Intermission
After Hours
「あ? 今から?」
響くんからかかってきた電話に、おっくうそうに応える遊佐くんの声が聞こえてくる。
「まあ、いいけど。じゃあ、あとで」
しょうがないという口調で電話を切る、遊佐くん。
「響くん、何だって?」
キッチンの片付けを終えて、わたしが部屋に戻ると。
「バング&オルフセンが届いたから、見に来いって」
遊佐くんが、ため息をつく。
「バング……? 何? それ」
「雑誌とかで見たことないか? 自動ドアみたいに扉が開くCDプレーヤー」
「あ、あれかあ」
なんとなく、わかったかも。プレーヤーの中に、CDが何枚も収納できたりするんだっけ。
「あれ、買ったんだ? 響くん」
「そう。見せたくてたまらないんだろ? しつこいから、ちょっとだけ、今から……」
気が乗らなそうに、遊佐くんは上着を手に取ったんだけど。
「うん! 行こう、早く」
楽しみになってきた。あれ、前から興味があったんだ。扉が開くところも見てみたいし、ついでに響くんのCD棚のチェックもできちゃう。
「…………」
「ん? どうしたの? 遊佐くん」
気がつくと、遊佐くんが微妙な顔。
「今日は、せっかく、ひさしぶりに……」
「えっ? 何?」
「……何でもない」
どうしてか、機嫌の悪くなった遊佐くんを不思議に思いつつ、ウキウキしながら、わたしは遊佐くんと外へ出た。
「そういえば、一昨日のライブ、どうだった?」
サークルのイベントで、わたしは行けなかったんだよね。
「まあ、いつもどおり」
歩きながら、遊佐くんがタバコに火をつける。
「もっと、くわしく……! 響くんは、何か言ってた?」
ライブの評価は、響くんの意見がいちばん的確だもん。
「べつに、普通だよ」
響くんの家に着くまで、遊佐くんとは、そんな感じで歩いていった。
「やっと来たね。入りなよ」
玄関のチャイムを押すなり、めずらしく浮かれた雰囲気の響くんが、ドアを開けてくれた。
「今、つなぎ終わって、音出したところ」
「へえ。やっぱり、いい? 音」
「最高」
二人の会話を聞きながら、あとをついていく。懐かしいなあ。一回だけ、お邪魔したことがあったよね。あれは、高校二年生のとき。
「どうした?」
「や、ううん」
響くんの部屋に入って、遊佐くんの声で我に返る。
「で、どこ? 響くん」
「どこって、あるじゃん。目の前に」
「ん? これ?」
そこには、一台の新品のプレーヤーが置かれてはいたけど。
「あれじゃないんだ? ほら、ジューク・ボックスみたいに、CDが何枚も入るの」
たしかに、ルックスはおしゃれな感じだけど、ごく普通のプレーヤーだよね?
「バカじゃないの?」
思いきり、響くんに嫌な顔をされた。
「何もわかってないね。あんな、これ見よがしな品のないモデルより、こっちの方がよっぽど……」
「そっか。この普通っぽいのも、バング&オルフセンなんだね」
たしかに、響くんの部屋に合ってて、いい感じだけど。
「類。この女、どうにかしてくれよ」
「えっ? あわわ、ごめん」
相当、響くんの気に障っちゃたみたい。いつもの響くんよりも、言葉が荒いような。
「いいや。勝手についてきた璃子は、いないものとするから。聴き比べるなら、どのへんかな」
「まあ、そう言わないでやれよ」
めずらしく、遊佐くんもわたしをかばってくれてるし。でも、それにしても、男の子って、オーディオっぽい話、好きだよね。さっきから、いろんなCDを聴き比べたりしてるけど、正直、わたしは音質とかには興味が……と、そのとき、ふと目に入ったものが。
「ねえ、響くん」
「何?」
遊佐くんとの話に熱が入っているせいか、イライラした表情で、響くんがこっちを向く。
「このマリメッコのベッド・カバー、色違いもあったんだね。たしか、前に来たときは赤じゃなくて、茶色だったような」
「…………」
あれ? なんだか、気まずい空気。
「あ」
わたし、誤解されるようなことを言っちゃった?
