第19話
入場した途端、それまで楽しそうに会話していた貴族達の注目を浴びていた。
「くそ、リンガルのせいだ」
昨日から城の客間に泊まり、ゆったりと令嬢のような一日を過ごしての今朝、髪だけどうにかしてもらおうと侍女の手配をお願いしたら二人やって来て、顔と爪もピカピカに磨かれ薄く化粧まで施されてしまった。
髪も丁寧に櫛を通され、香油で整えて両側を編み込みし後ろでまとめられた。
最後に髪飾りを付けられたが、うとうとしていてどんな飾りか見ていなかった、何でもいいやと気にもしなかった。
気付けばリンガルが箱をいくつも抱えて立っていた。どうやら衣装が届いたようだ。
「そろそろか、俺も着替えて来る。何かあれば呼んでくれ」
リンガルはソニアスの衣装箱を置くと自分の衣装箱を持ってそそくさと寝室へ消えた。
「ソニアス様、お着替えのお手伝いをいたしますね」
と侍女のひとりからニコニコと衣装を見せられ唖然とした。
「なっ、これは。本当に俺のか?」
「はい、今騎士団長様が置いていかれたものです」
「素敵です。きっとよくお似合いですよ」
侍女二人がキラキラした目で見てくる。
「いや、しかしこれは」
「お時間もありませんし、とにかく着替えてしまいましょう」
「ささ、ソニアス様」
勢いに押され、それを羽織った。
鏡に映る己の姿がこんなに恥ずかしかったことはない。
「くそ、リンガルめ」
「呼んだか、用意はでき……」
「おい、この衣装はなん……」
文句のひとつでも言うつもりで振り返ったのに、更にリンガルの衣装に驚いて言葉が詰まる。
リンガルもソニアスを見つめていた。
お見合い状態で二人とも固まっているのを見た侍女二人は口元を手で隠し頬を赤くした。
その沈黙を破ったのはリンガルだ。
ゆっくりソニアスに吸い寄せられるように歩き、目の前で止まった。
「綺麗だ」
「は、何を、おい」
後ろから前に流された艶々の銀髪を大きな手で掬い上げ、恭しくその一房を持ち上げ口づけを落とした。
その目線はソニアスから逸らさないまま。
「あ」
弱々しい声が自分の口から漏れた。
顔が熱い、きっと真っ赤になっているだろう。
こいつは何てことをするんだ、今大事な時期なんじゃないのか。
「侍女たちも見てるんだ、変なことするな」
「もういないぞ、優秀な侍女たちだ」
先程まですぐ側にいた二人は足音もなく消えている。
「それで、侍女が見ていなければいいのか?」
更に一歩近づき、ソニアスとの距離は拳ひとつ分まで縮まった。
ふわっと柑橘系の香りが鼻をくすぐり、慌てて後退った。
「そんなわけあるかっ」
「くくっ」
顔を横に向け肩を揺らして笑っている。
「揶揄ったのか、むかつくやつだな。それにこの衣装は何だ、こんなの聞いてないぞ」
俺の衣装は艶のあるチョコレート色に茶色、オレンジ色、赤色の三色の糸を混ぜた刺繍がジュストコールの襟から裾、袖口に入っている。
それはまるでこの男の瞳の色にも見える。
トラウザーズも同様で今までソニアスが選んだことのない色の衣装だ。シャツは白のフリルスタンドカラーだが、これには銀糸でさりげなく刺繍が入っていて、袖口からもフリルが見え、ソニアスの銀髪との調和をもたらしよく似合っていた。
「俺の色がとても似合っている」
うっとりと眺める男が着ているのは、濃い紫にやはり襟や裾に銀糸で大柄の刺繍が入っていた。
それはソニアスの色だった。
今日は騎士団長というより侯爵子息らしい雰囲気で、紫がよく似合っているのが嬉しくもあり、切なくもなる。
「俺の色とか言うな、こんなのはおかしいだろう」
時間が迫り、渋るソニアスをリンガルが引きずって舞踏会へ向かったのだった。
「どういうつもりだ」
王女と会うのに俺と揃えるなんて。
「俺が用意するのを了承したのはお前だ」
リンガルは当たり前のように腕を差し出す。
ソニアスが出された腕に手を置かなければ入場できない、解放された扉まで来ておいて引き返すわけにもいかない。
「はあ」
諦めて手を出すと、リンガルは満足そうな顔でエスコートをする。
会場に足を踏み入れた途端に周囲の貴族達の視線が集まった。
