第12話

 次の瞬間ソニアスは水の塊をリンガルの頭上に出現させると一気に下に落とした。

 自分にもかかってしまうが構うものか。

「うわっ」

 頭から水を被りようやく我に返ったようだ。


 しばらく固まっていたが、ゆっくりソニアスを解放し、素早く水浸しの床に頭をつけ土下座をした。

「すっ、すまん。こんなことするつもりは、いや、もっと順序立てて進めるつもりだったんだが、ああ、言い訳だな。とにかくすまん!」


 責め立てるつもりだったのに先手を打たれ勢いを削がれたが、それで許す気はない。

「どういうつもりだ!」


 裏切られた気分だった、俺を守ると言っていたその口で何をした。

 こいつだけはと信頼していたのに。さっき貰ったチョコも握り込んだせいか溶けて、今俺の拳の中でべちょべちょになっている。さっきの喜びを返せ、お礼を言えてないがもう言ってやらない。


 当のリンガルは微動だにしない。

 何か言えよ、さっき順序立ててとか言ってたな、言い訳してみろよ。

「お前も俺にちょっかいかけてた変態どもと同じなのか」

 リンガルの肩がビクリと揺れた。


「俺は……」

 二人ともびしょ濡れのまま動けずにいた。

 その時、予定のない来訪者のベルが鳴った。

 こんな夜更けに塔に訪れる者などリンガル以外にいない、誰だ?


 素早く反応したのはリンガルだった。

 立ち上がった時にはもう騎士団長としての顔で目には鋭さが戻っていた。

「来訪の予定はあったか?」

「い、いや」

「お前はここにいろ、俺が行く」


 何事もなかったような態度にむっとするも、それをぶつける前にリンガルは苦手なはずの魔術陣を踏んだ。

「あっ、あいつ苦手なくせに」

 それに濡れたまま行かせてしまった、来客ならここも片付けないとな。


 魔力を操ると、ひと巻きの風がソニアスと床の水を一瞬で攫っていく。

 その頃にはソニアスの熱っぽい表情も落ち着いた。

 それにしても誰が来たんだ、城の者なら緊急の呼び出しか、もしやラベラント様?

 が、そのどちらでもなかった。


 すぐ戻ってきたリンガルの後ろから金髪頭の青年が顔を出した。

「こんばんは、ソニアス」

 第一王子のアズレイト殿下が笑顔で立っていた。

「殿下、どうしてここに」

「ソニアス、いつも通りアズレイトと呼んで欲しいな」

 いつも?そんなに呼んだ覚えはない。


「いえ、殿下とお呼びいたします」

「私たちの仲なのに、ああ、そうだった。呼び捨てにするのは二人きりの時だけと約束したのだったね、今は彼がいるから我慢するよ」

 アズレイトはわざとらしくリンガルに目を向ける。


 ソニアスは心の中で舌打ちをした。

 何も今それを言わなくても、そんな言い方じゃリンガルに誤解される。

 ん、誤解?俺は誤解されると嫌なのか?

