第5話
魔王が討伐され脅威は去ったが、魔物がいなくなったわけではない。だが、ほとんどが小物で定期的に騎士が巡回すれば問題ない程度まで減っていた。
ある日、平和が訪れたピルスナ国に隣国フレアからの使者が王の書状を携えてやって来た。
フレア国は王都より西のドゥーべ辺境伯領に隣接した国で、ピルスナ国とは付かず離れず争い事はないが油断はできないといった微妙な間柄だ。貿易は開かれているので王都の市場でもフレア国の民芸品や農産物を扱う店はあった。
対応したのは王太子である第二王子ヴァイツェン、アズレイトと同じ金髪で瞳は青碧色のやはり美形だ。
フレア国王からの書状は魔物討伐の支援依頼だった。
とにかく数が多く自国の騎士団だけではいつまでかかるかわからないから手伝って欲しいとのことだ。
統率する魔王がいなくなったことで魔物達が隣国へ流れた可能性もあり、引き受けることとなった。もちろんこれを機に関係を友好にしたいとの思惑もある。
「使者殿、討伐支援は引き受けよう。討伐隊が整い次第フレア国に向かうこととする。そのように伝えて欲しい」
「は、感謝いたします。では私は先に戻り皆様を受け入れる準備をいたします」
「よろしく頼む」
使者は喜色を浮かべ早々に立ち去った。
「ということだリンガル、私が行く。人選と準備を頼む」
振り返り背後に立つリンガルに指示を出す。
「は、承知しました。ところで聖女殿は同行されるのですか?」
「いや、彼女は……」
言い淀んだ王太子を遮り聖女本人が行くと宣言した。どうやら王太子は連れて行きたくないようだ。
「リナ、きっと君が出るほどじゃない。隣国とはそこまで友好な関係ではないし、何があるかわからないんだ」
説得を試みるが、聖女も口では負けない。
「王太子である殿下も同じですし、殿下が戦うのであれば隣で戦うのは私です。そう約束したはずですよ」
一歩も引きそうにない様子に王太子の方が折れるしかなかった。
ソニアスは魔導師塔の自室で執務机に突っ伏して頭を抱えていた。
アズレイト殿下にプロポーズされた。
すぐ断ろうとしたのに考えて欲しいと言われ、きっぱり言えなかった。
それに、結界契約の解除方法を探すなんて本気だろうか。王を説得するとも言っていたが、許されるのだろうか。
もし、本当に自由を得たら俺はどうするんだろう、殿下のプロポーズを受け入れるのか?
ふと、ソファが目に入る。
先日、リンガルと酒を飲んだ。途中で俺は酔っ払って寝てしまい、起きた時にはちゃんと寝台に入っていて、あいつはもういなかった。
殿下はリンガルも俺の事が好きなんじゃないかと言っていたが、そうなら無防備な俺がいて何もしないなんてあるだろうか。服を乱された跡すらなかった。
まあ、記憶はないんだが。
それにしても誰もが振り返る美貌の俺が寝ているのに何もしないなんて。
と考えてはっとする。これでは残念がってるみたいじゃないか。
あいつはそんなんじゃない、いつもひとりだった俺にとっては家族のような存在だ。
俺は生まれた時から魔導師長候補とされた。
生まれたばかりの赤ん坊がどうしてそうなったかはわからない、魔力が多かったからと教えられただけだ。
与えられた部屋は離れにあり、手伝いの者が出入りするだけで、物心ついた時にはもうひとりだった。
父は魔導師長になることだけを考えろと言ったきり会うことは無く、母は時々会いに来て体調を聞いてきたが、いつもどこか戸惑うような顔をしていた。
十三歳で全寮制の王都学園に入学し寮生活を始めてからは会うこともなくなり、手紙を送っても返事はついぞ届かなかった。
何故と、泣いたこともあった。クラスメイトに手紙や誕生日プレゼントが届く度、どうして自分には何も届かないのか、誕生日を祝って貰った記憶がないのかわからなかった。
粗末に扱われてはいない、衣食住は保証され、教師がつけられ貴族として必要なものは学ぶことができた。ただ、俺に無関心だった。
どうしようもない寂しさを抱えて寮を抜け出し、子爵邸の前まで行ったこともあったっけ、門が開くことは無かったけれど。
当時の俺は捻くれ者で、魔導師塔へ通ってもいたから友人が出来るわけもなく、遠巻きにされやっぱりひとりだった。
「リンガル・ノルヴァインだ、ソニアスは俺が一生守ってやる」
ひとつ年下の侯爵子息は、入学前に初めて会った時そう言った。
