第15話
兆したものを己で放出した後はしばらく動けず、ソニアスは湯を入れなおし長湯をしていた。
そんなことになっているとは知らないリンガルは、戻りが遅いソニアスを気にかけていた。
「ずいぶん長いな、髪も長いし時間がかかるんだろうか」
ソファに座り酒をちびちび飲みながら、手記を読んでいた。
今のところ普通の日記のようだが、これが何か重要なのか?
気になるのは聞いたことのない食べ物が出てくることくらいか。それも世の中の食べ物を全て知っているわけではないから、そんなものがあるのかと思うだけなんだが。
実は少し飽きてきていた。
リンガルは読書が苦手だった、それよりも剣を振り回す方が性に合っているのだ。
諦めて手記を開いた面を下に机に伏せた。
そこにはソニアスの手料理がまだ残っている、まずはこれを食すのが先だと手に取る。
そういや、ソニアスと一緒でこの初代魔導師長も米が好きみたいだな。
米というものを認識したのはここで出されてからだ、知らないと言ったらリゾットが米だとソニアスが教えてくれた。
手酌で酒を注ぎ口をつける。
「うまい、今度厨房のやつにどこで手に入るか聞いてみるか」
舌でじっくり味わっていると、ふとソニアスの唇の味を思い出した。
「あれも美味かったな」
艶かしい顔のソニアスを思い出し、口元がニヤける。首筋にかぶり付かなかった自分を褒めたいくらいだ。
ソニアスがそのまま流されてくれていたら、どこまで許されただろうかと思わずにはいられない。妄想くらいは許してくれ。
予期せず勢いで告白して、プロポーズまでしてしまった。
「もっとちゃんとしたかったんだがな」
ため息と共につぶやいた。
正装して花とプレゼントを持って、かっこ良く決めたかった。
あんなグダグダであいつを泣かすようなことがしたかったわけじゃないし、家督を弟に譲る件もこんな形で伝える予定ではなかった。
悩ませてしまったと思う、風呂が長いのもそのせいかもしれない。
これもあのクソッタレ王子のせいだ。焦りが出てしまった。
ずっと側にいたのは俺なんだ、あいつが心を開いているのも俺だけだ。今更誰かに取られてたまるか。
俺が騎士団長になる前、ある日から突然会うことができなくなった。
魔導師長になったと公示があったから塔にいることだけはわかったが、護衛でもないただの騎士では塔を訪れることはできなかった。ソニアスが騎士舎まで来るか、城のどこかで見つければ会うことは可能だったが、それも無かったということはソニアスに会う意思が無かったのだろう。
当時は結界契約のことまでは知らず、街の行きそうな所をうろうろしてみたり、魔物の討伐に行く時は同じ班にいないか探してみたりしたものだ。
どうやっても会えないのならと会える地位を目指し鍛錬を続けた。
当時の騎士団長に見込まれて副団長になり、その後彼の引退とともに俺が騎士団長となった。
そして、魔導師長の本当の存在意義を知らされた。
まさか、城に閉じ込められている上に命尽きるまで結界と契約で結ばれているとは。
ソニアスが俺の前に姿を見せないのがわかった気がした。
魔導師長として秘密を守るため、そして今後の人生を完全に分つため。
だがな、思い通りにさせねえ。
俺の人生は十二歳でお前に出会ってから変わったんだ。学園を卒業と同時に護衛兼友人の使命は終わったが、俺は関係を終わらすつもりは全くない。
正式に騎士団長に任命されてすぐに魔導師塔に行ってやった。あいつは、驚いて困ったように笑ったが中に入れてくれた。
それから時間を見つけては通っている。
街へ行けないあいつのために、流行りのものやら好みそうなものやらを手土産に持っていくのはもはや趣味でもある。給餌行動と同じかもしれないな。
離れている期間を誰と過ごしていたか気になっていたが、誰もいないようだった。
ひとりでいたがるやつだからな。
口づけも初めてと聞いて安心した。
