スキ、キス、スキ
「遅れて、ごめんなさ……」
ライブの準備でバタついてる最中の教室に、一歩足を踏み入れた瞬間。
「ああ、璃子」
「…………!」
ここにいるはずのない人物に声をかけられて、わたしは絶句した。条件反射で外に出て、ドアを閉め直してしまう。
「何だよ?」
遊佐くんが、
「響くんが」
「あ?」
「中に、響くんがいる」
どうしているのか、全くわからないんだけど。遊佐くんの表情も、みるみるうちに曇っていく。
「やっぱり、帰る」
「えっ? やだよ」
と、遊佐くんの腕をつかもうとしたとき。
「準備手伝ってよ、璃子ちゃん」
ドアが開いて、北村くんが顔を出す。
「そうだよね……! ごめん」
「類くんもね。璃子ちゃん、連れ出していった分」
おかしそうに、北村くんは笑ってる。
「……俺、やっぱり、北村嫌い」
「聞こえるよ、遊佐くん」
ふてくされたような遊佐くんに、小さな声で耳元でささやくと。
「俺は大好きだけどね、類くん。なんか、可愛い」
そう笑った北村くんに、なおさら遊佐くんが顔をしかめてるから、わたしも笑ってしまった。
「もう、どうでもいいか」
ため息をついた遊佐くんと教室に入ったら、申し訳ないことに、ほぼセッティングの方は完了してる。
「やっと来た」
机に座っていた響くんが、手招きする。
「なんで、おまえがここにいるんだよ?」
「倉田さんに、駅で偶然会ってさ。今日あたり、面白いものが見れるような気がして」
「へえ。じゃあ、残念だったな。少し、来るのが遅くて」
「そんなことないよ」
ほっとしたようすの遊佐くんに、意味ありげな笑みを浮かべる、響くん。あ、そうだ。美緒ちゃん、どこかな。中を見回してみると。
「璃子! 遊佐くんも」
後ろの方から、美緒ちゃんがわたしたちを呼んだ。思わず、駆け寄っちゃう。
「ありがとう、美緒ちゃん。来てくれて」
「何でもいいけど、すごい顔だね」
近づくなり、まじまじと顔を見られた。たしかに、人相まで変わっちゃってるもんね。と、そこで。
「こんな深海魚みたいな顔の女を前にして、あんなこと、よく言えたよね」
横では、響くんが笑いをこらえてる。
「あ?」
「ちょっと前まで、動画の上映会やってたんだよ。璃子を奪いにきた、類の」
抑えがきかなくなったように笑い出した、響くんに。
「……とっくに、慣れてるんだよ。立原の、この程度の顔」
そんなふうに開き直りながらも、やっぱり、恥ずかしそうにしていた遊佐くんのこと。わたしは、記憶に刻みつけておこうと思う。
「ね、どうだった? 遊佐くん」
北村くんと弓ちゃん、小林くんとの演奏が終わると、教室のいちばん後ろの壁に寄りかかってる遊佐くんのところへ、一直線に聞きにいった。
「パステルズか」
「うん」
ステージの上からは、一年生たちの流行りっぽいバンドの音楽。
「懐かしいな」
「パステルズが?」
「そう」
昔を振り返るように、遊佐くんが視線を上に向ける。
「一年のときの文化祭のこと?」
遊佐くん、言ってたもんね。わたしが、パステルズの曲を歌ってる加瀬くんを好きになっちゃったとき、それを隣で見てたって。
「ああ、それもあったか」
「ん?」
あれ? 意外な反応。
「違うの?」
不思議な気持ちで、遊佐くんの方を見た。
「いつぐらいだったかな。高校に入学して、けっこうすぐ」
「うん?」
何のことか、全然わからない。
「俺が欲しかったパステルズのアルバム、おまえに目の前で買われたことがある」
「そんなことがあったの?」
びっくりした。だって、その頃のわたしは、遊佐くんの存在すら、まだ知らなかったはずだもん。
「それから、何だかわからないけど、目につくようになったな。それで……」
「それで?」
「で、気がついたら、今にいたる」
そう言って、ふっと軽く笑った遊佐くんに。
「や、それは、あまりに調子がいいというか、話を短くしすぎというか」
うれしいんだけど。なんだか、すごくうれしいんだけど。でも、さすがに……と、そのとき。
「璃子ちゃん……と、類くん?」
遠慮がちに、弓ちゃんが話しかけにきた。
「あ、何? 弓ちゃん」
動画撮影の恨みか、顔をしかめた遊佐くんにハラハラしつつ、わたしが返事すると。
「えーと……類くんにも、一曲歌ってもらえたらなあなんて」
弓ちゃんは、目を輝かせているんだけど。
「嫌だよ」
「そこを何とか、一曲だけでも! シングル曲なら、わたしもベース弾けるんで」
「絶対、嫌だ」
大人げなく、ふてくされ続ける、頑なな遊佐くん。そこへ。
「いいよ。やろう」
いつのまにか、響くんが部員の一年生からギターを調達してきてる。
「どうせ、璃子も叩けるでしょ? 俺からエミちゃんに、さっきの動画のお礼」
「あ、ユミです」
うれしそうに、弓ちゃんが響くんに訂正する。
「はい、類くん」
北村くんも、自分のギターを差し出してくれた。
「遊佐くん……」
ドキドキしながら、ゆっくりと遊佐くんの方を見ると。
「わかったよ。わかったから、必ず消しといて。あれ」
遊佐くんは、弓ちゃんに念を押してから、北村くんのギターを受け取った。
「歌ってくれるの? 遊佐くん」
「来い、立原」
ふっきったように笑った、遊佐くん。同じステージに立つのなんて、どれくらいぶりだっけ?
