第9話

 討伐隊が帰ってきた日の午後、約束通りラベラント様が魔導師塔に来訪した。

 初代魔導師長の手記について話すためだ。

 二人でソファに座り、ひとまず紅茶を出した。


「ありがとうソニアス、いい香りだ」

 目を細めゆったりと微笑むラベラントを前に、ソニアスは少し迷っていた。

 ラベラント様はこの手記を読んでどう思ったんだろう、この世界には馴染みのない調味料や食材の名前を、そしてページの隅の何らかの文字に気付いているんだろうか。


 いきなり転生者かもしれないなんて言ったら変に思うかも、俺が転生者だからそう思うなんて言ったら余計変に思われるかもしれない。

 とりあえず食べ物については無視しよう、重要なのはきっと文字かもしれないものの方だ。


「何か発見があったようだね、ソニアスの意見を教えてくれるかい」

 ソニアスがいつまでも喋らないので、ラベラントが先に口を開いた。

「えと、結界や契約魔法が作られた経緯がありましたが、解除方法については何もありませんでした。しかし、魔導師が対の解除方法を残さないのはあり得ないと思います。手記にもいずれ壊してほしいと書いてあることから、何かあるはずです」

「うん、私もそう思う。それで?」


「はい、ページの隅に残された文字のようなものにヒントがあると思います」

「文字だって?そんなものは無かった気がするが」

「風がページを捲るのを見ていて偶然気付いたのです、右下のここを見てください」

 手記をペラペラと捲ってみせる。

「うん?」


 眉間に皺を寄せ、目を細めて見ているが、見えないようだ。

 あれ、俺にしか見えないのかな。

「小さい黒い点が動いているように見えませんか」

 何度かペラペラしてみる。

 ラベラント様は顔を近づけたり離したりしながら凝視しているが、首を傾げている。

「く、年には勝てないか」


 何故か悔しそうに、ローブの袖から拡大鏡を取り出し位置を合わせ目線を手記に戻した。

 どうやら老眼で見えなかったようだ。

「お、おお。本当だ、黒い点が動いているのが見える。はは、これは懐かしい」

 懐かしい?


「え?」

「え?」


 今、懐かしいって言った。この世界でもパラパラ漫画で遊ぶ文化はあるのか?

 しかもラベラント様は伯爵家の方だ、貴族なのにそんな遊びをするのだろうか、平民だとしても本やノートは貴重な物、落書きに近い遊びを紙でするとは思えない。


 何をどう質問すべきか悩んでいると、ラベラント様が咳払いをして姿勢を正した。

「よく見つけた、やはり目は若い方がいいね。ただ、実は私が意見を聞きたかったのは別のところなんだ。いや、今はこの文字のことを考えないとね」

 文字のことは大事だが、今とても気になることを言った。


「別のところ、とは何ですか?」

 俺にも文字ではない部分で気になっているところがあるが、まさか、ね。

「ああ、うん。やっぱり気になるか。ミソ、ショウユ、ダイズ。これらは手記の中に出てきたものだ。ソニアスはこれらが何か知っているのではないか?」

「え」

 そのまさかだった。


 俺の表情がわかりやすく変わったからだろう、ラベラント様は苦笑している。

「驚かせてすまないね。実は、私はそれらを知っている」

「ええ」

 ソニアスは信じられないものを見るように目を瞠った。


「生まれる前はそれらを食していた。ソニアス、お前もそうなのではないか?」

 ふざけているようには見えない、まさかこの人も。

「転生者、なのですか?ラベラント様には前世の記憶があるのですか!」

「ある、日本人だった記憶がね。ソニアスはどうだ?」

「わ、私も日本人でした。他に転生者がいるなんて思いませんでした。ラベラント様にも前世の記憶があるなんて」


 今まで全く気づかなかった、そんな素振りなんてなかったし。まあ、俺だって秘密にしてたけど。

「そうだね、私も驚いているよ。やはりソニアスも転生者だったんだね。ああ、もうこれは確定かもしれない」


 全然驚いているようには見えないが、急に項垂れたその様子に嫌な予感がした。

「もっと驚くことを言うけど、私の前の魔導師長も転生者だった。彼の出身国までは聞いていないけれど、その前の魔導師長もそうだったそうだよ」

 四代続けて転生者だと?そんなことあるのか?


