第2話
先に最上階の部屋に戻ったリンガルは、部屋に入るなり口元を右手で覆って立ち止まった。
「耳が真っ赤だった。皿を持ったまま皿を探すとか、照れ隠しが可愛いじゃねぇか」
顔こそ見えなかったが、隠せていない耳が赤く染まっていたのだ。きっと本人は気付いていない。
咄嗟の事とはいえ、抱き締めてしまった華奢な身体を思い出し、リンガルも顔を赤らめた。
出会ったのは子供の頃で、魔導師長候補の学友兼護衛として会いに行ったのが最初だった。
さらさらとした肩にかかる銀髪と、宝石のような濃い紫の大きな瞳、頬から顎まで緩やかな丸みがあり、ふっくらとした唇は紅をさしたようにほのかに色付いていた。
妖精のような可憐な姿に恋に落ち、この子は命をかけても守ると誓った瞬間だった。
しばらくの間、性別を間違えていた事は許してほしい、あれは間違えても仕方ないだろう。
その後ソニアスはより美しく成長し、男も女も関係なく惹きつけた。何度振り払ったことか、今でも秋波を送る輩が後を絶たない。
その筆頭は第一王子だ、ソニアスは茶飲み友達だと言っているが、どうだか。
「はあ、俺のもんにしてぇ」
この国は、同性でも婚姻可能だが、俺は侯爵家の嫡男、跡継ぎである俺は男を娶る事を許されてはいない。
この気持ちは諦めるべきものだ。
だが、ソニアスは何でもひとりで抱え込んで周りに頼らないし、自分を後回しにする癖がある。笑顔が上手いやつだから周りも困ってるなんて気付かない。そんなソニアスを俺は守ってやりたい。
他人と同じ人生は歩めないからと、ソニアスはひとりになりたがるが、俺は離れるつもりはない。魔王討伐が終わった今、そろそろ決断する時かもしれない。
「うわっ、ぶ」
部屋に入った途端、大きな壁が目の前に迫り、止まりきれず顔面から衝突した。弾力のあるそれから、覚えのある花と柑橘系の匂いがして、それがリンガルの背中だと気付いた。
「何でこんなところで突っ立ってるんだ、邪魔だろう」
「あ、すまん」
鼻を押さえながら見上げると、肩越しに振り返ったリンガルの頬がうっすら赤くなっているのが目に入った。
「ん、何か赤いな。体調でも悪いのか」
「いや、大丈夫だ。気にするな」
「そうか、それなら良いんだ。待たせたな、串焼き」
リンガルの様子に違和感を感じたが、まあ本人がいいと言うならそれ以上踏み込まないのがいいだろう。
ソニアスは串焼きが置いてあるテーブルに向かう。
「おいおい、俺より串焼きかよ」
「当たり前だ。ああ、やっぱりいい匂い」
串焼きを皿に取り出すとタレの匂いが広がり食欲をそそる。
くんくん嗅いでいるとリンガルが呆れた顔をした。
「まったく、マナーはどうした。その容姿で平民のような仕草は違和感しかないな」
服装こそ魔導師のローブだが、その美貌は貴族らしい品を備えている。
しかし皿を両手で掲げ鼻を近づけている姿は真に残念である。
「リンガル、それはそのままお返しするよ。侯爵子息様、先ほどからお言葉が市井の者のようですよ」
「親しみやすいだろう?」
リンガルは肩をすくめおどけたようなポーズを取った。
プッと、どちらともなく吹き出し、笑い合う。
「早く座れ、飲もう」
この塔はひとりで生活する為のものなので、基本的に殺風景だ。もちろん希望すれば華美な装飾や家具を置くこともできるが、ソニアスは必要ないと最低限のもので揃えた。
この部屋も床には
ローテーブルを挟むように一人掛けのソファが向かい合って置いてある、片方に座ったソニアスはリンガルをもう片方に座らせるとカップに手土産のワインを注いだ。
「じゃあ、魔王討伐完了に乾杯」
「乾杯」
コツンとカップ同士を当てて、一杯目を飲み干し、カップをテーブルに戻すと、ソニアスは瞳を輝かせた。
「美味しいっ」
「ああ、うまい。王族用を拝借して正解だったな」
「お前、王族のを盗んできたのか!」
「盗んじゃいねえ、舞踏会に出されていたのを貰ってきただけだ」
どうやら舞踏会に顔を出して、酒だけ取って来たらしい。
さすがのソニアスもそんな真似はした事がない、いつの間にこの男はそんな強かさを手に入れたのか、昔はもっと真面目だった気がする。
「もう開けてしまったし、まあいいか。見つかったらお前が処罰を受けろよ」
そう言いつつソニアスの手は空になった二つのカップに二杯目を注いでいた。
「ああ、だが今まで見つかった事はないぞ」
自信満々な返事に呆れつつ二杯目も飲み干す。
二人とも手が汚れるのも構わず、串焼きに手を伸ばしかぶりつき、他愛もない会話を楽しんだ。
三杯目、四杯目と酒も進み、ソニアスが秘蔵の蒸留酒を出してきたところで、急にリンガルの服装が気になりだした。決して酒に弱いわけではなかったが、酒が進み過ぎたようだ。
ソニアスは地味な紺色のローブを着ているが、リンガルは格式のある白い騎士服をかっちり着込んだままなのだ。
「しろ」
「何だ?しろ?」
「白は危険だ、脱げ」
「は?」
タレに白い服は危険だろう!絶対汚す、シミになったらどうするんだ!前世でもシロTの時に限ってカレーうどん食べたくなって気付いたら胸元にカレー染みが数箇所付いている、なんて事があった。そして落ちない!