それはそうだろう。
お互いの色を着るなんて恋人か婚約者だ。
本当に婚約していたなら嬉しかっただろうと思う、だがリンガルは王女と結婚する。
この色を纏って何の意味があるんだ。
会場の隅まで連れて来られ、給仕から飲み物を受け取る。
すぐに王族の入場が始まり、第一王子は俺を見つけぎょっと目を瞠り、最後に国王と王妃がフレア国の王女と一緒に現れた。
小柄でまだあどけなさを残した可愛らしい方だ。
「少しだけ席を外すがいいか?」
「ああ、少しと言わずに自由にしてきていいぞ」
「……ここを動くなよ、誰かに誘われても断るんだぞ」
「わかってる、早く行け」
後ろ髪を引かれるように振り返りながら人々の間にその大きな体を消して行く。
ソニアスは小さくため息をついて壁にもたれ、手に持ったグラスを煽った。
シャンパンを飲むのは久し振りで、もう少し飲もうと近くの給仕にグラスを交換して貰う。
音楽が鳴り出し、王太子殿下と聖女リナのダンスが始まった。
日本人であるリナはこちらに来るまではこんなダンスなどしたことなかっただろうに、よほど頑張ったんだな、上手に踊れている。
リンガルとは違う意味で情が移ってしまった彼女を、これからも見守っていくつもりだ。何かあれば手を差し伸べることができる距離にいよう、家族の代わりは出来ないが、親戚のお兄さんと思ってくれたらいい。
楽しそうに踊るリナの笑顔が眩しく感じる。
これが終わったら皆が一斉に踊り出す、リンガルも王女と踊るのだろうか。
ちらっと濃い紫色の衣装の男が王女の近くに行くのが見えたところで、無意識に視線を逸らしてしまった。
くそ、俺は何で来てしまったんだ。あいつの幸せを願っておきながら王女とのダンスを見たくないなんて。
俺は魔導師長になった時に執着を捨てようと決めた。実際に城から出られなくなって、何かに、誰かに心を残すとどうにかなってしまいそうだと思ったから。
だからリンガルが騎士団長になって会いに来た時は、ひどくがっかりしてしまった。
せっかく決心して離れたのにと。
また、いつか離れる日が来るのに。そしてその決心はついこの間したばかり。
なのに、こんな衣装を着せるとは酷い男だ。
そう文句を言いつつも、本音ではあいつの色を纏えるのは嬉しくて仕方ない、最初で最後だとしても。
何杯目だろうか、また空になったグラスを交換してもらう。
「暑いな」
ここにいろと言われたが、しばらく戻ってこないだろうし夜風で涼もう。
舞踏会は始まったばかりで広いバルコニーには誰もいない。ひんやりとした風が火照った頬を撫でて心地が良い。置かれているソファのひとつに座り空を見上げると、真っ暗な空で星たちが煌めいている。
その様が自由気ままに輝いているように見え、羨ましく思えてきた。
「俺は納得してたはずだ、こんな気持ちにさせたあいつが悪いんだ」
こんな色を着せて、夢を見させて、俺はどこにも動けないのに。
シャンパンを一気に飲む。
加減を忘れた飲み方はソニアスをすこぶる酔わせていった。
酔いがソニアスの思考を暴走させて、何か代償を払わせてやりたいという気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
「ソニアスッ、ここにいたか」
俺の色を纏った男が駆け寄ってきた。
その額は汗ばんでいる、もう王女と踊ってきたのだろうか。
「あそこで待てと言っただろう。おい、酔っ払ってるのか、何杯飲んだんだ」
紫を着てるのだから、これは俺のものだよな、少なくとも今日は俺のものだ。他の女と踊ったお仕置きをしてやる。
完全に酔っ払いと化したソニアスは止まらない。
「聞いてるのか、ソニアッ……」
逞しい肩に手を伸ばし引き寄せ、その勢いのまま唇を塞いだ。
すぐに離れたが、ソニアスは追いかけ背中に腕を伸ばし縋り付くようにそれをまた塞いだ。
唇と唇をくっつけただけのものだったが、ソニアスからの口づけはリンガルの欲に火をつけるに十分だった。
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