ドッチ?
「ねえ、璃子」
「ん?」
ホームルームが終わって、帰り支度をしていたら、美緒ちゃんに声をかけられた。
「駅前に、チーズケーキの店ができたんだって。たまには、二人で寄っていかない? 尚、委員会が長引きそうだっていうし」
「チーズケーキ! おいしそう。でも、今日は……」
返事をしようとしたところで、教室の前を横切ろうとしている遊佐くんを発見。なんとなく、目が合った。
「遊佐くん……!」
反射的に、声をかけてしまう。遊佐くんが立ち止まった。
「新しい曲、聴いたよ。全部、びっくりするくらい、いい曲だったね」
心から、そう思った。遊佐くんと今までのことを抜きにして、純粋に。
「それなら、よかった」
以前と全く変わらない、軽い調子で反応する遊佐くん。
「その分、ドラムも細かいところまで練習しておけよ。この前みたいに、響を怒らせないように」
「それは、もちろん。でも、やっぱり、あれかな。何というか、遊佐くんが亜莉ちゃんを想う気持ちが作用して、あんな泣かせるような曲を作れちゃうんだろうね」
気まずくならないようにと思うあまり、よけいなことが次々と口から出てきて、止まらない。
「だから、改めて、遊佐くんには亜莉ちゃんが……ふぐっ」
そこで、遊佐くんに鼻をつままれた。しかも。
「バーカ」
そんな捨てゼリフまで。ひどすぎる。
「ね、美緒ちゃん。あれは、ないよね? あ、ごめん。さっきの話だけど、今日は約束があって」
「それ、響くん?」
「うん。どうして、わかったの?」
あれ? 今、一瞬、遊佐くんの足が止まった気がしたけど、気のせい……かな。
「最近、響くんが璃子みたいな子と歩いてたって、同じ中学だった友達に聞いたから」
「そっか」
響くん、地元でも有名そうだもんね。
「でも、わたしみたいっていうのは、どういう……」
「うちの制服で、寝癖みたいな中途半端なミディアムヘア。中肉中背の地味な子で、響くんとはそぐわない感じだったって」
「……的確な意見だね」
そのとおりすぎて、ぐうの音もでない。
「そんなの、どうでもいいよ。璃子、大丈夫なの?」
美緒ちゃんが、真面目な顔になる。
「ん? 何が?」
「遊佐くんって、今井亜莉とつき合ってるんでしょ?」
「はっきりとは聞いてないけど、多分」
響くんと別れた亜莉ちゃんが、遊佐くんを受け入れない理由があるとは思えないから。
「響くんって、何を考えて、璃子と会ってるわけ?」
「特に、何も考えてないと思うよ」
あれから、わたしと響くんは、どちらからともなく連絡を取るようになって、何回か会った。音楽とか本の話をしたり、展示のイベントとかでも。
「響くんにしてみたら、友達と彼女の両方と遊べなくなっちゃったから、普通に暇なんじゃないかなあ」
それ以外に、理由なんか思いつかない。
「なんか、いいようにされてない?」
「いいように?」
「だから、また遊ばれてるんじゃないかって。それに、響くんにしてみたら、自分の彼女を
「そんなことないよ……!」
わたしと響くんが会ってるだけで、そんなふうに見えちゃうの? さすがに、響くんにも失礼だし。
「なら、いいんだけど。なんだか、璃子、危なっかしくて」
「どこが?」
美緒ちゃん相手に、ムキになってしまう。
「どこがって。遊佐くんとだって、結局、続いたの何日?」
「一ヶ月半……くらい」
それを言われると、反論しにくくなっちゃうんだけど。
「とにかく、響くんとは、そういうんじゃないから。心配してくれなくても大丈夫だよ」
そう言うしかない。この話は、もう切りあげたかった。今日も、これから響くんと会う約束をしてるわけだし。
「くれぐれも言っておくけど、家とか行かないようにしなよ?」
「響くんは、わたしのことなんか、自分の家には入れたくないと思う」
見境のない、遊佐くんとは違うんだから。
「場合によったら、遊佐くんに言うからね」
「えっ?」
「当たり前でしょ? 変なことになったら、遊佐くんの方から、響くんに言ってもらうしかないじゃん」
いつも以上に、言い方のきつい美緒ちゃん。
「くどいようだけど、本当に何もないもん」
「気をつけなよ? 璃子」
「うん。わかってるよ」
美緒ちゃんが心配してくれているのも、よくわかる。でも、ちょっと複雑な気持ちで、うなずいた。
「響くん……!」
待ち合わせ場所は、地下鉄の神保町駅のA3出口。イヤホンで音楽を聴きながら、先に待っててくれていた響くんに声をかける。今日は、ちょっと前に響くんが見つけた、面白い古本屋さんに連れていってくれるという。
「そんな、全速力で走ってこなくても、まだ約束した時間になってないのに」
「そうだけど、ユニオンで探したいCDもあるし。一分一秒も無駄にできないと思って」
息を切らしながら、意気込みを説明する。
「それくらいだと、こっちも楽でいいよ」
「そ、そう?」
