第7話

「久しいね、ソニアス。元気にしていたかい?」

 ワインが揺らめいたような色の瞳を細め、童顔のその人は少し痩せた体で、でもしっかりと立って現れた。変わらず魔導師のローブを着ているが、上等な生地で銀糸の刺繍が入って前よりも高価なもののようだ。


「ラベラント様!」


 魔導師塔の訪問者を知らせるベルが鳴り、入り口に向かうとそこにいたのは、前魔導師長のラベラントだった。

 この塔を継承してからは会うことができず、様子を聞くこともできなかった。

 思ったより元気そうで安心した。

 家族とは疎遠のソニアスにとってラベラントは師匠であり父親のようなものでもある、とても慕っていたのだ。


「もう体は大丈夫なのですか」

「心配かけたね、このとおりだよ。もっと早く来たかったのに、ちょっと過保護なやつに軟禁されててね」

「私はお前を心配しているだけだ」


 声がしてソニアスはやっと隣に宰相がいることに気付き表情を整えた。

「これは宰相様、気付かず失礼しました」

「久方ぶりだろう、気にするな。私は仕事に戻るが話が終わったら連絡を入れろ、迎えに来る」

 そう言うと宰相は去って行った。


「な、過保護だと思うだろう?」

 ラベラントは顔を歪めながらその背中を見送っているが、その様子は口で言うほど嫌がっていないように見えた。


「ふふ、そうですね。どうぞ、入ってください。お茶を淹れます」

 ソファへ案内すると、ソニアスとソファと交互に見られ驚かれた。

 ソニアスの性格をよく知っているラベラントだからこそ、明らかに誰かが訪ねて来る為の物があるのに驚いたのだ。


「良い関係の者がいるようだね、安心したよ」

 絶対勘違いされたと思ったソニアスは慌てて言い訳をする。

「そんなんじゃないです。あいつが、リンガルがたまに酒を持って来るので仕方なく置いたんですよ」

「そうかそうか」


 軽く流されたが、これ以上言う程のことでもないとお茶の準備をする。

 ニコニコしているラベラントの前に紅茶の入ったカップを置いた。城の厨房から貰った茶葉だ、いい香りが漂う。

「美味しいね、ソニアスはお茶を淹れるのが上手だ」

「茶葉が良いだけですよ、それよりお加減はどうなんですか」


 見た目元気そうではあるが、以前と比べ弱々しく感じる。魔力も薄くしか感じない。

「本当にもう大丈夫だ。まあ、魔力は不安定だから魔法は前のようには使えないけどね」


 ラベラント様は聖女召喚前、まだ俺も弟子だった頃だ。魔王に結界を攻撃された時、結界を強化し王都を守った。

 だが長年魔力を吸い続けられた体が悲鳴をあげ、体内の魔力を維持する核という器官が壊れてしまったのだ。制御を失った魔力に体が耐えられず、寝台から起き上がることができなくなってしまった。


 しばらくはこの塔で養生していたが、いつまでもいられないからとドミネス伯爵家へ帰ることになった。礎になった者がその役割を果たせなくなった時は実家へ帰るのが慣習となっているからだ。