「小林くん、最高のアングルで撮ってよ!」
スマホを構えている小林くんに指図する弓ちゃんを横目に、苦笑いしながら、遊佐くんは言った。
「いいよ、いつでも」
「うん」
思い出す。初めて、遊佐くんの歌を聴いた日のこと。
今日は、ちょっぴり不安定なドラムとベースに、これ以上ないほどにキラキラした、響くんの最高のギター。そして、いつまでも変わることのない、わたしの宝物。泣いちゃうくらい、大好きな遊佐くんの声 —————!
「でも、美緒ちゃんが言ってたこと、本当だったんだね」
ライブの打ち上げの飲み会の席で、思い出したようにつぶやいた、北村くん。
「ん? 何だっけ?」
「高校の頃から、類くんの方が璃子ちゃんにメロメロだったっていう話」
「や、そ、そんなの」
ほら。遊佐くん、顔を引きつらせてる。
「いやー、実を言うと、璃子さんが類さんとつき合ってるって、璃子さんの脳内妄想かと思ってたんですよ」
「ちょっと、木藤くん?」
一年生の男の子からは、そんなことまで言われちゃってるんだけど。
「類と璃子は似た者同士だからね。お似合いだよ」
「適当なこと、言うなよ。だいたい」
響くんの言葉に、やっと口を開いた、遊佐くん。
「おまえが、いいかげんなことを俺に吹き込むからだろ?」
「え? 俺、嘘なんかついてないよ。璃子は人目も気にせず、北村と熱い抱擁を……」
「や、何でもない、何でもない」
あわてて、響くんの口を押さえる。美緒ちゃんもいるのに、そんな誤解を招くようなことを。
「や、そもそも、嘘だよね? 響くん、あの場で理解してくれてなかったっけ?」
「いろいろ、盛り上がるかと思って」
「そんなの……! ひとつ間違えたら、取り返しがつかないことになっちゃってたかもしれないじゃん」
そうなったら、しゃれにならないよ。
「取り返しがつかないこと?」
「そうだよ。例えば、乃亜ちゃんとどうにかなっちゃうとか」
あ。考えたくはないけど、遊佐くんのことだから、もしかしたら、すでに……と、遊佐くんに視線を向けたら。
「…………?」
遊佐くん、今、視線そらしたような。
「ノア? 何? それ」
チーズを口の中に放りながら、他人事みたいに響くんが聞いてくる。
「あの、ボーカルの女の子」
やっぱり、乃亜ちゃんと何かあったんだ。響くんのせいだ。泣きそうになりながら、わたしが答えると。
「ああ。あれか」
少し間を置いてから、響くんが急に笑い出した。
「何が、そんなにおかしいの?」
わたしの頭の中は、考えたくないような場面が次々と浮かんできて、どうにかなっちゃいそうなのに。
「最近、思い出したんだけどさ」
笑いつくしたらしい響くんが、遊佐くんの方を見る。
「何だよ?」
「あの乃亜とかいう女。昔、俺のバンドの追っかけだったんだよね」
「あ? 乃亜ちゃん、おまえのことは苦手だとか言ってたけど」
「だろうね。俺、あの女とたまたま二人になったとき、しつこく寄ってこられてさ。キレて、控え室から引きずり出したことがあるから」
「ええっ?」
普段、冷静な響くんに、そんな容赦のない一面があったとは。反応に困っていたら、遊佐くんがいきなり、つかえが取れたように笑い出した。
「な、何? 遊佐くんまで」
「いや」
笑いをこらえながら、遊佐くんが言う。
「やっぱり、響とは気が合うと思って」
「どういうことなの?」
わたしには、わけがわからないよ。と、そこで。
「最後に、すごい笑えた」
目の前のグラスのビールを飲み干すと、遊佐くんは一万円札を出して、テーブルの上に置いた。
「そろそろ、連れて帰るから」
「ん? や、ちょっと……」
強引に、わたしの手をつかんだ遊佐くんは、後ろを見ないで、どんどん足を速めていく。
「あ、またね! みんな、お疲れ様」
笑ってるサークルのみんなや、響くん。そして、最後に、あわただしく美緒ちゃんに手を振ったら、北村くんの隣にいる美緒ちゃんは、やっぱり、すごく幸せそうだった。
「あのさ、遊佐くん」
揺られる電車の中で握られた手から、遊佐くんの体温は、確実に伝わってくるんだけど。
「あのね、えっと」
まだ、こうして遊佐くんといることが現実じゃないみたいで、実感がわかない。
「あの、北村くんと美緒ちゃんね」
「興味ない」
すごく似合ってたって、言いたかったんだけど。
「じゃあ、今日の……」
「少し、黙ってろ」
「…………」
だって、何か話してないと、遊佐くんが消えちゃうような気がして。電車の音と振動を意識の外に感じながら、遊佐くんとつないだ手に、力を込める。
「いいよ。言葉なんて、必要ない」
「……うん」