ソニアスの初めては全部俺でありたい。
それに。
「ふっ、くく」
突然気持ち悪い笑い声が漏れた。
学園の寮でソニアスが慌てた様子でアソコが腫れたと泣きついてきたのを思い出した。
俺はすでに精通を迎えていたからうまくしてやれたとは思うが、自分も子供だったから必死だった。
後になって、自分の手がソニアスの大事な所に触れたんだと興奮してしまったのを覚えている。
貴族であれば教育係から教わっているものだが、どうもそちら方面は飛ばされていたようだ。
ともあれソニアスの初めてを享受できたのは幸運だった。
気付けば酒は空になっていた。
まだ物足りない気がするが、これ以上は眠ってしまうだろう。これからひと晩かけて手記を読まねばならんのだ。
その時、ふわっと石鹸のいい香りが漂った。
「まだ飲んでたのか。手記は読んだのか」
湯上がりで髪が濡れたままのソニアスが入ってきた。声をかけてきたのに目線は逸らしたままだ。
初めて見る寝衣姿にどきりとする。
普段のローブは紺色だが、今は薄い水色を纏って、濡れた長い銀髪を前に垂らしている。
湯で温まったせいなのか白い絹肌がほんのり火照りやたらと扇情的だ。
思わず手を伸ばしたくなるが、もう愚かなことはしたくない、理性を総動員する。
「途中までは読んだ、これから続きを読むから先に寝てくれ」
頼む、目の毒だから目の前から消えてくれ。
リンガルは密かにそう思った。
「じゃあ先に寝させてもらう。もし寝るなら下の階に狭いが寝台の部屋がある、そこを使ってくれ」
「ああ、わかった」
一度チラリとこちらを見て、ふいっと顔を背け行ってしまった。
何だ?
「まあいいか。これひと晩で読めるのか?」
伏せていた手記を手に取り読み進めると、ただの日記ではなく結界ができるまでの過程が後悔と共に記されていた。
だが、解除方法は書かれていない。
リンガルには、日記以上のものは見出せなかった。
それでも朝日が出るまでには読み切ったのだ、それだけでも褒めてもらいたい気分だった。
窓から差し込む朝日で目を覚ましたソニアスは、いつもの紺色ローブに着替えると酒盛りの後片付けをしようと書斎向かった。
てっきり階下の寝台にいると思っていたリンガルが、ソファに深く体を預け眠っていた。
少々気まずい気持ちだったのだが、閉じられた瞼を見て気分が軽くなる。
起こさないようにそっと近づき顔を覗き込んだ。
寝顔を見るのは久しぶりだ、少しあどけなくて可愛さを感じなくもないな。
しばらく眺めていたらリンガルの目がぱちっと開いた。
「夜這いなら夜に来てくれ」
「起きていたのか」
「今起きた」
欠伸をしながらぎこちない動きで背伸びをしている、ソファが狭かったのだろう。
「寝台を使えばよかったのに」
あの部屋だけは壁も天井も板と布で覆い、使ってもいいように埃を払って寝具も交換してあったのだ。
「読み終わったのが少し前なんだ、移動する方が面倒だった」
「全部読めたのか」
「ああ、だが俺にはただの日記にしか思えん」
「うん、それについて話したいんだが、時間はあるか?」
リンガルはにっと笑う。
「しばらく休暇をもらっている。休みが溜まっていてな、この機会にまとめて消化することにした」
「そうか、助かる」
まずは腹ごしらえと朝食を摂ることにした。
パンとフルーツに簡単な野菜スープを机に並べ食べる。
「そういやお前って休みとかどうなってるんだ?」
結界は自動的に魔力を吸い上げるだけなので特にすることはない。なのではたから見たら何もしていないように見えるかもしれない。
「そうだな、魔術陣の解読や開発の依頼がなければ休みという感じだが、あれも時間のかかるものだから、まあ自分次第だな」
騎士団は第一騎士隊から第五騎士隊まであり、第一は王族護衛、第二は魔法も剣も使えるエリート、第四は剣や武器に優れている者、第五は街の巡回など、それぞれ得意なものや役割で分かれている。