「違うの! わたしは、このベッドで寝たことなんて、一回もないよ? ただ、その机のところで、胸をね。や、響くんは肋骨だったとか言うんだけど、絶対に胸だったはずで……遊佐くん?」
見ると、遊佐くんが頭を抱えてる。わたしってば、さらに墓穴を?
「このバカ女を連れて、即、帰っていいよ。邪魔。いい気分が台無し」
「……ああ。悪い。そうする」
何年かぶりに見た、氷のような響くんの目。
「ご、ご、ごめんなさい。決して、悪気はなかったんだよ」
「なおさら、タチが悪い。一生、会わなくていい」
「響くん……!」
謝罪の言葉も響くんの心には届かず、わたしは遊佐くんに引きずられるようにして、響くんの家を出てきたのだった。
「本当に、おまえは……」
「ごめんなさい。心の底から、反省してます」
遊佐くんにも、ひたすら謝るしかない。
「おまえは、よっぽど、響に胸を触ってもらったことを俺にアピールしたいみたいだな」
「違うよ……! 触られたというか、つかまれたのが骨じゃなくて胸だって、響くんに強調しておきたいだけだもん」
そもそも、わたしがこんなに気にする原因を作ったのは、遊佐くんなのに。
「とにかく、おまえが響大好きなのは、よくわかった。じゃあ、今度は、俺の女遍歴でも全部聞かせてやろうか?」
「や。それだけは、やめて。怖すぎるよ」
あわてて、耳をふさぐ。
「何から何まで、事細かに教えてやる」
「聞かなくていいもん」
なんて、あとの方は半分、じゃれ合っていたんだけど。
「…………?」
気がついたら、遊佐くんの動きが、ぴたっと止まっていた。
「どうしたの? 遊佐くん」
遊佐くんの視線の先をたどったら……亜莉ちゃんだ。向こうから、小さな男の子と歩いてくる。
「亜莉……」
驚きと、ためらいと、懐かしさ。そんなものが全て混じったような表情で、遊佐くんは亜莉ちゃんの名前を口にした。
「類?」
遊佐くんに気づいた亜莉ちゃんは、何の躊躇もなく、うれしそうに笑った。そして、手をつないでいた男の子を抱き上げると、早足でこっちに向かってくる。
「類に会えるなんて、びっくりした。響のところに行くの?」
「いや。今、帰るところ」
べつに、普通に答えてるだけなんだけど。なんだか、いつもの遊佐くんじゃないみたい。
「変わってないね、類」
「おまえも」
さっきから、何気ない会話しか交わしてないのに、菜乃子ちゃんといるときとも違う、一緒にいた時間の長さを思わせる何かを感じる。
「名前は?」
「快いっていう字で、
「へえ。快か」
ごく自然に、遊佐くんが男の子を抱き上げる。
「よかったね、快。本当のパパに抱っこしてもらえて」
「…………!」
い、い、い、今の亜莉ちゃんの言葉は。
「響みたいな冗談、言うなよ」
わたしの心臓がどうにかなりそうになったのを察したのか、遊佐くんが苦笑いしながら、亜莉ちゃんに言う。と、そこで。
「ひさしぶりだね、立原さん」
わたしに向かって、ふわりと微笑んだ亜莉ちゃんは、とても子供を産んだようになんて、見えない。小鳥みたいな体型は、そのままだし。さらに短くなった髪は、本当のフランスの女の子みたいに、よく似合ってる。
「あ、う、うん。ひさしぶり」
どうにか、返事だけする。
「快と二人で来てるのか?」
「ううん。ジャンは今、わたしの家で休んでる」
「へえ」
快くんを下に降ろした遊佐くんは、相づちを打ちながら、ポケットからタバコを取り出した。
「あ。わたしにも」
遊佐くんがライターに手をかけたとき、亜莉ちゃんがいたずらっぽく笑って、ねだるように言う。なんだか、その雰囲気が、長年に渡ってしみついた習慣っぽかった。
「ん」
タバコをくわえた遊佐くんが点火したライターに、当たり前のように顔を近づける、亜莉ちゃん。そのとき、遊佐くんと目が合ったんだけど、わざとらしく、わたしのことは完全無視……! 快くんにタバコの煙はよくないし、快くんの手を引いて、二人から少し離れた。その場で何度もジャンプする、元気な快くん。
「菜乃子ちゃんは、どうしたの?」
「今、加瀬とつき合ってるよ」
「やっぱりなあ。だから、言ったでしょ? 菜乃子ちゃんには、もっとちゃんとした人が合うって」
そこで、笑い合う二人。全く入り込めない。話の内容も微妙すぎるし。
「快くん」
しかたなく、わたしは、放っておかれている快くんと手をつないだりしてみる。
「快くん、何歳?」
しゃがみ込んで、快くんに聞いてみたら、快くんは極上の笑顔で指を二本立ててくれた。
「そっか。可愛いね、快くん。大きくなったら、女の子泣かせちゃうね」
遊佐くんみたいにね、なんて。
……………。
さっきのあれ、冗談だよね? 話題の托卵妻なんて、こんな身近にいるわけないよね。や、でも、どことなく、雰囲気が遊佐くんに似てるような。考えてみたら、ルイとカイって、名前にも共通点がない……?
