第16話
そうやってマーク探しに明け暮れている間に、またしても隣国フレアから使者がやって来たことなどソニアスは知らなかった。
その日はリンガルが呼び出され、出かけて行き、変わった様子もなく帰って来た。
その二日後にまた出かけて行き、今度は考え事しているのか少しぼんやりした感じで帰って来た。
何かあったのか聞いても何でもないと言う、何やら嫌な予感がした。
翌日、家に用事があると出かけて行き、それを知っていたかのように第一王子アズレイト殿下がやって来た。
「やあ、ソニアス。元気だったかい、会えて嬉しいよ」
ソファに向かい合って座ると、不思議な違和感を感じて首を捻った。
「私の顔に何かついているのかい?」
不躾に眺めてしまったようだ。
「申し訳ありません、お変わりがないようで安心いたしました」
違う、殿下に違和感があるのではなく、目の前に座っているのがリンガルでないことに違和感を感じたのだ。
たった数日なのに、あいつがいることに慣れてしまった自分に呆れてしまう。
「ふうん、私の顔は見つめる価値ある美貌らしいから好きなだけ見ていいよ」
ご令嬢方からの賞賛は俺も聞いたことあるが、それを自分で言うところが殿下らしい。
返事はせずに笑顔で返す。
「それで、手記に手がかりはあったか?」
「手がかりという程ではありませんが、結界を壊して欲しいと書いている以上、解除方法を残しているはずというのがラベラント様と私の見解です。今手分けして探しているところです」
相談して決めた返事がこれだ、ラベラント様が質問されたとしても同じ返事をするだろう。これには宰相様も同意されている。
「なんだ、やはりただの日記だったのか。あの書庫ではそれしかなかったけど、もう一度探してみよう」
軽く頭を下げてお礼を言っておく。
「殿下のご助力感謝いたします」
「ソニアス、今は二人きりだよ」
「ア、アズレイト、ありがとうございます」
「うん。ところで今日はあの居候は留守か?」
リンガルのことか?何故ここに住んでいるのを知っているんだ、やはり出かけていることをわかった上で来たのか。
塔内での会話は魔法で遮断しているので聞かれてないはずだが。油断できないな。
「本日は侯爵邸の方に、用事があるとかで行きました」
「そうか、では婚姻に向けて動き出したのかな」
え。
今、婚……姻と言った?俺はまだ返事をしていないが。
ソニアスが言葉に詰まったのを見たアズレイトの口元がニヤリと笑った。
「ああ、ソニアスは知らないのかな。先だって隣国フレアの魔物討伐支援に行った際に、あちらの第三王女が騎士団長を見初めて婚姻の申し込みをしてきたんだよ」
「えっ」
そんなこと聞いていない。
心臓がドクンと大きく跳ねた。
「大変美しい姫君で父上も乗り気だ。ああ、そうそう、これで隣国との繋がりができて同盟を結べたら結界を無くしてもいいと言質を取ったからね、君にとってもいい話になりそうだね」
「え」
「彼は幸せだな、国家間の縁を取り持った上に美しい妻を得る、しかも君の助けにもなる。私も王族として、君を愛する者として彼に感謝しなければいけないね」
俺は何を聞かされているんだ。
何故、今日あいつはここにいない。何故、家に帰ったんだ。
今すぐにでもリンガルに聞きたい。
これは本当の話なのか。どうなっているのか。
この間から様子が変だったのは縁談のせいだったのか、しかし相手が王族じゃ個人の意思など何の意味もない状況じゃないか。
「何か見つけたらまた連絡するよ、ソニアスも何かわかったら教えて。もちろん何もなくても君からの連絡は大歓迎だよ、いつでも連絡を待ってるからね」
「……はい」
ソニアスの心に嵐を起こして、王子は帰って行った。
リンガルからプロポーズを受けたのはほんの数日前のこと、なのにもうこんなことが起きるなんて。俺がぐずぐずしてたからか?婚約でもしていれば断ることも可能だっただろう。
いや、あいつのことだから断っているかもしれない。ただ、今回はそれが通じない相手だ。侯爵様も一度は折れても、相手が他国の王族となれば意見を変えるかもしれない。
そもそも王命なら受けるしかないのだ。
そうなったら……、やはり俺は一緒にはいられない運命なのか。
ゆらりと立ち上がると階段を降りる。
リンガルはいつ帰って来るのだろう。
無意識にリンガルが使っている部屋の前まで来てしまった。
プロポーズの返事を保留にしていて良かった、今ならまだ離してやれる。
扉に両手をつき額をくっ付けた。
大して力を入れていなかったが、ギイッと音を立てて扉が開いた。
中は狭くて、寝台と小さな机、やはり小さいクローゼットがあるだけの部屋だが、今はリンガルの荷物がいっぱい詰まっている。
勝手に入るのはいけないと思い扉を閉めようとした時、机の上に小綺麗な小箱があるのが目に入った。
「あれは?」
駄目だと思いつつ足が勝手に進む。
