第4話

 夏休みとは、陰キャにも陽キャにとってもビッグイベントだ。例に漏れなくわたしもエンジョイして……いない!!


 理由は単純明快、課題が終わらない。手元には未だに手付かずの課題の山。四苦八苦して全く終わりが見えない。


 陰キャであるわたしは、運動もできないし、友達もほとんどいない。学校生活で目立てるような取り柄なんて何一つない。だからせめて勉強だけは――そう思って頑張ってきたのに、その希望すら潰えそうな予感がする。


 このままだと、わたしの夏休みは課題に苦しむだけで終わってしまうのだろうか。そんな最悪のシナリオが、頭の中でぐるぐると回り続ける。


 仕方ない。あまり頼りたくなかったが、彼女を呼ぶしかない。絶対に、なにかハプニングが起きるのが目に見える。でも、夏休み全てを棒に振るよりはマシだ……そう思いメッセージ送る。


『いま暇してますか?もしよかったら、わたしの家で勉強しませんか?』


『偶然だけど、いま近くにいるんだよね。本当に偶然だよ。課題やるために図書館に行こうと思ってたところ。せっかくだから行ってもいい?』


 既読という文字が映る前に返信が届く。


 「え、はや!さすがにタイムラグだよね?」


 反射的に声を上げる。それにしても、なんて奇跡的なタイミング。偶然にしてはできすぎているが、南さんの言葉を疑う理由もない。図書館に向かう途中なら、15分ぐらいで到着するはず、少し余裕を持ってが準備できる――そう思い立った瞬間だった。


 まだ返信から1分も経っていないのに、インターホンが鳴る。


 「や、ヤバい! まだ準備できてない!」


 慌ててクローゼットを開けるが、服を着替える時間もない。わたしは未だにパジャマ姿のまま。しかし、真夏の暑さの中、外で待たせるわけにもいかない。仕方なく、そのままの姿で玄関に向かう。


 扉の向こうには、確かに人影が映っている。本当に、南さんが来ている。驚きと焦りを抱えながら、わたしは深呼吸して玄関のドアノブに手をかけた。


「早かったですね。どうぞ上がってください」


「え、唯なにその格好」


「な、なんか変ですか」


「すっごく可愛い!!」


「玄関前ですから、落ち着いてください!」


 大胆に抱き着かれる。誰かに見られるのが恥ずかしくて、急いで玄関を占め、部屋まで連れていく。


「へえーこれが唯の部屋。いい匂いだし可愛らしい部屋だね」


「待っててくださいね。いま飲み物持ってきますから」


 部屋から出ると、ちょうどタイミングよくお母さんがお茶を持ってきてくれた。


「お友達来てるの?暑いからこれ持っていきなさい」


「ありがとう、お母さん」


 お茶を受け取り部屋に戻る。部屋に入ると、わたしの枕に顔を密着させ深呼吸をしている南さんの姿が。


「あーいい匂いする。こんなに濃縮された、唯の残り香を摂取できるなんて」


 「南さん、何やってるんですか」


 「え、いや、つい……ごめんね。冷静さを失ってたわ」


 最近、南さんのイメージがどんどん崩れていく気がする。ほんの数週間前まで、彼女は学園の王子様的な存在だったのに。今では、目の前でわたしの枕に顔を埋めている……驚きを隠せない。


 でも、顔はやっぱり別格にいい。女のわたしですら、一緒にいるとドキドキしてしまうことがある。でも、いまの状況は正直耐え難い。


「今日は勉強会なので自重してください」


 「ちょっとテンション高まりすぎちゃったみたい。でも、もう大丈夫。切り替えて、ちゃんと勉強するから」


 本当にちゃんと勉強できるかな?不安が頭をよぎる。わたしはお茶を机に置き、深呼吸をして気を取り直す。


 「じゃあ、始めましょうか」


 ◇◇◇


 気がつけば時計の針が幾度となく一周し、3時間が過ぎていた。開幕早々に南さんの変態性の高い行動を目撃していので、まともに勉強できないと思っていたが何ごともなく、驚くほどスムーズに進んだ。


「ここ、どうやって解くんですか?」


「えっとね、こういうときは公式を……」


 南さんは意外にも真剣に取り組み、わたしは説明を頷きながら聞いている。『何か起きるかも』と、ドキドキしていたのがバカみたいだ。


「んー疲れました」

 

「休憩しようっか」


 わたしは少し体を伸ばし、机に突っ伏して目を閉じる。熱が籠った脳を排熱しリセットする。机がほんのり冷えていて気持ちいい。


 お茶を飲もうと顔を上げると、対面にいたはずの南さん姿が見えない。

 

 「南さん?」

 

 不意に背後から気配を感じる。その瞬間、背中に何か柔らかいものが触れた。驚きで体を強張らせると、耳元で小さく笑う声が聞こえた。


「こっちだよ、唯」


 南さんはいつの間にか移動していて、気づけばわたしの背中を包むように座り、自分の腿でわたしを挟む形になっていた。


「ちょっと、何してるんですか?」


「疲れたから癒しが欲しくてね、抱き着いてもいい?」


 耳元で甘えるような声が響く。思わず身を引こうとするけど、南さんの腿でしっかり挟まれていて逃げ場がない。

 

「何もしないならいいですよ」


 そう答える以外に選択肢はない。


「分かった」


 返事と同時に、彼女の腕がそっとわたしのお腹周りに回される。優しい力加減で、自然と体を預けてしまいそうになる。


「集中してた時の唯の顔、可愛かったよ。見てるだけで癒される」


 少しだけ抱きしめる力が強まる。『本当に大丈夫かな?』と思ったが抵抗する気もなく、なんとなくその状況を受け入れてしまう。


 このままでも……いや、これ以上のことが起きてもいいかな。


 少しだけ期待してしまい、乙女な自分が出る……が、しかし――何にも起きない!?