「変だよね、私もそう思う」

「いったいどういうことですか」

 ラベラントは冷めた紅茶をひと口飲んだ。

「この初代魔導師長の手記を読んで確信したよ、初代魔導師長は転生者。そしてそれ以降の魔導師長も全員転生者の可能性がある」

「なっ」


「驚くよね、でもそうとしか考えられない。そしてそう考えると、何かの意図を感じないか?」

 ソニアスも喉の渇きを感じ紅茶を飲む。

「最初の頃のことは分かりませんが、魔導師長候補が出るのはドミネス伯爵家とガニュード子爵家の他にありましたっけ」

「私も昔のことはわからない、何故か記録がないからね。でも直近ではうちとそちらだけだと記憶している」


 どちらも古くから魔導師の家系だ、何か思惑があってもおかしくない、だが嫌な予感がする。

「すみません、少し怖くなりました」

 正直に言うと、ラベラント様も困ったような顔になった。


「実は私もだ。だからこの件はジル、宰相に頼ろうと思う、いいかい?」

 意外だ、この方も俺と同じ一匹狼だと思っていたから。

 宰相様か、ラベラント様が信用しているのなら俺に異論はない。

「はい」

「私たちは結界契約の解除方法を探すことに専念しよう。よし、もう一度パラパラとやってみてくれ」


 ラベラント様が明るい空気を出してくれたので、それに乗っかることにした。

「はい、よく見ててくださいね」

 幾度目かのパラパラで、ようやくもしやと思い当たるものを二人とも思い出し、文字ではなくとあるマークだと判明した。


「何とも感慨深いな、こんなところでこれを見るとは」

「ええ、まったく。もしやラベラント様と俺の前世は時代が近いのでしょうか。あれ、でも初代の方ってきっと数百年前の人ですよね、このマーク俺の生きていた時代でもそこまで古くなかったような」

「転生に時代は比例しないのかもしれないね、このマークはデジタルのゼロとイチを組み合わせたとか、インプットアウトプットの頭文字だとか言われていたと思う、私もいつから使われているのかは正確に知らないけれど、近代であるのは違いないだろうね」


 このマークとは、よく電源ボタンに書かれている丸に縦棒が刺さったりんごのようなマークのことだ。

 電源マークか、こんな隠すように記してあるということは、このマークが重要な鍵ということだ。


 手記を見つめたままソニアスもラベラントも黙ってしまった。

 この魔術師塔に住み始めて隅々まで見たが、そんなマーク見た記憶はない。ラベラント様も同じだろう。

 城の敷地まで散歩と称してうろうろしていたけど、何も言わないのはどこにもなかったからではないだろうか。

 意識していなかったから見逃した可能性もあるが。


「俺はこの世界でこのマークを見たことがありません、ラベラント様はどうですか」

 ゆっくり視線をソニアスに向け首を振った。

「とにかく探すしかないね、唯一の手がかりだ」

「はい、俺はこの塔を調べてみます。ひとりの時間はたっぷりあるので」

 そういうと頭を撫でられた。


「お前も、ソファを用意する程いい関係の友人を巻き込めばいい」

「え」

「不穏な陰謀の核心に近づいている気がする。同時に危険も近づくと思った方がいい、ひとりでは危ないよ。私には過保護な宰相様がいる、お前も彼に頼ってみなさい」


 また来ると言って、迎えに来た宰相様と共に帰って行った。

 頼ってみなさい、か。けどあいつを変なことに巻き込みたくないんですよ、俺は。

 ただでさえ護衛という形で学園生活のほとんどの時間を奪ってしまった。これ以上巻き込むのは気が進まない。

 そうして人生ではじめてリンガルの事を考えて夜を過ごした。

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