アキラメキレナイ



 あれから、何が何だかわからない気持ちのまま、時間だけが過ぎていく感覚。なんとなく、美緒ちゃんとも気まずい感じになっちゃったし、まともに口もきけてない。気がついたら、すでに放課後。


 それにしても、響くんが、わたしのことを好き? 友達として? だったら、キスなんんて、しないよね。いや、一度は、嫌がらせとお礼を兼ねたという、わけのわからないキスをされたことがあったけど。昨日のは、どういう意図で ————— 。


「わ、加瀬くん……!」


 ふと我に返ると、わたしの目線に合わせて、机の前でかがんでる加瀬くんが。


「ど、どうしたの?」


 いちいち、動揺してしまう。


「声をかけるタイミングを失ってたところ。急に立原の顔芸が始まったから、目が離せなくなっちゃって」


「や、わたしは、真面目に考え事をね。あ。それより、何?」


「美緒、どこに行ったのか、知らないかなと思って。 終礼のあと、すぐ一人で教室出て行っちゃったから」


「ごめん。わからないな」


 そんなわけで、上の空の状態だったし。


「ま、そのうち、戻ってくるか。立原と、けんかしてるわけではないよね?」


「えっと……」


 加瀬くん、美緒ちゃんから、どこまで聞いてるのかな。変な誤解をされてないといいんだけど。


「美緒も熱いからなあ。遊佐の件は、まだ収まりがついてないみたいだし、響のことも心配してて。俺は、言ったんだけどね。響は遊佐と違って、見境のないことはしないと思うって」


「本当に、そのとおりで……あ」


 もしかして、美緒ちゃん、どこかで遊佐くんと話してる? 昨日、言ってたじゃん。遊佐くんから、響くんに注意してもらうみたいなこと。


「加瀬くん」


「ん?」


「美緒ちゃん、探しに行こう」


 これ以上、話をややこしくしたくない。わたしはバッグをつかむと、あっ気にとられている加瀬くんを置いて、教室を飛び出した。


「美緒ちゃん!」


 思ったとおり、部室棟の前で、遊佐くんと美緒ちゃんが言い合ってるのが見えたんだけど。


「もう、話にならない」


「えっ? 美緒ちゃん?」


 あきれたように、教室の方へ戻っていってしまう、美緒ちゃん。追いついた加瀬くんも、美緒ちゃんを追いかけていく。思いがけず、遊佐くんと二人、残されちゃった。


「あ、あの……」


 どうしよう? 何を言えばいい?


「ひさしぶりじゃん」


 普通に口を開いた、遊佐くん。


「あ……先週末、練習もなかったしね」


 わたしの方は、毎日遠目に遊佐くんを見てるし、家でも学校の行き帰りも遊佐くんの曲を聴いてるし、ひさしぶりという言葉は、あまりしっくりこないんだけど。


「えっと、美緒ちゃん、何だって?」


 とりあえずは、この質問だよね?


「いらぬ心配をしてるみたいだよ」


「いらぬ心配?」


 わたしと響くんのこと?


「悪いんだけどさ」


 なんとなく、気乗りしないようすで iPhone を操作しながら、遊佐くんが話を遮る。


「これから約束あるから、歩きながらでいい?」


「あ、うん……」


 亜莉ちゃんと会うのかな。そうだよね。何も障害がなくなったんだから、毎日でも、どこででも二人で会えるんだから。ばかみたい。それを想像するだけで、まだ胸がチクチクする。