リンガルはお坊ちゃん育ちで洗濯のことなんか考えたりしないだろ、でも俺は気になる。
よし、脱がそう。
立ち上がるとリンガルの長い足の前に移動する。
「おい、ニア酔ってるのか」
大人になってから呼ばせなくなっていた愛称で呼ばれたが、自分の世界に入っているソニアスの耳には届かない。
燕尾服に似たダブルボタンの騎士服の上着を脱がそうとボタンに手を伸ばし、外していく。
酔っ払っているので指が上手く動かずもたつくが、リンガルは止めようともしない。
がっしりとした太腿に跨がり、アルコールで潤んだ瞳で夢中でボタンを外そうとする美貌の魔術師は、その色気で目の前の男を無力にしていた。
太腿に乗せられた小さな尻の感触と跨がっているせいで膝までめくれたローブ、腰まで伸びた銀髪が揺れるたび香る甘い匂い、細く長い白い指で自分の服を脱がそうと夢中になっている好いている相手という状況で、理性がまともに働く男がいるだろうか。
否、この後どうなるのか期待が膨らむだろう。
リンガルの喉仏が上下に一度大きく動いた。
最後のボタンを外すと、ソニアスは満足そうにニッと笑うと脱がしていく。
リンガルも抵抗しなかったし、脱がされた上着を床に落とされても文句も言わない。
酔っ払いは床の汚れまでは気にしない。
よし、これでもう大丈夫。タレで汚れても下に着ているのは黒色で、もみ洗いもできるものだ。
ポンポンとそれを叩くと、手のひらで触れたそこが温かくて、ちょっと離れがたくなったソニアスは、インナー越しでもわかる隆々とした胸筋に顔を押し付けた。
「お、おい。ニア、何やってるんだ」
焦ったのはリンガルだ。こんなに密着されるとあらぬ所が反応しそうになる。
「さすがにこれは。ニア、少し離れろ。どうした気分でも悪いのか」
細い肩を押しやろうとした時、ソニアスがポツリと呟いた。
「……動いてる」
顔を押し付けたら、トクトクと鼓動を感じ、向きを変え今度は耳を押し付けたらドクンドクンと音がはっきり聞こえ、ソニアスは嬉しくなった。
「うん?どうした」
「心臓が動いてる」
「おう、そりゃ生きてるからな」
そう、生きてる。無事に帰ってきてくれた、それが嬉しくてたまらない。リンガルが強いことは知っている、相手が剣ならば負けることはない。けれど魔法を使われたら、と不安だった。
リンガルは魔力はそう多くないし使える魔法も限られているのだ。
「ん、生きてる。よかった、ぶじで」
両腕を背中にまわし、ギュッとしがみつくと、その温かさに安心してくる。
「ッ……」
リンガルはハッと目を瞠り、天を仰いで何か考えるかのように瞼を閉じた。そして、そっと腕をまわし優しく抱きしめていい匂いのつむじに鼻を埋めて囁いた。
「俺はお前が無事でよかったよ」
討伐隊が出発する前、魔王が結界を破り城に現れた。その衝撃でソニアスは一度倒れている。結界が攻撃されれば繋がっているソニアスも打撃を受ける、しかし余程の事でない限り死ぬことはない。
休めば治ると伝えていたのに、リンガルは何度も見舞いに来ていた。思ったより心配をかけていたようだ。ごめん、と言いたいが眠気で言葉にすることができなかった。
返事は期待していないのか、リンガルは続けて呟いた。
「俺が鍛えた騎士団は強くなったぞ、結界がなくてもいいくらいにな。俺が、必ず自由にしてやる」
結界などに頼らなくてもいいくらいに騎士団を鍛えてやる。以前からリンガルの口癖だった。
そうか、強くなったのか、けど俺の事は気にしなくていい、自分のこれからの幸せを考えろ……。
それも言えないまま眠気に勝てず意識は落ちていった。
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