 『何もしないならいい』と言ったけど、この生殺し状態は逆に困る。だって、ずっと彼女の胸の柔らかさや体温を感じていると、わたしの方が変に意識してしまってどうしようもないんですけど!


「ねえ、唯の心臓ずーっとうるさいくらい響いてるよ」


 耳元でからかうような声が聞こえ、思わずピクッと反応してしまう。


「そんなことないです、勘違いですよ」


「ホントかなあ」


 疑問の目を向けられる。意識しないように違うことを考えようと数式を思い浮かべ、意識を逸らそうとするも、それは束の間の抵抗だった。

 

 不意に彼女の指がわたしの太ももをツーっとなぞる。その瞬間、くすぐったいような感覚が全身を駆け抜け、息が漏れてしまう。


「……っ!」


 彼女はその反応に満足そうな笑みを浮かべると、わざとらしく優しい声で囁く。


「私はドキドキしてるよ。唯は違うの?」


「そ、そういうのズルいです。わたしだって……わたしだってドキドキしてますから!」


 言葉にしてしまった瞬間、胸が締め付けられるような恥ずかしさが襲う。心の奥に隠しておきたかった感情を暴かれたようで、顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。


「知ってる」


 緊張がピークに達し、鼓動が速まる音が体の中で響く。南さんはゆっくりと拘束していた腕と足を解き、わたしの体を優しくくるっと回して正面に向けた。


 恥ずかしさで顔を上げることができず、視線は床の一点をさまよい、もじもじと手を動かして気持ちを誤魔化そうとする。


「ねぇ、キスしてもいい?」


 耳元で囁かれた瞬間、全身が熱くなり限界を迎える。


「い、1回だけならいいですよ」


 自分でも何を言っているのか全く分からない。ただ、言葉が勝手に口から飛び出した感覚だった。


 この雰囲気、この状況、そして圧倒的なイケメン女子。わたしが女の子が好きとか、そういう話じゃない。誰だってこの状況なら流されて受け入れちゃうよ!!


 呼吸するのも苦しくなるほど、ドキドキが止まらない。


「心の準備はできた?」


「ま、まだできてません」


 わたし、キスなんかしたことないし……心の準備なんてできるわけないじゃん。


 歯が当たらないようにするんだっけ?いやそれはディープなほうのキスだ。ーマルなキスって、ただ唇を合わせるだけだったよね?


 きっと南さんは経験豊富で、めちゃくちゃ上手いんだろうな。そんな想像をした瞬間、これからキスをする事実に完全にパニックに陥る。


「ごめん、もう我慢できない」


 驚く間もなく、南さんが急に近づき、わたしの唇にふわりと触れる感覚が広がった。


 あ、わたし今から南さん色に染められるんだ……。

 

 そんな考えが頭をよぎる間に、唇に伝わる温かさは一瞬で消えていた。


 あれ?もう終わったの?拍子抜けというか、実感がまるで湧かない。


「もう終わりました?」


「うん、どうだった?」


「なんか実感がないです」


 素直に感想を伝えると、鳩が豆鉄砲で打たれたような顔をしていた。


「え、もしかして下手だった?」


 グラデーションのように、絶望に満ちた表情に変わっていった。


「初めてのキスって、なんかこう……もっと素敵で、気持ちがいいものだと思ってました」


 思わず心の声をそのまま口にしてしまう。


「実は私も初めてで、どうすれいいか分からなかった……」


「えぇ!!南さんキス初めてなの!?経験豊富だと思ってました。すごいモテるし」


「そう見える?でも、本当に初めてで」


 南さんは照れ隠しなのか、少しぎこちない笑顔を浮かべて言った。


「大丈夫ですよ!経験を積み重ねれば上手くなりますよ」


「そ、そう? でも、あまり自信ないかな」


 こんなにも弱気な顔、初めて見た。普段の堂々とした雰囲気とは全く違っていて、なんだか胸がざわつく。自信とイケメンオーラが溢れる南さんほうが好きだから、いつもの南さんに戻ってほしい。


「そんなこと気にしなくてもいいですよ。わたしが協力しますから!!」


「いいの?じゃあ早速練習に付きあってもらっていい?」


「任せてください!!」


「ありがとう、助かるよ」

 

 キスの練習という名目で始めたが、わたしも正直なにが正解なのか分からない。とりあえず、それっぽいことを言えばいいはず。


「じゃあ、まずは唇を合わせましょう」


 南さんは少し目を伏せながら頷いた。動作はおぼつかないけれど、その一生懸命な様子が妙に可愛らしい。


「次はリラックスして、力を抜いてみてください」

 

 南さんの動きが次第に柔らかくなり、最初のぎこちなさが嘘のように自然なものへと変わっていく。ふと顔を見ると、どこか自信が戻ったような表情を浮かべていて、その成長が伝わってくる。部屋にはわずかな息遣いと、触れ合う音が静かに響いている。


 気がつくと時計の針は半周しており、お互い夢中になって練習を重ねていた。


「そろそろリベンジいいかな?」


「いつでもいいですよ」


 わたしたちは見つめあってから、優しく唇を重ねた。


 キスをしている間は呼吸ができず、すこし苦しく感じるがそれが妙に心地よい。南さんは、もっと欲しいとこちらが思い始める絶妙なタイミングで唇を離す。すると、快感の余韻がじわっと広がる。唇が離れたあとも、生暖かさが残惜なごりおしいと感じる。


「南さん……完璧です。100点満点です」


 気づけば、勉強会は完全に「キスの勉強会」にすり替わっていて、結局その後も、もう30分ほど練習を重ねることになった。

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