第3話

 気付いた時にはソニアスは寝息を立てていた。長い付き合いだが、こんなに酔っ払う姿を見せたのは初めてだ。

 そういえば、いつもならチビチビと時間をかけて飲むのに今日はやけに早かったな。


 誘惑に抗えず好きにさせてしまったが、密着して全体重をかけられたこの状態は、少しまずい。いけない欲望が湧き上がりそうになるのを堪える。

 名残惜しいが、寝台で寝かせてやるか。


 起こさないように、そっと横抱きに抱え直して立ち上がると、隣の寝室へ向かう。

 相変わらず軽い、ちゃんとメシ食ってるのか?

 ローブでは気づかなかったが、抱えると肉付きが悪いのがわかる。また何か持って来てやるか。


 寝室は寝台と収納棚が一つ入るくらいのこじんまりした部屋だ。

 ゆっくり寝台に寝かせ、布団を被せる。

「俺が無事に戻って嬉しくなったのか?」

 だったら望みはあるのだろうか。


 魔王討伐が終わったら、次期侯爵としての責務を果たさなくてはならなくなる。

 騎士団を辞めるよう父からも言われている、相応しい伴侶を娶り、後継を作れと。

 だが、俺が伴侶にしたいのはソニアスだけだ、騎士団も辞めるつもりはない。それに結界から解放する事も出来ていない、俺にはまだやる事がある。


 ソニアスの気持ちが俺に向いてないのなら、騎士として見守るつもりだった。

 幸いなことに俺には優秀な弟が一人いる、あいつなら立派な当主になるだろう。

 家督は弟に譲る、魔王討伐に行く前から考えていた事だ。もし廃嫡されても騎士団長としての地位は守られるはずだ、実力主義だからな、それだけの功績は残した。


 ソニアスはそんなリンガルの苦悩など知らずにすやすやと眠っている。ひとつ上の二十七歳のはずだが、口元をムニムニさせている様は少し幼く見える。

 その可愛い様子をいつまでも眺めていたいが、御せずに反応してしまった己の中心をどうにかしなければならない。


「くそっ」

 ここが自分の居室なら、この綺麗な顔をおかずに処理していたかもしれない。しかし魔導師塔でそんな蛮行を犯す気にはなれず、先程まで座っていたソファへ戻り、自然に鎮まるのを待つことにした。


 翌朝、ソニアスが目覚めるのを待たずに塔を出て、ノルヴァイン侯爵邸へ向かった。

 



 ピルスナ国の王都アルナイル、その中心部に王城がある。

 石造りではあるが綺麗に研磨されどこもかしこもピカピカしており、所々に植物や動物の模様が彫り込まれて美しい印象の城だ。

 現在、王と王妃、王子二人が住んでおり、王子二人はまだ独身である。


 先日、第二王子のヴァイツェン殿下が聖女との婚約を発表した。

 第一王子は婚約もしておらず、そのお相手が誰になるのか注目されているが、意中の相手は魔導師長ソニアスなのではと噂されている。


 金髪碧眼のいかにも王子様という風貌の第一王子のアズレイト殿下、彼はよくソニアスをお茶に誘い、二人きりで逢瀬を楽しんでいるという噂が貴族の令嬢達に広まっていた。しかも男であるにもかかわらず好意的にだ。


 なにせ第一王子は王位継承権を放棄している。

 理由については開示されていないが、それがソニアスの為なのではと、ラブロマンスとして令嬢達の間で語られ、静かに見守る協定が結ばれているとかいないとか。

 実際、ソニアスは頻繁にお茶に誘われている、応じるのは三回に一回程度だが。


「やあ、ソニアス。今日も麗しいね、君が気に入りそうなものが手に入ったんだ、お茶でもどうかな」

 やや能天気な口調で誘ってきたのは噂の第一王子アズレイト殿下だ。白と水色をバランスよく配色した衣装を纏った姿が視界に入った。


 俺より年下で悪いお方ではないと思うが、何を考えているかわからない胡散臭いところがある。

 回廊を歩いていたソニアスを見つけ声を掛けてきたようだが、毎回このような感じで現れる。一体どうやって俺の居場所を見つけるのだろうか、偶然にしては頻度が多すぎる。


 こんな所で声を掛けてくるから噂が広まるんだ。まったく、やめてもらいたい。

「アズレイト殿下、ご機嫌麗しく」

 ソニアスは軽く頭を下げ挨拶をした。


「ソニアス、私達の間でそんな硬い挨拶は無しにしてくれと言っただろう?」

 俺も貴族の端くれ、王族への態度は弁えている。

「殿下に対し不敬な態度をとると、ガニュード家から身の程をわきまえろと叱責を受けてしまいます、お許しを」


 魔導師長になってから実家のガニュード家に干渉された事は無い、両親も兄弟も音沙汰無しだ、俺の役目は魔導師長になる事だけだったのだろう、だから叱責を受けるというのは嘘だ。