「もともと、倉田さんがおまえから加瀬をかっさらったようなもんだったからな。罪悪感があるから、おまえに世話を焼きたいんだろ?」


 駅へ向かって歩きながら、遊佐くんは話し出した。


「それは、関係ないと思うよ。美緒ちゃん以上に優しい子、知らないもん。だから、加瀬くんだって、あんなに美緒ちゃん一筋ひとすじなんだよ」


 そんな恋愛、憧れるけど……。


「バカみたいに、人がいいな」


「そうなのかな」


「そうだよ。俺とのことも。責めるだろ? 普通」


「……そうかもしれないけど。責めたって、どうにもなるわけでもないし」


「まあね」


 遊佐くんが笑う。遊佐くん、そこで笑うんだということは、さておき。


「とにかく、今回のことは、ごめんね。もう、わたしと遊佐くんは何の関係もないのに」


「何の関係もない? ふうん。ずいぶん、さっぱりしてるんだな。で」


 調子を変えて、遊佐くんがわたしの顔をのぞき込んだ。


「本当に、行ってんの? 響の家」


「えっと、それは」


 あんまり、言いたくもないけど、嘘をつくのも変だよね。


「うん。一回だけ、だけど」


「……へえ」


 なぜか、遊佐くんは意外そうな顔をして。そして。


「いいんじゃん?」


 たいして気にも留めていないようすで、続けた。


「子供さえ、できないように注意しとけば」


「え……?」


 今の、すごく引っかかった。


「遊佐くんがそういうこと言うの、おかしくない?」


「なんで? 俺は気をつけてただろ?」


 顔も見ないで、バカにされてるみたい。


「響くんとは、そんなことしないもん」


「嘘つけ。流されやすいくせに」


「そ……」


 たしかに、そうなのかもしれない。だけど、遊佐くんが言うのは、ひどいよ。そんなことを言われたら、わたしなんて、最初から気持ちなんか全然なかったんだって、つくづく思い知らされちゃうよ。


「響くんは、遊佐くんとは違う」


 思い返せば、遊佐くんとまともに出かけたのだって、水族館の一回だけ。あとは、遊佐くんの部屋に誘われるばっかりで。亜莉ちゃんの存在を知ってからは、会っていても不安だらけだった。


「昨日だって、わたしが強引に胸を触らせたみたいになっちゃったけど。それでも、キスしかしなかったもん」


 つい、よけいすぎることまで口にしたあと、わたしは一人で駅の改札を抜けた。ふと振り向いたら、遊佐くんと亜莉ちゃんが人混みの中に消えていくのが見えた。ねえ、遊佐くん。わたし、まだ、こんなにつらいよ。






「美緒が、いろいろ迷惑かけまして」


 翌々日の朝、練習をするスタジオに現れるなり、全員に謝る加瀬くん。


「しつけときなよ、ちゃんと」


 何とも響くんらしい、そんな言葉に。


「ごめん。俺にも、どうにもできないんだよ。美緒だけは」


 弱った顔で、加瀬くんがそんなことを言うから、響くんが苦笑いしてる。わたしに対しても、朝から響くんはいたって、普通の態度。わたしだけが戸惑って、ぎくしゃくしてるような。結局、あのキスは、どう受け取ったらいいのか……と、そこで。


「立原も、逆に嫌な思いしたよね? 響と何があったわけでもないのに、美緒に勝手な想像されて」


「えっ? や、まあ」


 気を遣ってくれた加瀬くんに、ごまかそうと曖昧あいまいな反応を返したら。


「何もなかったわけじゃないけどね」


「…………!」


 しれっと、そんなことを言う響くん。心臓に悪い。


「また、響は……あれ? 遊佐? 大丈夫?」


 スタジオ内で、ずっと存在感を消していたかのような遊佐くん。見ると、ギターはケースから出してあるものの、何も準備に手をつけてない。


「え? ああ、始めよう。練習」


「始めようって、何も繋いでないじゃん。もしかして、熱とかあったりしない?」


 加瀬くんが、遊佐くんの額に手を当てた。めずらしい。遊佐くんが、こんなにぼんやりしてるの。


「熱は……なさそうだね。でも、本当に体調は平気?」


「何も問題ない」


「そう? なら、いいんだけど。響は、何笑ってるの?」


 優しい加瀬くんは終始、ようすのおかしかった遊佐くんを気遣っていた。でも、それと対照的に、いつも練習に厳しい響くんは、そんな遊佐くんを面白がりつつ、適当に流してる感じだった。






「遊佐は、まっすぐ帰った方がいいよ。今日は」


「そうする」


 スタジオ代の精算を済ませると、心配する加瀬くんに即答して、遊佐くんは自分のマンションの方に早足で帰っていってしまった。


「何だったんだろう? 今日の遊佐」


「うん……」


 加瀬くんには適当な相づちを打ったけど、普通に想像はつく。どう考えても、亜莉ちゃんのことに決まってる。もしかして、亜莉ちゃんが、やっぱり響くんとよりを戻したいと言い出したとか?