明らかに他の荷物と雰囲気の違う、誰かから貰ったか、誰かへの贈り物に見える小箱。
封をされていないそれを手に取り、そっと開けて見えた物は髪飾りだった。オレンジがかった赤色の宝石が埋め込まれている、リンガルの瞳の色だ。
贈り物だな、しかも女性への。
蓋を戻しそっと机に置いた、急いで部屋を出て扉を閉める。
ソニアスは目を見開いたまま、表情を動かすことなく寝室に駆け込んだ。
寝台に飛び込んでうつ伏せたままどのくらい時間が経っただろう、シーツを掴んだまま握り込んでいた手が痛いと気付いて体を起こした。固まってしまった手をゆっくり開くとシーツに皺がくっきり残っていた。
「ああ、しまった。この皺取れるかな」
まるで俺の心のようだ。
思ったより深層まで入れてしまっていたと自覚してしまった。
金の箔がよれて元に戻らないように、あいつに踏まれた俺の心にできた小さな皺も消えてくれそうにない。
そうか、好きなんだ。
自覚するのが遅すぎたのかもしれないな。
夜になっても来訪者のベルは鳴らなかった。
悶々としたまま夜を明かし、朝帰りをしたリンガルを何事もなかったように迎え入れた。
「すまないが、しばらく一緒にいられない。だが夜はここに帰ってくる」
帰って来るなり神妙にそう言った。
「何かあったのか?」
「隣国の王女が急に来ると言ってきてな、その対応がある。体制を整えたら副団長に任せるつもりだから数日のはずだ」
婚姻のためにやって来るのだろう?何故そう言わない。
「王女?何のために来るんだ?」
「外遊と聞いている、国から出たことがないらしく手始めに魔物討伐に協力したこの国を選んだそうだ」
リンガルは淡々と話す。
俺には言わないということか。
アズレイト殿下の言ったことを確認する前に、挫かれてしまったな。
どの道、聞いたところで俺にできることはない。話が進んでいるなら、あのプロポーズは無かったことになるだけだ。
「無理にここに泊まらなくてもいい、お前は家に帰れ。探し物はひとりでも大丈夫だ」
本当は毎日帰って来るこいつを迎えるのは楽しかった、だが……。
表情を無くした俺を訝しむように見る。
「俺はここに帰って来る」
艶のある低音が言い聞かせるように優しく言った。
ソニアスの好きな声で、聞きたかった言葉なのに今は素直に聞くことができない。
「好きにすればいい」
背中を向けて歩き出す、リンガルが何か言いたそうにしていたが無視をした。
リンガルを残し塔を出て当てもなくフラフラと歩いていると、庭園の池にたどり着いた。
まだ午前中の早い時間で誰の姿もなく、庭師が水を撒いたのだろうか花々が水滴を纏ってキラキラしている。
池を覗き込むと髪の長い女顔の男が映る。
「髪飾りか……、俺だって髪飾りくらいつける時あるぞ」
誰に言うわけでもなく独言る。
実際、どうしても出席をしなければならない時はある程度は着飾っている、女性のように煌びやかではないが髪に装飾品もつけているのだ。
「何だ、結構残念に思っているのかお前は」
水面に映った情けない顔をした男に声をかけた。
何て顔をしているんだ、みっともない。
右手を振り、指先で水面を弾くと波紋で男の姿がゆらゆらと歪む。
「俺はこのまま果てるのが運命だ、期待をするんじゃない」
「よくわかっているじゃないか」
突然の声に振り返った、身なりの良い白髪の男性貴族が立っているのを視界に捉え、息を呑んだ。
どんな顔だったか忘れそうになる程しか顔を合わせた事はなく、前回会ったのは魔導師長になった時だ。
「ち、父上……」
そこに現れたのはソニアスの父であるガニュード子爵だった。
「久しいなソニアス、元気だったか」
何故ここに、俺に声をかけてくるなんて。
「はい、父上もお元気そうで何よりです」
今までも城で見かけることはあったが、声をかけてきたことなど無かった。それがどうして。
相変わらず無表情で、家族に向けるにはあまりに冷たい空気を纏っている。
「今、お前はその立場を嘆いていたようだが、自分の使命を忘れたか。その身で王を、王都の民達を守るという名誉ある使命を」
「いいえ、忘れてはおりません。この命尽きるまで使命を全ういたします」
「その言葉確かに聞いたぞ。変な動きをしている奴らがいる、惑わされることのないように」
それだけ言うと去って行った。
釘を刺しに来たのか、まさか父上が来るとは。結界を解除するとよほど都合が悪いことがあるようだ。
ラベラント様の言う通り危険なのかもしれない。
結界契約の解除方法を探し出したことか、王が結界解除を認めたからか、宰相様が転生者について調べ出したからなのか、どれが父上を動かしたのだろう。
ラベラント様は大丈夫だろうか、ドミネス伯爵家も何か動きがあるかもしれないな。
塔に戻ろう、とにかくリンガルには出て行ってもらった方がいい。父上がどう動くかわからない。
急ぎで塔に入ると、荒らされた部屋が待っていた。
「チッ、やられたか」
父上だ、手記を探したのか?