俺が所属する第三騎士隊は魔導師の隊だ、そこから時折魔術陣に関して相談事がある、その時は騎士舎まで行って聞いたりしている。
俺は立場的に休暇の申請は必要ないので、騎士団長でも把握は出来ない、どうもそれで気になったようだ。
魔物が落ち着き取れていなかった騎士の休暇を見直すらしい。
朝食を終わらせ、紅茶を用意し説明を始めることにした。
意を決して全て説明した。
前世の記憶があるなど信じられないかもしれないし、変に思われるかもしれないが、全てを知って欲しかった。
その上で、まだ俺の側にいたいと思うのか考えて欲しいのだ。
「信じるかどうかはお前次第だが、これが全てだ」
まっすぐリンガルを見つめると、優しく慈愛に満ちた眼差しが返ってきた。
「信じる、当たり前だろ。お前はこんな嘘をつく人間じゃない。誓ってもいいぞ」
また跪こうとしたのを止めた。
「ちっ、誓わなくていい、信じるのか?」
「ああ、もちろんだ。俺は何をすればいい?このマークを探せばいいのか?」
こいつはやっぱり馬鹿だ、こんな突拍子もない話をあっさり信じるなんて。
「ああ、そうだ」
声が震えそうだ、胸が熱い。
リンガルとは長い付き合いでそれなりに信頼もしていたが、いつか離れるんだとどこか一線を引いていた。だから一緒にいても俺はひとりきりだと思い込んでいた。
でも今、ひとりじゃないと初めて思えた。
だが同時に離れることへの恐怖を生んでしまったかもしれない。
「このことを知っているのはラベラント殿だけか?」
「宰相様にはラベラント様が話したはずだ、第一王子殿下にはまだ。先にラベラント様に相談したい」
「それがいいだろう。じゃあ俺は一度家に戻って荷物をまとめてくる」
「荷物?」
「しばらくここに泊まることにする」
「はあ?」
「ガニュード子爵家とドミネス伯爵家、何かあるかもしれん。ラベラント殿が言うように危険の可能性もある、お前をひとりにしたくない」
頼むと言わんばかりに手をぎゅっと握られる。
そこまで頼ってもいいのだろうか、束の間逡巡したが、結局頷いてしまった。
「お前の休暇の間だけなら」
表情を明るくしたリンガルは、自分が戻るまで出かけるなと言って出て行ってしまった。
少しずつ事態が動いていく、不安と期待で心が震えるのを感じながら、その後ろ姿を見送った。
陽が傾き始めた頃、リンガルが遠出の旅行が出来そうな大きめの鞄を担いで戻って来た。
そういえば休暇が何日あるか聞いてなかったな。
厨房からもらってきた肉を焼いて食べながら聞いてみる。
「そう言えば、溜まった休暇って何日あるんだ?」
「百日くらいある。大事が起きれば出動しなきゃならんが」
口に含んだ酒を吹きそうになった。
そんなにあるのか!
魔王のせいで休みなど取れなかったのだろうが、騎士団の労働環境の悪さが垣間見える。
団長となれば尚更忙しかったのだろう、何年休みが取れてないのか聞くのが怖い。
しかし百日もここに泊まるつもりか、まるでお試し同棲みたいだな。と考えてはっとなり首をブルブル横に振った。
「ん、どうした」
「なんでもない、気にするな。それより明日からどうするんだ」
「手がかりのマークを探す、俺と一緒なら行ける場所も増える」
確かに、ひとりで歩いていると不自然な場所でも騎士団長となら理由付けもできるか。
「わかった、よろしく頼む」
「おう」
翌日以降、魔導師長と騎士団長が仲睦まじく庭園デートをしていたと噂が広がり、一部の令嬢の間では略奪愛だの三角関係だの、まことしやかに盛り上がったようだ。
だが、噂を広めただけで数日経っても目的のものは一向に見つからなかった。
手記を読み直したり、塔を何度も探したり、時間だけが過ぎていった。
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