今のは何気に、うれしかった。
「重点的に見たいジャンルある? 純文学とか、漫画とか、児童書とか、雑誌とか」
「えっ? そう言われると、全部が気になっちゃう。どうしよう?」
古本はCDと違って、一冊あたりの単価が安いから。いろいろな店を回って、買うものをじっくり吟味したい。
「じゃあ、とりあえず、こっちの道。立原さんの好きそうな……そうだ」
歩き出した瞬間、振り向いて、わたしの顔を見た響くん。
「もう、“璃子” でいい? やっぱり、呼びにくい」
「あ、うん。全く問題ない」
そうだった。バンドをやり始めた頃、断ったことがあったっけ。今となっては、わたしの無駄なこだわりでしかなかった。返事をしたら、人懐っこく笑ってくれた気がする響くんに、美緒ちゃんと加瀬くん以上に救われた気になった。と、言っても。
「あ……!」
最後に入ったユニオンで見つけた、ずっと探していたレアな南米ソフトロックの中古CDに手をかけたのは、わたしと響くん、ほぼ同時だった。お互い、譲る気がないのがわかる、重い沈黙。それに耐えきれず、先に口を開いたのは、わたしの方。
「や、響くん。今日は響くんのおかげで、素晴らしい本との出会いもあって、感謝してるんだけどね。この編集盤だけは、どうか。世界一とも言っても過言ではないくらい、好きな曲が入ってるの」
目下、You Tube でしか聴く手立てがない、MONIK の『Thank You』が収録されてるのは、この編集盤だけだから。レコードは高額すぎて、手が出るわけないし。
「……いい曲だよね。『Thank You』でしょ? 声も好きそうだし」
あきらめたように、響くんが息をつく。
「あ。ということは」
わたしに、譲ってくれるの?
「いいよ。でも、半分出すから、全曲PCに取り込ませてよ。いろいろ、使いたいから。帰り、うちに寄ってよ」
「ありがとう! だけど、お金は全部払うよ。悪いもん」
「だから、それはいいって。 俺は見終わったから、会計済ませてくる。璃子は?
「えっと……もう、大丈夫かな」
「じゃあ、これね」
律儀に、半額の七百円を渡された。ん? わたし、これから、響くんの家に行くことになったんだっけ?
響くんの家は、駅と美緒ちゃんの家のちょうど中間くらいのところにあって、美緒ちゃんに見つかったらと思うと、少し気が引ける。
「入りなよ」
「うん。失礼します」
なんだか、すごく立派な家。
「おうちの人は?」
「今日は……水曜か。9時過ぎまで、誰も帰ってこない」
普通に、響くんが答える。一瞬、美緒ちゃんに言われたことが頭を
「何か飲むもの持って行くから、部屋で待ってて」
「あ、おかまいなく」
男の子の部屋なんて、遊佐くんの部屋しか知らないけど、響くんの部屋も綺麗に片付いてる。ものは、響くんの部屋の方が多いかな。こういうの、何ていうんだっけ。ミッドセンチュリー? いいなあ。こんな雰囲気の部屋。
「はい」
すぐに響くんが戻ってきて、温かい紅茶を渡してくれた。
「ありがとう。じゃあ、これ」
「ん」
さっきのCDを受け取ると、早速 P Cを開いて、作業を始める響くん。その間に、部屋に並んでる本やCDを食い入るように見てしまう。そのうち、謎が解けてきた。
「そっか……!」
「何?」
PCの画面から、わたしに視線を移した響くんと目が合う。なんとなく、二人でいることに急に緊張してきた。
「あの……ね、ここに並んでる、音楽のガイドおお本。わたしが図書館で借りて、コピーしたのばっかりだなって」
「ああ、そういうこと」
納得したように、響くんがうなずいた。そう。だから、聴いてる音楽が似てると思うことがたくさんあったんだ。
「や、わたしなんかと一緒にされるの、嫌だろうけど」
不意に、遊佐くんが歌ってくれた『Lonely Girl』が入っている、SAGITTARIUS のアルバムが目に入った。あんな遊佐くんの気まぐれを本気に受け取って、浮かれてた自分を思い出すと、いたたまれなくなる。
「え?」
「ううん。何でもない。あ、終わったかな?」
響くんとも、友達にでもなった気でいたら、痛い目を見そう。ダウンロードが終了したのを確かめるため、立ち上がって、PC をのぞき込もうとしたら。
「危ない」
「わ……!」
響くんの座っていた椅子の脚につまずいて、倒れそうになったところを響くんに支えられた。あわてて、体勢を立て直そうにも、すぐには動けない。
「ご、ごめん、響くん。今……きゃあああ」
そこで、響くんの右手がわたしの胸の位置にあったことに気づいて、叫び声を上げてしまう、わたし。
「勝手に倒れてきて、何?」
当然ながら、面倒そうな反応の響くん。すぐに、わたしを起こして、手を離してくれたけど。
「いや、わたしが悪いのは、重々承知で。でも、その、胸、胸が」
気が動転して、うまく言葉が……。
「胸?