ただの脅しの可能性もあるが、何も見つからなかったから、わざわざ接触してきたんだろう。
手記はずっと俺が身につけている。
リンガルの部屋も荷物が全部収納から出されていた。本人は既に出ていたようだ。
良かった、帰って来る前に元に片付けておくか。
「元の場所に戻れ」
渦を巻くように風が吹き、バラされた荷物達が風に乗って元の場所に戻った。
もちろんあの髪飾りも。
「何も失くなっていなければいいが」
時を少し戻す事で元の場所に戻せるが、ここに無い物はどうしようもない。
この魔法は物をひとつ前の場所に戻すだけで、実際に時間を遡ることはない。破損した物は破損した状態で移動するだけだ。人には発動しない。
なので使い所が無かったのだが、今やっと役に立った。なるほどこういう時に有効なのか。
そんなことより、問題が残った。
「何故塔に入れたんだ?」
外から入ろうとすると扉は俺しか開けられない、どこから入った?
まさか魔術陣に仕掛けられているのか?
塔の中に描かれている陣を全て確認したが、不審な点は見つからなかった。
まずいな、ここは安全ではなくなった。
ここまで派手にやったんだ、俺が新たに術をかけることも織り込み済みのはず。
それでもそれをやったということは入る方法があるのではないか。
くそ、俺がここから動けないのをうまく使いやがって。
しばらく大人しくする方が得策か。
俺だけなら、きっと大したことはされない、代わりがいないからな。
ラベラント様に連絡を取りたいが、ガニュード家の魔導師が見張っているかもしれない所で伝言蝶を飛ばすのは危険だ。
宰相様とどうにか連絡を取って、ラベラント様の無事を確認しなければ。
その夜、リンガルが帰ってきたのは深夜だった。来訪者のベルが鳴り扉まで行ったソニアスは錠前を開けて迎え入れた。
魔導師の住まいには基本設置しない錠前をあえて取り付けたのだ。
気休め程度だが無いよりマシだ。
「今の音、鍵を付けたのか?何かあったか」
鍵を回す音が聞こえたリンガルが聞いてきたが、笑顔で暇つぶしだと答えた。
「そんな事より、こんなに遅くなるなら家に帰ってくれ。扉を開けるのが面倒だ」
リンガルは焦った顔をした。
「あ、すまん。明日は早く帰る」
「明日はない、朝に荷物を持って出て行ってくれ」
「おい、ソニアス」
「お前が完全に解放されたら、その時にまた来たらいい」
「おい、本当に何も無かったのか?何故急に追い出そうとするんだ」
リンガルの目が鋭く細められる。
「俺も早く寝たい日はあるし、帰りの時間を気にして仕事が半端になってはいけないだろう?完全な休暇に戻ったら、泊まりの件は考えてやる。とりあえず今は家に帰れ、その方がお互いのためだと思わないか?」
納得はしていないと顔に書いてあるが、渋々承諾した。
「わかった、けど荷物は置いていく。どうせすぐ戻って来るからな」
こいつ、聞き分けが悪いな。
仕方ない、ここを出てもらうのが優先事項だ、荷物など後で送り返してやる。
「それでいい、大事な物は持って帰れよ」
例えば髪飾りとか。
着替えくらいしかないからと、翌朝リンガルは手ぶらで出て行った。
無人になった部屋をそっと覗くとあの髪飾りの小箱は無かった、やはり大事な物だったようだ。
「静かだな」
不思議だ、いずれ帰って来ると思っていると、目の前にいなくても存在を感じていたのに、今は俺ひとりなんだと寂しさを感じている。元に戻っただけなのに。
だがこれでいい、あいつは隣国の姫と結婚する。変ないざこざに首を突っ込むことはないんだ。
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