塔の魔導師と騎士団長の恋が実るまで

温井 床

第1話

 星が瞬き、昼間とは違う冷えた風が肩から流れる銀髪を揺らす。

 年間を通して気温の高低差が少ないこのピルスナ国でも季節はある。

 今は暑い時期から緩やかに寒い季節へ向かう途中で、夜風が肌寒く感じるようになってきていた。

 

 いつもなら城壁の外側は暗闇に包まれる頃だが今日は違うようだ。

 遠目にもあちらこちらに灯りが見え、人々が行き交い笑い合っているのがわかる。

 街の喧騒けんそうがこんな所にも聞こえてくるなんて。

 

 魔導師長ソニアス・ガニュードは窓辺にもたれ掛かり、右肘をついて手の甲で顎を支えながらぼんやり呟いた。


 今朝、聖女と第二王子殿下が魔王を討伐して騎士団と共に帰城した。

 それを祝い王都中が酒を交わし盛り上がっている。それが城壁内の隅に石造りで建てられた魔導師塔のここ、最上階まで聞こえてきていた。

 

 俺が召喚し、異世界からやってきた聖女。

 あの時現れた黒髪の少女を見て、知らないはずなのに日本人だと思った。

 それをきっかけに突然前世、こことは違う世界の日本人だった記憶を思い出した。

 

 前世の俺はどこにでもいるような普通の会社員で、淡々と生きていた気がする。

 ソニアスとして生きてきた記憶が主軸で、前世の記憶はどこか他人事のように感じたが、やはりそれまでの自分とは変わってしまった。

 以前ならこの国を救うにはやむを得ない事なんだと思っていたのに、本人の承諾もなく無理矢理召喚してしまったと罪悪感でたまらなくなってしまったのだ。

 

 だが、召喚前に前世を思い出していても、きっと俺はやっただろうと思う。

 あの時の俺にはその方法しかないと思っていたから。

 だから償いに彼女の為なら何でもするつもりだ。

 その覚悟を伝え示したが、聖女の資質なのか、彼女は戸惑いながらも責める事もなく、この世界の事情を受け止めてくれた。

 

 その聖女が、魔王討伐から無事に帰ってきて良かったと思うものの、ソニアスの気分が晴れる事はなかった。

 元の世界に返す為の術が存在せず、帰してあげられない。今も研究を続けているが完成に至っていないのだ。

 だが彼女と第二王子が良い雰囲気だと聞いている、幸せになってくれるなら、それが良い。

 

 ふと、魔王討伐に同行して行ったある男の顔を思い出した。

 あいつは怪我などしてないだろうか、帰城したと知らせはあったが、まだ会えていない。

 今日は祝賀を兼ねた舞踏会が開かれる、会えるのは明日になるだろうか。

 などと考えていたら、当の本人が酒瓶を右手に高く掲げ塔の前に現れた。


「入れてくれー、お前の好きな酒を持ってきたぞ」

 城壁を越える高さの最上階まで届く大声なのに、低く艶のある声色に耳が喜んでしまう。

 が、素直になれるわけもなく。


「リンガル騎士団長殿、今宵は舞踏会に行かれるのでは?」

 ソニアスはそこまで大声を出せないので、言葉を魔力に乗せて彼に届ける。


「ああいうのは性に合わねえんだよ。何だ、お前は行くのか?」

「奇遇だな、俺も性に合わない。ふふ、今開ける、少し待ってくれ」

 この魔導師塔は塔の主が招き入れなければ、外からは入れないようになっている。

 

 窓辺から離れ、床にある転移魔法を仕込んだ小さな魔術陣を踏んで、入り口の扉前に移動した。

 怪我もないようだ、良かった。

 緩みそうになる両頬を両手でパチンと叩き戒めると、深呼吸をして表情を整えてから扉を開ける。

 

 ソニアスより頭ひとつ分背が高く、こげ茶色の髪と凛々しい赤茶色の瞳、鼻筋の通った顔立ちに鍛え上げられた体躯で白い騎士服を纏った騎士団長のリンガル・ノルヴァインが待っていた。

 相変わらず格好良いヤツめ。


「今回の功労者がこんな所にいていいのか、仮にも侯爵子息だろう」

「お前もな、子爵子息殿」

「俺は正式に欠席の許可を貰っている、騎士団長様は出席必須なのでは?」

「堅いこと言うな、主役は第二王子殿下と聖女殿だ、今日婚約の発表もされるそうだ。警備も副団長に任せてあるし、俺は好きにさせて貰う」

 

 そうか、彼女が婚約。幸せになってくれればいいが。

 それにしても騎士団長という立場の者の言い分とは思えない。

「まったく、ほら、入れ。急に来てもつまみなんかないからな」

 

 本当にこの塔には何もない、飲み物と少しの甘味、調理前の食材なら少しあるにはあるが作るのは面倒だ、今からでも城の厨房に貰いに行くか。

「問題ない、ちゃんと持ってきたぞ」

 

 得意げな顔で酒瓶を持っていない方の腕を持ち上げた手には袋が下げられていて、焼いた肉と甘辛いタレの匂いが漂ってきた。果汁と香辛料で作られたそのタレは以前食べたことがあった。