 いやいや、何を誤解するというんだ。


 ちらりとリンガルに視線を移すと半目で睨み返していた。

 おい、一応それ王子だぞ。

 もしかしてこの二人、仲悪いのか。


「それで殿下。こちらへは何用でいらっしゃったのですか」

 とにかく、早く用件を済ませて帰ってもらおう。

「そうだった。あれは受け取ったかな」

 あれ、とは手記のことだろうか。濁したってことは騎士団長でも知られてはいけないということか。


「はい、ありがとうございます」

「うん、役に立ちそうかな」

 その割には聞いてくるな、受け取ったかどうかの確認だけではないのか、どこまで言っていいのかわからない。


「はい」

「そうか、良かった。ところでこの男、何か不埒な真似をしたのではないのか」

 どきりとして先ほどの口づけを思い出したが、今それ言ってはいけない気がした。

 許せないなら王子に言えば近づかないよう命令をしてくれるだろう、しかしそんなことは望んでいない。

 俺はリンガルの言い訳が聞きたいのかもしれない。


「いえ、なぜ」

「ふむ、頭から水を被った男は大抵そういうものだからかな。二人きりで君は濡れていない、何か嫌な思いをしたのではないか?」

 実際はソニアスも今さっきまでは濡れていたのだが。

「酒を飲んでふざけていただけです」


「そうか、ではその赤くなった目は酒のせいか。何もないならいい、ああ、ではこれを。一緒に飲もうと思って持ってきたのだけど、飲んで楽しんでいるなら今夜は遠慮しよう。また今度時間を作ってくれたら嬉しいよ。君にとって必要な話をしよう」

 出してきたのは酒瓶だ。


 何やら棘を感じる言い方だ、俺にというよりリンガルにか。

 顔では微笑みながら渋々受け取った。

 最後にリンガルにドヤ顔を見せたアズレイトは、満足したのか帰って行った。

  

 下で待たせている護衛のところまで見送ったリンガルがイライラしながら戻ってきたので、また何か言われたのかもしれない。

 声をかけようとしてハッと思い出した。

 そうだ、俺たち喧嘩してたんだ。全てリンガルのせいだがな。

 

 そのリンガルも俺の顔を見た途端に思い出したのか、気まずい表情で膝と両手を床につけた。

 また土下座か!

「さっき何かを言いかけたよな」

「……」


「話す気がないならもう帰れ」

「……よ……か」

 体勢はそのままでぼそりと口を開いた。

「聞こえない、もっと大きな声で言ってくれ」

「殿下を、名前で……呼んでいるのか」

 はあ?何だそれ。俺が聞きたいのはそこじゃない。お前にとっては何でもないことなのか?


「お前、ひとのファーストキス奪っておいて他に言うことないのか!」

 ばっとひれ伏していた男が顔を上げた。

「はじめて、か?」

 しまった、怒りで思わず経験がないのを暴露してしまった。

 くそ恥ずかしい。


 おい、なんでお前が頬を染めてるんだ。

「もういい、本当にもう帰れ」

 もういい、言い訳がないならもう聞かない。しばらく顔も見たくない。

 目頭から熱いものが滲んできた。感情がはっきりしない、今日は情緒不安定だ。

「ソニアス、すまっ。いや、ちゃんと言う。言うから泣くな」

「泣いてない!」

 ぐずるソニアスに焦ったリンガルは早口になる。


「ちゃんと告白して、それから徐々に距離を縮めるつもりだったんだ。さっきは俺が理性を飛ばしちまって悪かった。お前があまりに可愛く笑うから止められなかった」

 告白?

 可愛く笑うから?

 信じられない言葉が聞こえた、俺は今何を聞いた?