まるでプロポーズのように。
友人兼護衛だなんて最初は煩わしく思っていたのに、リンガルだけが離れていかないことにいつしか安心感を覚えていた。
きっとその宣言は忘れているだろうけど、その通りずっと守ってくれている、今も。
上級生に呼ばれ女みたいだと揶揄われ服を脱がされそうになった時も、教師に用具倉庫に連れ込まれた時も、魔導師塔に向かう途中で変な貴族に攫われそうになった時も他にも何度も助けてくれた。
魔術がある程度使えるようになってからは自分で対応できたが、魔導師長になるまではリンガルの侯爵子息という身分にも助けられた。
護衛を解消した今でも何かと気にかけてくれて先日のように手土産を持って会いに来てくれる。あいつも忙しいだろうに。
リンガルに殿下からプロポーズされたと言ったらどんな反応するのだろうか。
これでようやく肩の荷が降りたって言われたらどうしよう、今度こそ離れて行ってしまう。
ああ、俺は何を考えているんだ。まずはアズレイト殿下の件を考えないと。
執務机からなかなか頭を上げられずにいると、塔に訪問者を知らせるベルが鳴った。
魔導師塔の入り口にはベルが置いてあり、訪問者にはそれを鳴らしてもらっている。
大声で直接話しかけるのはあの男くらいだ。
魔術陣を踏んで一階まで降り、扉を開けると城の厨房係だった。
「魔導師長様たびたびで申し訳ありません、米を分けていただけないでしょうか。あの、もし炊飯できているものがあればそちらがいいのですが」
ビクビクしながら言っている彼はまだ十代半ばに見える、最近奉公に入ったのかもしれない。
「もしかして、王太子殿下か聖女殿が所望されてるのかな」
米を食べたがるのは日本人である聖女だ、時々こうやって厨房の者が貰いにくる。
「はっ、はい。その通りです。おにぎりという料理を作られるそうです」
おにぎりか、誰かの口からその言葉を聞くとは、懐かしい響きだ。
「ちょうど炊飯して保存しているのがある、待っていなさい」
「はいっ、ありがとうございます」
若者は勢いよく直角のお辞儀をした。
料理場に行き保存魔法の魔術陣が描かれた棚からご飯が入った器を取り出すと、少し考え別の棚から茶っぱの入った筒も手に取ってから一階に戻った。
「はい、これだけあれば足りるだろう。それとこっちはお茶だ、これはこのまま聖女殿に渡してくれ」
これは彼女の方が美味しい飲み方を知っていそうだ。
「はい、ありがとうございました」
また直角のお辞儀をして戻って行った。
そんなことがあった翌日、王太子殿下から呼び出しを受けた。
通されたのは応接の間で、既に王太子殿下と聖女リナが待っていた。
黒髪で、平たい顔の造形は日本人で間違いない。少し幼く見えるが、中身は結構しっかり自立した女性である。
「ソニアスさん、急にお呼びしてすみません」
リナがソファから立ち上がってお辞儀をした。
用事があるのは聖女だったか。
王太子殿下に簡易の挨拶をしてから聖女に話しかけた。
「いや、大丈夫だ。リナ、久し振りだな元気か」
以前魔法指導をしたのが俺だったので、彼女には自然と口調が砕けてしまった。
「ああいや、王太子妃になられるのですね。今後は気をつけます。この度はご婚約おめでとうございます」
言い直すと、今度はリナの方が慌てた。
「ありがとうございます。というかソニアスさん。普通にしてください、その方が私も気が楽です」
「しかし」
チラリと王太子を見やると頷いている。
金髪に冷ややかな青碧色の瞳の王子は、一見冷たそうに見えるが第一王子とはまた違う爽やかな雰囲気の好青年である。細身だがそこそこ鍛えているのは衣服を着ていてもわかる。
「ソニアス、ここには私たちだけだ。普段通りで構わない」
まあ、王太子殿下がいいというなら。
リナが座ってからソニアスも向かい合うソファに腰を落とした。
「では、お言葉に甘えまして。で、リナ。何か用があるのか?」
ホッとした顔を見せた後、そうだったと手に持った筒を見せてきた。見覚えのある筒だ。
「こ、これ!緑茶ですよね」
やはりそれか。
「口に合ったか?」
「はい、美味しかったです。故郷のお茶と同じでとても懐かしくて、嬉しくて。あの、これをどこで手に入れたのでしょうか。今日はそれをお聞きしたかったんです。誰に聞いても緑色の茶葉を見たことがないって言われて」