たしかに、隣に座ってる遊佐くんの気持ちが、何も言わなくても感じることができる気がしてきた。そのまま、ほとんど言葉を交わすことなく、遊佐くんのマンションに着いた。ドアを開けて、部屋に入るなり、遊佐くんにきつく抱きしめられる。それから、額と頬、そして、唇に、丁寧な優しいキスを何度も受けた。
「遊佐く……」
「黙れってば」
幸せな感触に、クラクラする。このまま、もう全部、遊佐くんに委ねちゃえばいいような気もするんだけど……でも、どうしても。
「待って、遊佐くん」
一度、遊佐くんの腕を振り解いた。
「何だよ?」
「わたし……わたしね、遊佐くん」
わたしばっかり、遊佐くんのことが好きなんじゃないかって。心配で、不安で、寂しくて、ずっと我慢してたんだよ。だから。
「わたしね」
ここで、もう一度。あと、一度だけでいいから、遊佐くんの気持ちを聞かせてほしい。
「遊佐くんに……」
と、ふと視線をそらしたら、無造作に棚の上に置かれていた、いつかのキーリングが視界に入った。あのときは、わたし、ひどいことを言った。
「ごめんね、遊佐くん」
キーリングを引き寄せて、両手で包む。
「嘘つきだなんて……言っちゃって、ごめん」
「…………」
遊佐くんは、わたしの手のひらを広げると、キーリングを取った。そして、わたしのバッグの中のこの部屋の鍵を通した。
「遊佐くん……?」
「嘘なんて、つかない」
それをわたしに握らせて、静かに遊佐くんは言った。
「俺が、おまえに嘘なんかつけるわけがない」
顔を上げたら、遊佐くんの瞳に捕えられて、視線が外せなくなる。
「じゃあ、あれも本当? モノレールがメジャーに移籍した理由」
さすがに、それはないとわかっていながらも、調子に乗ってみたりして……。
「本当だよ」
曇りのない目で、ためらわずに、遊佐くんは言った。
「俺には何もないから。立原にしてやれることは、それくらいしか」
「遊佐くん……」
わたし、どうしたらいい? 今のこの気持ちを、いったい、どう伝えたらいい? と、そこで。
「だいたい」
突然、我に返ったように、遊佐くんが調子を変える。
「何を、そんなに不安がることがあったんだよ?」
「そんなの」
いつもの口調に戻った遊佐くんに、わたしもムキになる。
「心配なことだらけだったよ」
「どっちがだよ? 一人で、北村のところになんか泊まったくせに」
「それは、遊佐くんが不安にさせた方が先だもん」
「あ?」
いつもみたいに、遊佐くんが顔をしかめる。
「だって、全然、彼女っぽく扱ってくれなかった」
今日こそ、ちゃんと聞いてくれる?
「名前だって。璃子って、呼んでほしかったのに」
「名前?」
遊佐くんが、意外そうに反応する。
「遊佐くんが『菜乃子』って言ったり、仲よさそうに『乃亜ちゃん』って呼んだりするのを聞くだけで、寂しかった」
そのときのことを思い出すだけで、すぐ涙が出てきちゃうんだよ。
「俺だって」
機嫌悪そうに、遊佐くんがこっちを見た。
「響が、おまえを名前で呼ぶたび、ムカついて、イライラしてた」
「ええっ?」
そんなの、初めて知った。遊佐くん、気にしてるようになんて、全く見えなかったのに。
「あまりにムカつくから、一生、立原呼びでいいと思ってた」
「そ、そんな理由?」
わたしが今まで、どんな気持ちで……と、そのとき。
「璃子」
ベッドの上に座った遊佐くんが、わたしの名前を呼んでくれた。
「え……?」
「こっち来いよ、璃子」
遊佐くんが、わたしの名前を口にするたび、体中に電流が走ったみたいになる。
「好きだよ、璃子」
抑えきれなくなったみたいに、いつもよりも強引なキスをして、わたしの目をまっすぐに見つめる。
「いつも、璃子のことばっかり考えてる。いや、璃子のことしか考えてない」
「遊佐くん……」
「璃子がいれば、何もいらない」
わたしも。わたしもだよ、遊佐くん。だけど、なんだか、うまく言えないの。
「璃子に関わる男、全部に妬いてる。響にも、北村にも、加瀬にさえも」
ただ、遊佐くんの目を見ることしかできないでいるわたしに、遊佐くんはまた意地悪く笑って、いつもみたいに言った。
「ほら、言えよ。早く」
「大好き。遊佐くんのことだけが、大好き」
そして。
「永遠に好きだよ、璃子」
遊佐くんの体温を体中に感じながら、世界でいちばん幸せなキスをする。きっと、それは、永遠に続くキス ————— 。
KISS, KISS, KISS Again! — END —
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