「ゆ、遊佐くん!」
思わず、振り返って、大きな声を出してしまったんだけど。
「遊佐くん?」
消えちゃった。亜莉ちゃんと、二人で!
「快くん! お母さんとお父さん……じゃなくて、お母さんの昔のお友達、探しにいこう」
急いで、小さな快くんを抱きかかえると、わたしは近所中、必死で走り回った。
「よかったね、快。遊んでもらって」
遊佐くんと公園のベンチに座っていた亜莉ちゃんに声をかけられると、わたしの腕からすり抜け、うれしそうに亜莉ちゃんの方へ歩いていく、快くん。
「よくわかったじゃん」
わたしを見ながら、遊佐くんがおかしそうに笑ってる。
「だ……だって、ずっと探してたんだもん!」
意地悪だ、遊佐くん。
「そろそろ、戻ろうかな」
快くんを抱いたまま、亜莉ちゃんが立ち上がった。
「ああ。またな」
「元気でね。立原さん、類を貸してくれて、ありがとう」
最後に、昔と変わらない微笑を残して、亜莉ちゃんは快くんと逆方向へ帰っていった。
「…………」
なんだか、言葉が出てこない。
「璃子?」
遊佐くんが、わたしの顔をのぞき込む。言葉の代わりに、目から涙が出てくる。
「何だよ?」
遊佐くんの、あわてた声が聞こえる。
「子供の話、まともに取ったんじゃないだろうな?」
「ううん」
一瞬、疑っちゃったけど。
「いや。調子に乗って、やりすぎた俺が悪かった。でも、元はと言えば……」
「違うの。いろいろ、思い出しちゃって。亜莉ちゃんのことが好きだった頃の遊佐くん、けっこう、ひどかったよなあとか」
「あ?」
遊佐くんが眉を寄せた。
「でも、格好よかったなあと思って」
「何だ? それ」
「なんか、その頃のこと、思い出しちゃった」
遊佐くん、覚えてないかな。
「わたしの方に戻ってきてくれたとき、わたしのことが好きすぎて、どうしたらいいかわからないって。そんなふうに言ってくれたの、初めてだったでしょ?」
「忘れた。そんなの」
嫌そうに顔をしかめる、遊佐くん。
「感動したなあ、あのときは。思い出すだけで泣けてきちゃう。もっとも、そのあとすぐ、また亜莉ちゃんに……」
「いや、わかったから。全部、俺が悪かった」
まだまだ、話は尽きないのに。
「どうして? 遊佐くんは悪くないよ? 今、遊佐くんと一緒にいれて、幸せだなあとね、しみじみ……」
「とにかく、帰ろう。黙らせてやる」
強引に、腕を引っ張られていく。
「うん。黙らせて、遊佐くん。もう、どうにでもしていいよ」
「やっぱり、一生離れられない気がする」
「わたしも」
遊佐くんの部屋に戻ると、まずは唇をふさがれて。そして、その続きは、またそのうち ————— 。
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