「…………!」
どこにショックを受けたらいいのか、わからない。遊佐くんに続いて、響くんにまで、コンプレックスの胸に傷つく指摘を受けるなんて。
「肋骨じゃないもん。れっきとした、胸だもん」
骨扱いされたら、さすがに泣きたくなるよ。つい、
「話が、やっかいになってきた。駅まで送るから、もう帰りなよ」
響くんは、あきれ顔。
「……ごめんなさい」
ほらね、美緒ちゃん。美緒ちゃんが心配するようなこと、何もないでしょ?
「それじゃあ、ここで」
「あの……バンドは、ちゃんとするからね。だから、クビにしないでね」
「そればっかりだね」
別れ際、わたしが訴えると、ふっと響くんは笑った。怒りも嫌われもしないですんだのかな……と、少し安心した、そのときだった。
「璃子?」
駅の改札から出てきた、美緒ちゃんの声。
「あ」
絶対、誤解される。何というタイミングの悪さ。
「何してるの? こんなところで。響くんも、どういうつもりなの?」
美緒ちゃんが、厳しい口調で響くんに詰め寄る。わたしの中では、初の顔合わせの響くんと美緒ちゃん。こんな心臓に悪い対面になるなんて。
「何? いきなり、馴れ馴れしい」
出会ったばかりの頃の響くんを思い出す、氷のような口調。
「ごまかさないでよ。なんで、あの子と別れて、今度は璃子なの?」
「何の関係もないよね」
「なくないよ。わたしは、璃子の友達なの。これ以上、璃子を傷つけるようなことするの、やめて。体目的で遊ぶ相手なら、いくらでも他にいるでしょ?」
「え? 体目的?」
響くんが眉を寄せるのも、当然。一方的な美緒ちゃんの言い分に、わたしも言葉が出てしまう。
「美緒ちゃん、それは違う。響くんのこと、誤解してるよ」
「…………」
あ。しまった。
「じゃあ、勝手にすれば? わたし、知らないから」
「あの、美緒ちゃん、ごめ……」
美緒ちゃんは、あきれたように、わたしと響くんを見ると、早足で去っていってしまった。でも、しょうがないよね。
「意味がわからない」
おっくうそうに、響くんが息をつく。
「ごめんね。美緒ちゃんは美緒ちゃんで、わたしのことを心配してくれてて……その、わたしがまた、いいように遊ばれてるんじゃないかとか」
このフレーズを聞いたり、使ったりするたび、悲しい気持ちになるけど。
「あ! わたしは、そんなふうに考えたこともないからね? 遊ぶにしたって、響くんにも選ぶ権利があるもんね」
わたしは、亜莉ちゃんや美緒ちゃんと違って、顔も可愛くないし、胸も肋骨だし。
「あとで、もう一回、美緒ちゃんにも説明しておくから。嫌な思いさせて、ごめんなさ……」
そこで、わたしの視界が遮られた。何が起こってるの? 信じられない。また、響くんにキスされてる……!
「ひ、ひ、ひ」
“ひびきくん”という、ひらがな五文字さえ、まともに発声できない。そんなわたしに。
「笑ってるみたいだね」
笑いもせず、そう言ったあと。
「今のは、嫌がらせじゃないよ。好きだよ。璃子のこと。じゃあ、土曜の練習のときに」
…………。
嘘のような言葉を残して、家の方向に戻っていった、響くん。いつもの調子で、からかわれただけなの? それとも、本当なの? どっち?
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