「放っておけばいいよ。類なんて、あんなもんだよ」


 響くんは、ああいう遊佐くんにも慣れてるみたい。でも、それより、今日は。


「あの、響くん……!」


 思いきって、わたしから切り出すことにした。


「その、ちょっと、二人で話がしたくて。いい?」


「話? いいよ」


 さすがに、電話やメールで済ませられるような話じゃない。だって、やっぱり……この日本では、キスが友達同士の間で通常に行われるものとは思えない。加瀬くんと別れると、わたしと響くんは駅のホームまで歩き、ベンチに腰かけた。


「何? 話って」


「あ、そ、そう。話っていうのは……」


 どう言えばいいのかな。そもそも、こういう場合、話を進めるのは、わたしの方で合ってるの?


「前回の、あれ。あれは、いったい、どういう意味があったのかなって」


「あれ? あれって、何のこと?」


「だから、その……」


 絶対、わかってるはずなのに。まるで、遊佐くんみたいな意地悪だ。表情で不服の感情を示すと、響くんは力を抜いたように、ふっと笑った。


「それにしても、さっきの類は最高だったね」


「よっぽど、亜莉ちゃんのことが気になって、しょうがなかったんだよね」


 それくらい、響くんだって、承知してるでしょ? こんなこと、わたしの口から言わせないでほしい。


「類ね、亜莉とは、この何週間か、ずっと一緒にいるらしいよ。もちろん、毎日のように、やることやって」


「……だろうね」


 だから、わかってるし、聞きたくないのに。その話じゃなくて、今は……。


「で、亜莉の方は、類の彼女になった気でいたのに」


「ん?」


 彼女に


「類は、どうも乗り気じゃないらしい」


「らしい? それ、誰に聞いたの?」


「亜莉」


「ええっ?」


 響くんは、わたしを横目で見て、にやりと笑った。どういうことなのか、状況がのみ込めない。


「あんなクソビッチ、会いたくもなかったんだけどね。家が近いから、偶然会っちゃって。ついでに、いろいろ聞いてみたら、ベラベラしゃべり出して」


「そ、そうなんだ」


 何というか、わたしには理解しがたい関係性。


「亜莉の父親が入院して、家の方が落ち着いたら、類も少し冷静になったみたいだね。それで、今日のあの類だよ。璃子のこと、気が気じゃないの」


「そんなことは、ないと思うけど……」


 だんだん、声が小さくなる。もちろん、それが本当なら、すごくうれしい。だって、わたしにとって、遊佐くんの代わりになる人なんて、誰もいるはずがないから。だけど ————— 。


「あの、響くん。それで、わたしの最初の質問の答えは?」


 それだけは、はっきり聞かなきゃいけないと思ってた。


「意味を考えてる時点で、それが璃子の答えだよね」


「えっ?」


 急行の電車の発車ベルが鳴り響いた。いつもは、わたしに合わせて、各駅停車が来るまで待ってくれる響くんだけど。


「…………!」


 不意打ちで、軽く唇にキスしてから、ひらりと電車に飛び乗った。


「今のは親愛のキス、かな。そんなの女にするのは多分、最初で最後」


「あ……」


 ドアが閉まる。正直、頭が回らなくて、返す言葉が思いつかなかい。でも。


「ありがとう……!」


 きっと、声は届かなかっただろうけど、口の動きで思いは伝わったはず。わたしは、響くんが乗った電車が見え無くなるまで、目で追い続けていた。



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