「だろうな、それは俺が作った。欲しいならまた渡そう」
「えっ、ソニアスさんが作ったんですか?緑茶のこと知ってたんですか」
俺が転生者で同じ日本人だったって言うべきか、いや、王太子殿下もいるし面倒事になるのはごめんだ、誤魔化そう。
「いや、俺の仕事は研究でもある。故郷のものと同じだったのか、それはたまたま出来た茶だ。美味しかったのならよかった」
期待はずれだったのかリナは肩を落としていた。
「米を食べるならこの緑茶が合うと思ったんだが、余計なことをしたか」
ブンブンと首を横に振り、そんなことはないと言った。
「お米もソニアスさんから譲ってもらったと聞きました。ありがとうございます」
「ああ、米も定期的に購入しているから必要な時は言ってくれ」
そういうと、リナは訝しげにこちらをじっと見つめ首を傾げた。
「どうしたんだい、リナ」
「あ、いえ殿下、何でもありません。今日はお時間を取っていただいてありがとうございます。ソニアスさん、また何かお礼をさせてもらいますね」
朗らかな笑顔を浮かべる様子に、胸を撫で下ろした。それなりに今は幸せのようだ。
「気を使うな。召喚と魔王討伐の代償に何でもすると誓った、それは今でも同じだ。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「ソニアスさん……。確かに最初は何で私がって思っていました、けど今はこの世界に来て良かったと思ってるんです。それに討伐も私の意志です」
「リナは何も気にすることはない、これは俺の矜持の問題なんだ」
俺の自己満足だろうけど、何かせずにいられないんだ。
リナは眉尻を下げ、王太子殿下に視線を向けた。それを受け、頷いて口を開いた。
「ソニアス、お前が責を負う必要はない、命を下したのは王だ。むしろ責任は王にある、王太子たる私も然り。その誓いは私が引き継ぐよ」
「殿下、それは」
「言い方を変えよう、他の男がリナの願いを叶えるのは許さない。それは私の特権だからね」
存外に独占欲強めだな。
ただ、それを言われると俺の意思をゴリ押しはできない。だが、罪を償わないと俺自身が納得できない。
それを伝えると、王太子殿下も唸った。
すると、横でリナがパンと手を打った。
「ひとつ提案が、お米とお茶を無期限で提供とかどうですか?もちろん可能な範囲で」
「食べ物か、いいね。それなら許せる、米は城に常時あるものでもないからね」
「はい、それに緑茶も他では手に入りませんし。少しでいいので、欲しい時に分けてもらいたいです」
それは償いとは言わないのでは、それでいいのだろうか。
「私から見たらソニアスさんも巻き込まれただけのように思います。けれど、何かしないと気が済まないというなら、私の故郷と同じ食べ物が欲しいです」
「という訳だ。リナの願いを叶えてくれるね」
何でもすると誓ったのはそういう事ではなかったが。もちろん米と茶くらいなら何でもない。毎月の給金を城から出られない俺は使う場があまりない。蓄えはかなりある、一生分の米くらいは余裕だ。
「しかし、いえ、承知した。珍しい食材が手に入ればそれも付けよう」
今は頷いておいて、本人が気にしないよう陰から見守り続けるとするか。
「やった!あ、そういえば私たちしばらく留守にするので、戻ってきたらまたお米くださいね」
二人で留守にするのか、王太子殿下の方を見ると説明してくれる。
「ああ、フレア国から魔物討伐の支援要請があってね。討伐隊が編成されたらすぐ出発する予定だ」
魔物討伐、まだそんなものが必要なんだな。
あいつも行くのだろうか。
「騎士団長は……、いえ何でも」
「リンガルか、一緒に行ってもらう予定だがどうかしたかい?」
「いえ、何でもありません。お二人ともどうぞお気をつけて」
「リナもういいかい、そろそろ行かなくては」
次の予定があると二人は応接の間から出て行った。
食べ物がいいなんて、気を使わせてしまった。早く他の食材を見つけて渡してあげれればいいが。
この後、隊舎にリンガルを訪ねたかったが、討伐隊を組むとなれば忙しいはず、仕方ない塔に帰るか。
背伸びをしてから応接の間を後にした。
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