 意味がわからないが涙は止まった。


「もっとちゃんと花とか準備して、それから言うつもりだった。だが、ぐずぐずしてたら第一王子に先を越されそうだから」

 立ち上がり汚れた手を仕立ての良いトラウザーズではらい、ソニアスの細い両肩に置いた。


「ソニアス、愛している」


 耳に心地良い艶のある低音がはっきりと告げた。

 真剣な眼差しを受けても、信じられない。


「な、何を冗談言ってるんだ」

「冗談でこんなこと言えるか、お前を愛している。結婚を前提で俺のこと考えてくれないか」

 結婚だと?それこそ冗談だろ。


 侯爵家の嫡男だぞ、それなりの上位貴族から妻を娶って後継者をつくる義務があるだろう。男と結婚なんて認められるはずない。

「バカなこと言うな、侯爵様が許すはずないだろう」

 いけない、声が震えた。


 こいつは馬鹿なんだ、俺が正してやらないと。俺が、将来を潰すなど、俺が許さない。

「許可はもらった」

「え」

「家督は弟に譲って、俺は領地で余っている伯爵位をもらうことになった。結婚相手については俺が自由に決めていいと許可が出ている」


 咄嗟に肩に置かれた手を振り払おうと、両腕を持ち上げたところを素早くかわされ、逆に手首を掴まれ引っ張られる。

 その勢いのまま逞しい胸に飛び込んだら、そのまま腕の中に閉じ込められた。


「もうこれは決定なんだ、俺は侯爵家を継ぐ気はない。今日その誓約書を交わしてきた。ソニアスに断られても変わることはないから、ゆっくり考えて欲しい」

 ゆっくり考えろって、そもそも俺はここから出られないカゴの中の鳥なんだよ。

 誰かと結婚なんて、無理に決まってる。


 リンガルは昔から俺を大事にしてくれている、それに甘えてしまっていた。

 俺のせいでリンガルが将来を曲げてしまったのか。だめだ、俺なんかに囚われてはいけない。

「勘違いするなよ、家督を継がないのは俺が騎士団を辞めたくないからだ。お前のことがあってもなくてもな。だから泣くな」


 言われてはじめて涙を流していることに気付いた。

 俺の涙腺はどうなってるんだ。

 見られたくなくて胸に顔を埋めると頬に当たったシャツが少し湿っていた。そういえば濡れたままだったな、早く乾かしてやればよかった。


 断るのが正解だと思っていても、侯爵家の後継者という立場は戻らない、なら応えてやる方がリンガルのためなのか。

 いや、何より俺はそういう意味で好きなのだろうか。親友と恋人の境目はどこにあるのだろう。それに伯爵位なら嫁ぎたい令嬢など山ほどいるはずだ、なら孕めない俺よりか……。

 ああ、だめだ答えがでない。


「リンガル、……俺」


「まて、返事をするつもりなら待ってくれ。今日は言わなくていい、ゆっくり考えてくれ」

 返事をしようとしたわけではないが、告白の返事というのはすぐ聞きたいものではないのだろうか。


「殿下と同じこと言うんだな」

 涙も止まり、気持ちが少し落ち着いたせいか口が軽くなってしまったようだ。

 しまった、また。案の定リンガルは聞き流してくれなかった。

「ソニアス、この際聞くが、第一王子殿下と何があったんだ。役に立つ物とは何だ」

 そっと肩を押され体を離されて、顔を覗き込まれる。


「何もない」

 リンガルの眉間に皺が寄った。

「俺と同じこと言ったとは?」

 肩は掴まれたままで、言うまで離さないと鋭い目が語っている。

 聞いたら怒らないか?

 気は進まないが、元々相談するつもりだったことだ。手記のことだけ黙ってればいいか。


「伴侶になって欲しいと言われた、すぐ断ろうとしたがよく考えてから返事してくれと言われただけだ」

 リンガルはそれを聞いて、何かに気付いたように口をぱかっと開けた。


「さっき言いかけたのは。もしかして、俺もすぐ断るつもりだったか?」

「いや、考えるから日にちをくれと言いたかっ……」

 ん、あれ。殿下はすぐ断るつもりだったのに、リンガルのことは考えるって、思わせぶりなことを言ってしまった。


 余計なことを言ってしまったと言い訳を口走ってしまう。

「友人だからな、俺も真剣に考えたいだけだ、都合に良いように考えるなよ」

「ああ、わかってる」

 穏やかな声の返事に伏せていた視線を上げたら、優しい眼差しで見られていた。


 見つめ合うことに耐えられず目を逸らしたら袖口が濡れているのが見えた。服が湿ったままなのを思い出して、風を起こし乾かしてやる。

「乾かしてくれたのか、さすがだな」

「別に、俺のせいだし」

「そうか、それでも助かった。それで、まだ答えてないことがあるんだが、聞かせてもらいたい。何か受け取ったのか」


 誤魔化せると思ったのに思い出したか。しかし、手記のことは話せない。

「魔術に関することだ、お前には関係ない」

「それはお前の、礎の解放に関することか」


 は?


 耳を疑った。

 何故、お前の口からその言葉が出るんだ。

 反射的に力一杯に突き飛ばし離れる。

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