 だが、迎えに来たのは何故か宰相様で、抵抗しながらも両腕に抱えられて連れていかれるのを俺は目の前で見送った。


 ラベラント様と宰相様は旧知の仲らしいが、その時は少し羨ましいと思ったことを覚えている。

 仮に俺がガニュード子爵家へ帰ったとして、どんな扱いを受けるか考えただけでも嫌な気分になる。家族として受け入れられるはずがない。


 恐らくドミネス伯爵家も同じなのではないかと思う。そう聞いたわけではないが、ラベラント様に家族が会いに来たり、手紙が届いたのを見たことがないから。

 だから、今日宰相様が一緒に来ているのを見て良かったと思うと同時に、やっぱり羨ましさを感じてしまった。


「今は宰相様の邸宅で暮らしているのですか?」

「ああ、不本意だけどね。私など放っておけばいいのに変わった奴だ」

 と言いつつ、ラベラント様の顔は嬉しそうだ。良い関係なのだろう。


 宰相ジルヴェスタ様は、早くに奥様を亡くされている。確か子息がひとりいて、今は王都学園で寮生活をしているそうだ。

 大きな屋敷に宰相様ひとりで部屋はたくさん余っているからと連れていかれてそのままらしい。


「俺は安心しました。元気になって本当に嬉しいです」

「そうか、ソニアスは良い子だ」

 ポンと頭に手を置かれ、ぐしゃぐしゃと撫でられた。

「もう、子供じゃないんですから」

「ふふふ、そうだね。では大人の話をしようか」

 ラベラントは穏やかな表情を隠した。


「ラベラント様?」

 静かに懐から古びた書物を取り出し、机の上に置いた。

「ずいぶん古そうですね、これは?」

「第一王子殿下が見つけてくださったそうだ、初代魔導師長の手記だ」

 手に取ろうとして止めた。


「え」


「まずは読んで欲しい。私も目を通したが、ソニアスの意見も聞きたい。明日また来よう、今日は一旦帰るよ。すまないがジルヴェスタに連絡を入れてくれないか」

「わ、わかりました」


 戸惑いながらソニアスが指先に魔力を集めると、ひらひらと羽ばたく黒蝶が現れた。

 それに向かって「宰相様お迎えお願いします」と言うと、ソニアスを一周して窓から出て行った。

 さほど時間を置かず訪問者のベルが鳴る。


「ジルヴェスタだ。ほらな、過保護だろう?」

「確かに、早すぎますね。近くにいたのでしょうか」

 だとしたら少し怖いかも。いや、この手記のせいか?

 そう思いつつ一階に降りると、やはり宰相様だった。


 寄り添われ、手を振りつつ帰っていくラベラントを見送って、自室へ戻った。

「さて、お茶を淹れ直そう」

 わざわざラベラント様が持って来たものだ、ただの手記ではないだろう。緑茶で落ち着いてから手記を読むことにする。


 ソファに座り、温かいお茶をひと口飲んでから手記を開いた。

 それは普通の日記だった、途中までは。


「……どういうことだ」


 日記の中に米、味噌、醤油や出汁が取れそうな食材を探すような内容が書かれていたのだ。

 そして、ソニアス同様に米と緑茶はすぐに手に入れることができたようだ。

 味噌汁が飲みたい、醤油が恋しいなどの後には大豆を探したが見つからないと書いてある。え、この世界には大豆がないのか?

 いやいや、そこじゃない。これを書いた人は日本人、転生者なのか?


 読み進めていくと、魔物が徐々に増えていく様子と、ある日魔物の大群が都に押し寄せ戦っていたが、抵抗虚しく壊滅寸前に追い込まれたこと。一か八か命懸けで結界を張り、安定させるため結界契約を完成させたと書いてある。

 解除方法については書いておらず、それ以降は後悔ばかりだ。


 当代の王に結界を継続することを命じられ、継承していかなければならなくなったことを後悔していたようだ。


(自分だけなら命尽きるまで結界を守ることに誇りさえ感じるが、これを誰かに背負わせるつもりはなかった、結界契約など構築するのではなかった。結界はこれ以上広げられない、外にある村は守れない。それが悔しい。)


 とつらつらと書いてある。

 初代魔導師長は優秀だったのだろう、そして守ろうとしただけ。

 それを国が、王族や貴族が利用した。


(いっそ結界を壊そうかとも思ったが、王都に住む多くの民を守ることを選んでしまった、いつか平和な世が訪れたら結界を壊して欲しい。)


 日記はそれで終わっていた。

 残りのページは白紙のようだ。

 壊して欲しいと書いてあるのに解除方法が書いてない。


「解除方法は無いということか?これが遥か昔でも魔導師が解除方法を作らないなんてことあるのか?」

 礎の継承は契約魔術陣の移行によるものだ。

 誰にも見せたことはないが、俺の背中には魔術陣が刺青のように刻まれている。


 こういったものの場合、解術としてアイテムだったり呪文だったりを設定することが多い。そしてそれは同じ魔術師が作らないと作用しない、だから基本的に同時に作成されるのだが。

 ラベラント様もそう思ってこの塔も隅々まで調べたし、散歩を装って城内も調べていたが手がかりは見つからなかった。


 手に持った手記を見つめ、ため息をついた。

「俺の意見が聞きたいって言ったって、俺が考えることに師匠を超えるものはねえよ」

 机の上にぽんと投げ飛ばすとカチャンと音がした。

「あ、やば」


 雑に投げたせいでお茶のカップに当たり、中身をこぼしてしまった。

「うわ、手記まで濡れてる。乾かさなきゃ」

 慌ててローブの袖で水気を拭き取り、風通しの良い窓際にテーブルを動かし、しばらく置いておくことにした。


 まだ陽の高い日中、窓からはぬるめの風が入ってそよそよと髪を撫でていく。

 空は青く、小さな白い雲が流れている。


「良い天気だな。あいつは魔物討伐中だろうか、こういう時一緒に行けないのが一番もどかしい」

 窓に肘をつき、この空の向こうに思いを馳せた。

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