「もしかして、串焼きか。街に行ったのか」

 それは城では決して見る事のない市井の食べ物、獣の肉を串に刺し、炭火で焼いた料理で、ソニアスの目が釘付けになる。


「おう、お前この串焼き好きだろ。どうだ、歓迎したくなったか」

 反応に満足したリンガルはニカッと歯を見せ、貴族らしからぬ表情をした。


 まだ温かそうなそれは、買ってから時間が経っていないはず。この男は滅多に着ない儀礼用の騎士服で街を活歩してきたということだ。

 そんな大事な服のまま出掛けて串焼きを買ってくるとは。さぞご婦人方の視線を集めただろう。困った男だが、自分の好きな物を覚えていてくれたことが嬉しくも思う。


 今日だけじゃない、この男はいつも俺が欲しいと思っているものを持って来てくれる、存外世話焼きな奴だ。

 そんな物無くったっていつでも歓迎するのに、と心で思っても口から出る言葉は違うものだ。


「仕方ない、歓迎してやる。ゆっくりしていってくれ」

 踵を返して扉の内側へ招き入れ、後ろから付いてきているのを確認しつつ魔術陣を踏んだ。

 階段もあるが、最上階との行き来は大変なので魔術陣を使っている。


 二人の姿は一瞬で消えて、最上階のソニアスの私室に現れた。

「うっ、やっぱり慣れねえな」

 転移魔法で最上階の部屋へ移動したが、慣れないと気持ち悪くなる者もいるらしい。

 リンガルも何度かここに来ているはずだが、今でも慣れないようだ。


「まだ慣れないのか」

「肉体派なもんでな、急に景色が変わるのは慣れそうにない」

「ふふっ、そうか」


 いつも勇ましく騎士団を率いている男が弱音を吐く姿は、何だか可愛らしい。

 平和だな、ずっとこんな風に過ごしていけたら、いや、それは願ってはいけない事だ。


「器を持ってくる、適当にくつろいでいてくれ」

 リンガルにそう声を掛け、ひとつ下の階にある簡易料理場に向かった。



 そこは板張りで、かまどがひとつと小さい調理台が木製の棚に囲まれている。壁は石造りのままで一箇所だけ石をひとつ抜いた換気用の穴があった。


 ソニアスは棚から皿を選び手に取ったものの、その場で立ち止まってしまった。


 リンガルはノルヴァイン侯爵家の嫡男で、俺も貴族だが子爵家、本来ならこんな風に対等に話しをするなんてできない身分差があるが、俺の特殊な立場がそれを許していた。


 しかし、いずれは侯爵家を継ぎ、家族を持つだろう。その隣は俺じゃない誰かの為の場所で、頻繁に会う事もなくなる。彼からの来訪がなければ俺たちは会う事もままならないから。


 俺はこの城から出られない。

 魔導師長という役職は、人の上に立つ為のものではない。

 所属は騎士団の中でも魔術師で構成される第三騎士隊となっているが騎士隊長は別にいる。課せられた責務の対価として城の中で困らない立場や権限を与えられたに過ぎない。

 俺の表向きの仕事は魔術の研究で、実際魔術陣の開発や相談を受けたり等を時々しているだけだ。


 実際は人柱のようなものだ。この城を囲む城壁、それと王都の周囲の壁に結界がある、この二重の結界を維持する為に結界契約術というのを初代の魔術師長が組み立て発動させた。契約をすると結界と繋がり、契約中はずっと魔力を提供することになる。

 前世でいうと電池やバッテリーのようなものだ。


 そして城壁からは出られなくなる。城壁の門を抜けようとすると、見えない壁に阻まれてしまうのだ。


 結界契約については秘匿されているため、秘密を守るために騎士団の寮に入れず、王都に家を持てない魔術師長の為にこの魔導師塔が建てられた。


 歴代の魔導師長は契約を引き継ぎ、そうやってこの王都を守ってきた。

 俺たちは、その役割をいしずえと呼んでいる。


 礎の命がなくなれば結界は消え、解放されると聞いているが、王命があるため結界を消すわけにはいかない。だから常に魔導師長候補を立てて育て、繋いできた。

 今のところ死以外の解除方法はわかっていない、魔力が枯渇し回復できない程弱れば交代するだけだ。俺も時がくれば誰かに引き継いでいくのだろう。


 だから、リンガルとこうやって会える時間を大事にしたいと思う。俺はこの塔と共に生きていくしかない。

 棚から皿を手に取ったまま、考え事をしてしまい、待たせてしまったと急ぎ料理場から出ようとしたところで、急に現れた人影に驚き後ろに転んだ。


「うわっ」

 そのまま倒れると思ったら、腰をグッと引き寄せられ顔が上質な生地に押し付けられた。

「驚かせてすまん、遅いと思って見に来たのだが」


 どうやら倒れるところを助けられたようで、気付くと抱き締められるようにリンガルの腕に支えられていた。

 目の前に見える騎士服の滑らかな生地から花と柑橘系の爽やかな香りがする。その下にある逞しい身体に気付き、何故か急に恥ずかしくなり顔が熱くなった。


 きっと顔が赤くなってる。

 慌てて目の前の厚い胸板を押しやって背中を向けた。


「おい、大丈夫か」

 リンガルが顔を覗き込もうと近づいてくるが、顔を見られたくないソニアスは、食器棚に向かう。


「おい?」

「ああ、大丈夫だ。助かった、ありがとう。すぐ行くから先に戻ってくれ、もっと良い皿があったはずなんだ」


 リンガルの身体など見慣れているというのに、何でこんなになるんだ。

 変な態度をとってしまったと思ったが、頬の熱が引くまで時間が欲しかった。

「……わかった。すぐ来いよ、串焼きが冷めちまう」


「ああ」

 離れて行く足音にホッと息を吐いた。

 

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