは緊張でそれどころではなかったかもしれない。


 教室の前に立たされ一人取り残される。

 自分のタイミングで入ることはできない。

 カウントダウンすらない。


 ふいに名前を呼ばれ、身がすくむ。

 呼吸を整える間もなく教室に足を踏み入れ、促されるまま挨拶をする。

 リアクションはない。

 しんと静まり返った教室。

 席に着いた四十名の生徒が、じっと自分のことを見つめ——


「お、おいっ。なに泣いてんだ!?」


 真崎の声に、はっと現実に引き戻された。

 俺は慌てて目尻を拭った。


「な、泣いてねえよ。ちょっとあれだ、感極まっただけだ」

「泣いてるじゃねえか」


 ドン引きしている真崎を無視して、俺はアリサに向き直った。

 そして彼女の小さな手を包み込むように両手で握った。


「困ったことがあったら俺に言え。力になってやる」

「は、はいっ」


 アリサの顔に朱がさした。

 刹那、右の太ももに強い衝撃。

 経験則から真崎に蹴られたのだとすぐに理解する。


「痛えな」

「あ?」


 呻きながら振り返ると、ぎろりと睨み返された。

 おかしい、被害者は俺のはずだ。


「もう、今のはパパが悪いですよっ」


 なのにアリサも俺を責めるようなことを言う。

 ……本当にパパって呼ぶのか。


「そうだよな、今のはこいつが悪いよな」


 我が意を得たとばかりに真崎が声を弾ませた。


「もちろんです! もっとちゃんとママの気持ちを考えてくださいっ。あんなの嫉妬して当然です!」


 真崎が愕然とする。

 俺は思わず吹き出してしまった。


「悪かった。お前の気持ちを知ってるのにあんなこと」

「それ以上言ったら殺す」


 目が本気だ。

 俺は黙った。


「それで、部活のことなんだけど」


 おほんと咳払いをしてから俺は話を戻した。


「そうでした。実はひとつ、日本に来る前から気になっていたものがあって」


 アリサは言葉尻を濁した。

 興味を引かれ、水を向ける。


「なに?」

「えっと……生徒会に……」

 確かに生徒会も部活動の一種と言えなくもない。

 けれどアリサはすぐに撤回してしまう。


「い、いえ、嘘です。私なんかが人気投票の上位になんて入れませんし、優良枠を勝ち取る自信もありません」

「この学校じゃその制度は採用してないよ」


 というか日本のどの学校でも採用していないけれど、わざわざ夢を壊す必要もないと思い言わないでおいた。

 あと人気投票があればぶっちぎりで一位なんじゃないかな。


「えっと、ではどのように選ばれるのですか」


 尋ねられ、去年のことを思い出そうとする。


「選挙があったような気がするけど……」


 興味がなかったから断片的にしか覚えていない。


「訊きに行くか」


 怖くて真崎には尋ねられなかった。

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