「そうか、仕方ない、先の楽しみとしてとっておこう。それより、豆を探していなかったか?」

 豆?、……まさか。


「殿下、それは大豆ですか?」

「はて、そんな名前だったかな。ともかくソニアスが言っていた特徴に似た豆があるんだが、一緒にティータイムでもどうかな」


 これなのだ、俺がお茶の招待に応じる理由は。こうやって俺が探している食材を見つけたと言われたら、気になって付いて行くしかない。ただ違う食材だった場合が多いのだが。


 探している食材とは、前世での食べ物のことで、同じものがないか城で色々な人に聞いているのをアズレイト殿下が聞きつけて探してくれているらしい。

「わかりました、ご一緒いたします」

 前回はお断りしたし、大豆は気になる。


 俺は前世でも料理はあまり得意ではなかったようで、加工品の知識もあまりないが、試行錯誤することは苦にならない。お米は城でもリゾットとして出る、紅茶も飲まれているので、加工過程を変えることで何とか緑茶を作ることができた。小麦粉はあるし野菜も同じようなものがあったので、前世と同じ食べ物を探すのが面白くなってしまったのだ。

 俺の唯一の趣味かもしれない。


「よかった、では行こう」

 案内されたのは中庭にある四阿あずまやで、レースで飾られたテーブルには、ひとくちサイズの菓子や軽食が並んでいた。


 侍女などの使用人の姿はなく、王子が紅茶のポットを手に取ったので、ソニアスはそれを奪って二人分のカップに注いだ。

 王子に給仕させたなど誰かに見られたら何を言われるかわからないからな。


「うん、ソニアスの入れてくれたお茶は格別美味しいね」

「私はカップに注いだだけです、美味しいのはそれを用意してくれたどなたかが上手なのでしょう」

 何か狙いがあるのか疑いたくなる状況だが、今は乗らないのが無難だろう。


 ひと口飲むと、紅茶の爽やかで繊細な渋みが広がり、香りが心地よく鼻に抜けた。

 さすが王族御用達の茶葉は美味しい。

「つれないね、私の関心はこんなに君に向いているというのに」

「お戯れを」


 何を言っているんだ、と思いながら笑顔で返す。からかうような言葉が返ってくると思っていたら、殿下の顔が真剣な表情に変わった。


「本気だよ、私は」


 真面目な声で返され戸惑う。何かと構ってくるのはいつものことだが、今日は何やら少し違う。


「殿下、軽々しくそういうことは」

「ソニアス、弟が婚約したんだ」

 唐突にアズレイト殿下が遮った。


「は、ええ、存じてます。誠におめでとうございます」

「そうなんだ、めでたいんだよ。これで不安定だったヴァイツェンの王太子としての立場が盤石になった。聖女が王太子妃、いずれは王妃になるんだ、誰も文句はないよね」


「殿下?」

「ふふ、つまり私は晴れて自由ということだよ、ソニアス」

 アズレイト殿下は王位継承権を放棄したが、第一王子派の貴族がいなくなったわけではなく、復権を望んでいる者もいる。


 過激な貴族はいないので第二王子に何かするということは無かったが、その恐れもあったのは事実だ。

 誰も文句が言えない伴侶をめとれば安心というのは早計のような気もするが、手を出しにくいのも事実。

 だが、第一王子派の貴族達がそれで諦めるのだろうか。


「人払いまでなさった本題はそちらですか」

「そうだね。ソニアスは、私が王位継承権を放棄した理由を知っているか?」

「いえ、知りません。それに聞きたくありません」


 誰もが知らない事だ、そんなもの知りたくも無い、面倒なだけだ。

「そういうとこ、はっきりしてるよねソニアスは。だけど今日は逃がさないよ。私はね、子孫を残せないんだ」


「え」

 思わず反応してしまったが、これ以上は聞きたくない。聞いてはいけないと第六感が言っている。やはり来るのでは無かった、内容が重すぎる。


 色とりどりの花に囲まれ、優しい風に乗って瑞々しい香りが漂う、時折鳥のさえずりが聞こえるようなのどかな雰囲気には場違いな話題だ。

 席を立とうとしたが、アズレイトに手を掴まれ阻まれた。

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